赤の女王仮説
赤の女王仮説は、進化に関する仮説の一つ。「他の生物種との絶えざる競争の中で、ある生物種が生き残るためには、常に持続的な進化をしていかなくてはならない」
山南君が腹を切った。
それは意味のある死だったろうか、と思ってから、ふと考える。
「意味……」
それは新選組が生き残るために必要な死だったろう、と思った。
「伊東さんか」
「ずいぶん疲れた顔をしてるね、永倉君」
試衛館とかいう道場から、ずっと一緒にやってきた仲間でも、そうしてそれが正しいかどうか分からなくても、この組織が生き残るためには、前に進むためには必要な犠牲だったと思うしかないのだろう、と思いながら、そのずっと一緒にやってきたらしい永倉君のずいぶん憔悴した顔を見ながら笑って声を掛けたら、彼はどこか何か考えるように言った。
「アンタには分かんねぇよ」
「そうだね、分かりたくもない」
嫌味のように言ったが、その嫌味の意味が分かったのだろう。普段の言動に比して、案外頭が良いのが永倉君だ、と思った。
「沖田の様子見て来るか」
呟いた言葉に、「心配ないんじゃない?」と言おうと思ってから、永倉君は沖田君を人間だと信じているんだし、と思って、特段止める意味もない、とひらひら手を振ったら、舌打ちした彼は沖田君の部屋に向かった。
「優しいのはいいけれど」
その後ろ姿にぼんやりと呟く。
優しいのはいいけれど、彼女はもう先に進めない。それは、山南君とある意味一緒で、ある意味一緒ではない。
この、新選組という組織を持続させるために、生き残らせるために、その犠牲は必要だったのだろうし、そうしてそうやってこの組織は多くのものを犠牲にしながら、そうでありながら先に進むだろうことも分かっていた。分かっていたが、それでも。
「沖田君は先には進めないよ」
命を散らした山南君のように、彼女の時は止まっている。その場に留まるのとも違う。
沖田総司という剣士には、『先がない』。
「憐れだ、実に」
近藤さんは、土方君は、斎藤君は、永倉君は、多くの隊士たちは、先に進むだろう。
山南君と、そうして、その死によって『完成』して、先に進むことも、後に戻ることも最早ない沖田君の犠牲によって。
*
「奸賊ばらが」
呟いてから、そんなことが言いたかった訳じゃないんだけどなぁーなんてぼんやり思いながら僕を斬った沖田君を見上げる。
土方君に言われたから?かなぁ。まあいいんだけども、君はもう先に進むことを棄てたのだから、憐れだ、と思ったのは何時のことだったろう。ああ、そうそう、山南君を斬って本当の意味で『刀』になった時だったね。
「その場に留まることも、先に進むことも、後に退くことも、君にはないのだろう」
初めから、そのまま、何一つ手に入らないままに。
*
「その場に留まるためには、全力で走り続けなければならない」
赤の女王仮説。
新選組という組織を存続させるために、その組織がその場に留まるためには、彼らは進化し続けなければならなかった。例えば芹沢鴨の暗殺や、池田屋。山南敬助の切腹や、僕の暗殺。御陵衛士の誅殺に、永倉新八たちの脱退。
様々な要因が、様々な事象が、彼らを……いや、新選組を存続させ、進化させ、そうして結果的に土方歳三という存在は『新選組のまま』死んだ。死後も『新選組のまま』戦い続けているという。
だとすれば、その進化の仕方は、存続の仕方は、間違っていなかったことになる。
だけれど。
「病が沖田君を殺した?違うだろう。ただ単に……」
それは山南君の切腹とも、僕の暗殺とも違う。
死に意味を見出す必要はないと思う。そんなこと、無意味だから。
だけれど、君は、沖田君、君は、最初から走ってなんていなかった。
留まることも、進むことも、君は望まなかった。
「そこに沖田総司の意思はない」
憐れなほどに、悲しいほどに。
「だからさ、今度は自分のために走り続けてみたらいいんじゃないの?」
新選組なんて、恥を晒して生き続けてくれればいいけれど、そこから君を除いたのは、そもそもにして君は『新選組』の存続や進化には関係なかった。ただの道具だった。
それなら、まだ抜け出せるだろう?
「君という存在、ただの沖田総司が進化して、存続して、その場に留まるために走り続けることが、今度こそ出来るんじゃないのか」
そこにいるカルデアのマスターだの、斎藤君だの、永倉君だのがいれば。
土方君と山南君は知らないけども。
「走ってごらん、自分の意思で」
今の君には自分の意思がある。
それが先に進むためでもいい、後に退くためでもいい、その場に留まるためでもいい。
なんだっていい。なんだって出来る。
氏真様がそうしたように、服部君がそうしたように、僕が、そうしたように。
「もう、新選組なんてないんだから」
ずっと、新選組はそこにあるのだから。
正反対の、だけれど、本当の意味で正しいだろうそれを呟いて、僕は小さく笑った。
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2023/12/09
赤の女王仮説
赤の女王仮説は、進化に関する仮説の一つ。「他の生物種との絶えざる競争の中で、ある生物種が生き残るためには、常に持続的な進化をしていかなくてはならない」というもの。
「赤の女王」とはルイス・キャロルの小説『鏡の国のアリス』に登場する人物で、彼女が作中で発した「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない」という台詞から、種・個体・遺伝子が生き残るためには進化し続けなければならないことの比喩として用いられている。