Crocus


「気に食わねぇ」

 オルタのオレの話を、オレはなんとなくぼんやりと聞いていた。そもそも、オルタのオレとランサーのオレが真っ当に会話をしていることが驚きなのだ、とかなんとか適当な理屈を並べながらぼんやりと聞いていた。

「なにが」
「スカサハ」

 単語で話すのやめてくれねえかな。ただでさえ狂戦士クラスは話が通じないのに。
 いや、オレの狂戦士クラスはそうでもないか。狂ってはいるが会話は成立する。理性らしきものもある。それが本当の意味での理性かどうかは知らないが。
 そも、何をもってこの男を狂ったと人理は想定したのだろう。メイヴに‘狂わされた’という結論ありきの「狂戦士」のような気が、オレにはしている。
 コイツが狂っていてオレが狂っていない謂れなんてどこにもないということを、オレ自身が一番よく知っているのだから。

「また師匠になんかしたのかよ、ガキかよ」

 タバコ吸いてえな。コイツなら構わねえだろ。これが師匠だと副流煙とか言い出して鉄拳制裁だからな。ていうかなんでコイツの事情を加味しなきゃならねえんだよ。

「『好みではないが嫌いではない』」

 そう思って火をつけかけたタバコをオレはその一言で取り落とした。

「馬鹿じゃねえの」

 そのオレが言った言葉を、その女が発したことも、そのオレが感じた寧泥たる思いも、オレ自身が感じる軋みのような感覚も、一切合切が一時に脳に焼き付いて、オレの口からはするりと罵倒が落ちた。そこにその女はいないのだけれど。

 オレは狂おうが狂うまいが、ルーンを使おうが使うまいが、呪いの槍を持とうが持つまいが、やはり何一つ変わらないのだ。
 別人ではない。側面だ。
 側面を複数持っている。
 例えば、槍兵としてのオレが全盛期で召喚されているといったって、オレは自分が淫蕩にふけり、戦いを好み、ある意味で狂ったまま死んだことを『オレは知っている』。
 だからオレはこの狂戦士をすんなりと受け入れるし、ドルイドのオレも受け入れる。

 それはすべてオレだからだ。

 そのすべては、スカサハという影の国の女王に武芸を学び、槍術を学び、魔術を学び、死の予言を受けた「クー・フーリン」なのだから。

 端が少しだけ焦げたタバコが、取り落とした灰皿の上で今にも消えそうなほど頼りない煙を流していた。

「それはどういう意味なんだろうな。「殺されるには好みではないが一晩くらいなら寝てやってもいいぞ」とかそういう程度で言ってるよな、あのバカ」
「オレに聞くな」

 なんだろう、この。
 アルスターの戦士ってみんなこんなだっけってちょっと泣きたい。
 泣きたいが、オレもやりたい放題だったことを考えれば、師匠の記憶というか、スカサハの印象としてオレというかオレたちというかクー・フーリンは叔父貴と同レベルの肉食にでも映っているのだろう。

「え、ていうかそれ誘われてんじゃねえか。ヤレば良かったじゃん」
「……」

 あ、ああ、こういうところですね分かります。
 オルタのオレの冷たすぎる視線に耐えかねて、オレは灰皿に落とした吸いかけどころか着けかけのタバコを拾い上げ、ライターで火をつけた。こんなことにルーンは使わない。諜報用とかそういう問題じゃない。文明の利器は積極的に使う主義だ。ケルトの鎧も防御機構を保ったまま着てられれるかということでカルデア内では適当な私服だが、無駄な魔力消費はオレがスカサハから学んだ魔術の中では最も忌み嫌われるものだった。
 などという言い訳めいたことを考えながらオレは大きく煙を吸い込んだ。
 不味い。正直この霊基でも、いくつかの聖杯戦争でも吸ってきたが、タバコというのはなんとも言えない味をしている。ただ一つ言えるのは、時間をつぶすのに最適だ、ということくらいだろう。

「お前は単純でいいな」
「同一人物に言われるとすごぉく傷つくんですけど」
「ここでタバコを吸いながらその女を待っているのに?」

 口角を上げて笑った禍々しいオレにオレはひらひらと手を振った。
 そう。タバコは時間をつぶすのに最適だ。
 特に女に待たされるときは。

「オレはそういうの気にしないんだがな。お前案外潔癖なのな」
「そういうことじゃねえんだよ」

 別にスカサハが誰と寝ようが関係なくね?と思いながら灰を落とす。  落としてそれから、オルタのオレが噛みつくように彼女に口づけるさまを想像する。悪くはないが良くもない。


「あー、でも遠慮してくれるならそれに越したことはないけどな」

 想像したそれはあまり面白くはない光景だ。
 だけれどオレは姫さんを差し置いて好き放題した過去があるわけだから、人のことをとやかく言えないし、というかそういう過去を記憶しているはずのオルタのオレがそういうことを気にするのが何となく理解しがたいことのように思われた。

「お前めんどくさいな」
「は?」

 オルタのオレに言われたそれはむしろお前にかけるべき言葉だろうと思ったが、その男は至極冷淡な目でこちらを睥睨していた。

「お前のそれは、女を待つ顔じゃねえって言ってるだけだよ」

 ふっと笑ってその男はふらりと入ってきた時のようにふらりと出て行った。





「なあ、師匠、オレめんどくさい?」
「なんだ、藪から棒に」

 圧し掛かるような体制のまま、私を抱き込んでクー・フーリンは言った。青い髪が頬に触れてくすぐったい。
 事後の余韻というやつか。そういう意味なら面倒くさいな。


「ピロートークとかなら面倒くさいな」
「師匠のそういうところがモテない原因だと思うんだけど」

 抱きついたまま言った男のむき出しの足を蹴る。

「別に。間に合ってる」
「間に合ってないからオルタのオレに声掛けたんだろ」

 変態、とか、淫乱、とかこの男にだけは言われたくないセリフがポンポン出てくるので、オルタの自分に何か言われたのだろう。

「気にしないんじゃなかったのか」
「気にならないと思ってたんだがな。改めて言われると、こうアレですよ」
「どれだ」
「あんま楽しくない」
「何が」

 短い問いに男は私を強く抱き寄せた。

「オレ以外があんたに触れることが」

 は。それも‘楽しくない’程度だろうよ。癪だから言ってやりはしないが。

「お前はまだまだ子供だな、セタンタ」

 その青髪に私は指を通す。どうしようもないこのアルスターの戦士は、しかしもう私の弟子ではないのだ。
 私がもう彼らの師ではないように。


 では、男と女なのかといえばそれも否だろう。


 私たちは、あまりにも長くこの世界にとどまり続けてしまった。
 それが星の意志だろうと霊長の意志だろうと、関係はない。
 私たちは、あまりにも長くこの世界のためにとどまり続けてしまった。
 自らも知らぬうちにとどまり続けたそこで、何をどう記憶しているかはそれぞれなのだろう、おそらくは。

「ガキ扱いすんな」

 鼻先を胸元にうずめて、甘えるように言った男から漂う微かな煙たさに、私は昔日を憂う。


「なら、人を待つときに煙草を吸うのは止めることだ」





 誰かが言っていた。フラガだったか、言峰だったか、遠坂の嬢ちゃんだったか、それともここの坊主だったか、ほかのサーヴァントだったか、そんなのは覚えていなくてもいい些末なことではあるのだけれど。
 人を待つ時間が長い人間は、タバコを吸って時間をつぶす傾向があるらしい。
 なるほど、同じ嗜好品でもアルコールを飲んで人を待つのは少数派だろう。
 酒と違ってタバコで正体を失うやつはなかなかいない。

「じゃあそれはアンタのせいじゃねえの」

 口に出してから、オレはひどく自虐的な気分になった。
 眠り薬で俺を引き留めた女を振り切って戦場に出たのも、誓いを立てさせてまでオレが戻るのを待っていたかなしい女王を置き去りにしたのも、オレだったのに。


 今、オレはタバコを吸って彼女を待っている。
 彼女の来訪を待っている。
 幾百、幾千という時の果てに、オレは待っている。
 彼女がこの身をおとなうのを、オレを待っている。


「は…救いようがない」


 あの昏い国で、ずっと誰かの来訪を待っていた彼女をなぞるように。
 その誰かがオレであったらよかったと思いながら、オレは待っている。


 だから、オルタのオレだろうが、ドルイドのオレだろうが、叔父貴だろうが、誰に彼女が声をかけてもいいのだ。
 オレは彼女をずっと待たせた。
 オレは誰かを嘆かせることしかできなかった。
 だから、今は。
 だから、今度は。


 オレは待っている。
 ……オレは何を待っているのだろう?


「なあ、教えてくれよ、『師匠』」


 フィルターを噛んでその吸い殻を灰皿に投げ入れる。
 あと何本、あとどのくらい、あと幾星霜、オレはあなたを待たせるのだろう。


 待っているのはオレじゃない。


 あなたはいつも一人で誰かの到来を待っている。




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クロッカス 花言葉「あなたを待っています」「裏切らないで」

2018/12/13

正しい街
幸福論
茜さす 帰路照らされど…
シドと白昼夢 とか。