月明り


『しかし、よいのですか?』
『何がだ?』
『いえ、これは狂暴ですし、もっと大人しくて躾も行き届いたものもありますが』

 店主の言葉に鼻白む。そうしてこれまで『売れ残ってきた』のが彼なのだろう、と。

『ああ、これがいい』

 これ、などという呼び方はしたくなかったが、そういえば、鋭い目つきがこちらを射貫いた。それに店主に気づかれないように笑いかけて、小さく言う。

『早く出てしまおう、こんなところ』





 湯につけて、服を着せて、温かいものを食べさせれば、その反応はどれも真新しいものに接したように、しかし何かに警戒するようにビクビクとしながらも、『彼』はそれを受け入れてくれた。
 それが奴隷として売られていたから、ということに起因するのだとしても、それでもとにかくあの狭苦しい場所から彼を連れ出せただけで十分だった。

「なにゆえ」

 短く問われる。本来なら奴隷が反問することなどあり得ないのだろうが、仕事を言いつけるでもなく、当たり前のように、当たり前の人間のように扱ったそれが疑問でしかなかったのだろう。

「あんな所にいたくないだろう、もう」
「それ、は……」

 初めて見た時からずっと思っていた。どうして彼が奴隷の身分に身をやつしたかは知らない。知らないが、一刻も早く連れ出してしまいたかった、と。
 珍しい髪の色も、鋭い目つきも、高く厳つい背も、何もかも、手に入れたいと思った。

「どうして」
「君がいいと思った。あんな所に置いておくのは勿体ない、と」

 だから、と彼に手を伸ばす。初めて取ってくれたその手は、分厚く、力強く、やはり―――に似ていた。
 いや、似ているのではない。彼なのだと知っていた。

「田中君」
「名前など、有りません」
「田中新兵衛。そう名乗れ」
「命ですか」

 問われて一瞬悩む。命じたことだと言えば従うだろう。だけれど、これが君の名なのだとどうやったら伝えられるだろう、と。

「それが君の名だ」
「なまえ……」

 不思議そうに、どこか嬉しいとも何とも分からぬ顔で彼は口の中で「たなか」と呟いた。
 ああそうだ。それでいい。
 ―――私たちは。


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奴隷と主人というか転生パロにも見えなくもない。先生は一目惚れだったんだね(すべてをこれで解決しようとしている)。
倫理観が死んでる話を書きたかったのですがなぜハートフルになってしまったのか。この二人にはハートフルな話が似合う。
2022/3/22