出ていけ


「沖田ちゃんにキスしたいしエッチなことしたい」

 ごろん、と土方の部屋のベッドでくつろぎながら斎藤は雑誌を広げて言った。

「出てけ」
「いーやーでーすー。だって副長相談乗ってくれるって言ったじゃないですか」
「沖田のことで大事な話がある、食堂や談話室は人目があるから部屋に行きたい」
「そう言いました」
「出てけ」

 土方の言葉も視線も意に介さず、斎藤はベッドで足をバタバタいわせた。土方のベッドで。

「なーんーでー」

 ここまで馬鹿だといっそ清々しいな、と土方は遠い目をして思う。せめて自分の部下でなければ、と思ってそれから、いや、もう部下じゃない、縁を切ろう、と思った。

「前世的なものだしな。いいだろもう」
「だーめーでーすー。僕は新選組を裏切らないって副長言ったから、ここが新選組なら副長は逆説的に僕を投げ出してはいけない。はい、論破」
「論理立ててしゃべるな、頭に来る」
「頭バーサーカーだからじゃないですか」

 それはおまえだ、という言葉を飲み込んで、土方は一発斎藤を殴っていた。

「痛い」
「そりゃ殴ったからな」
「バーサーカーめ……」

 恨めしげに言った斎藤に、土方は大きく息をつく。言いたいことが全く分からない、という訳ではなかったからだった。

「副長も分かってるくせに」

 そういうことだ。だからここまで斎藤が横柄な態度で勝手に他人の部屋でくつろいでアホなことを言い続けても何だかんだと付き合っていたのはそういうことだった。

「正確に言い直しますとね、沖田ちゃんはキスした方がいいしエッチした方がいい」
「……おまえな、分かってるなら最初からそう言え、馬鹿」
「うーん、あの子駄目ですねぇ、ありゃあ駄目」

 カルデア怖い、と斎藤は続けて、ぱたんと雑誌を閉じる。

「ていうか僕のせいなんで、責任取る的な」

 そこまで分かっているなら、と土方は思う。そこまで分かっているならもう放っておけ、と。構い立てするな、と。彼とは逆の発想だった。

「ほっとけ。そのうち戻る。織田の連中もいる」

 言葉に斎藤は押し黙った。信長公、と口の中でつぶやく。そうしてもう一つ、女、とつぶやく。

「俺のせいなんですよ。俺がカルデアに来たから、沖田は自分が女だってこと忘れかけてる。昔みたいに」

 ごろごろと斎藤は土方のベッドで転がった。

「それじゃあ駄目です。駄目が詰まる」
「碁なんざ打ちもしないくせに」

 適当に返す。そうして彼の言いたいことが分かるから、どこか空しくなる。

「せっかく女になったのに、さ。俺が来たら揺らぐくらいじゃあ困ります」
「じゃあ出ていくか?」
「うーん、そしたら本気で男に戻りません、あいつ」

 そう言って彼は困ったように笑った。

「俺ね、邪馬台国でマスターちゃんに聞いたんですよ。おまえが沖田ちゃんを女にしたのかーって。いや、そこまで直截に訊いてませんけどね」
「ああ」
「でもカルデア来てみたら違った。いろいろ、外的要因とか、あとこことは違う聖杯戦争とかいろいろあって」
「そうだな」
「大事なもん、いっぱいできて、いっぱい抱えたくせに、俺と一回斬り合ったくらいで手放そうとするくらい、あいつはまだ新選組なんですよ。駄目だ、それは」

 ぼんやりと彼は言った。彼。男だ、これは、と土方は思う。

「その区別がつかない、か」

 それに土方もぼんやりと返す。男と女と新選組と帝都と聖杯とカルデアと。その区別が、つかない。付けられない。それは彼女の強みで弱みだった。いや、強みだった、と言うべきだろう。それが。

「俺が一回仕掛けたら、それでチャラになるんじゃあ、駄目ですよ」

 ああ駄目が詰まる、と土方は思った。斎藤と違って碁を打つ彼にはそう思えた。最後の駄目詰まり、いや、最後の石がこの男だったか、と。

「副長の考えてること当てますけどね、俺で最後じゃないですって」

 それに土方は大きく息をつく。

「山南さんも芹沢さんもいたってことは、局長とかほかの連中もいる可能性があるってことですよ。旗振ると来るんでしょ、永倉さんとか。じゃあ俺で最後じゃないです」
「駄目が詰まると石が死ぬ」

 だから、簡潔に土方はその状況を言った。

「石かぁ。石みたいに笑わないのがいいとも悪いとも俺は言いませんけどね。碁なんぞ打たないし」

 接待きらーい、とまたふざけたように言ってバタバタと土方のベッドを足で蹴る。

「だけど駄目です。笑えるようになって、リボン付けて、桜セイバー、とか言うなら、出てけ、おまえは」
「……」
「新選組の沖田総司は、出てけ」

 ここが新選組だと宣う男の前で、絶対に新選組を裏切れない自負を持った自分がこんなことを言うなんて、と思いながら斎藤は言ってベッドから起き上がる。

「という相談でした」
「馬鹿だな、おまえは」

 静かに彼は言った。小さな痛みを抱えながら。





「おーきたちゃん」
「はい?」

 振り向きざまに、彼は彼女に口づけた。

「ひゃい!?」
「んーとね、ごめん」

 そう言って彼は彼女を廊下から自分の部屋に引きずり込む。

「ちょっと、斎藤さん!?」
「なにする?キスする?エッチする?」
「何馬鹿なこと言ってるんですか?頭沸いてるんですか?」

 そう怒った彼女に、もう一度口付けてその呼吸を奪う。

「……って」
「え?」
「笑って。笑えないなら出てけよ、おまえは」

 言われて、彼女は気が付く。ああ、彼は自分に言っているわけでないのだ、と。

「だいじょうぶ、ですよ」
「大丈夫じゃない。俺のせいだ」
「そうですね。私は新選組一番隊隊長、沖田総司」
「出てけよ、おまえは」
「そうして超美少女天才剣士の沖田さんです!」

 そう言って、花が咲いたように笑った彼女に、斎藤は息をつく。これからまだまだたくさんのことがあるだろうけれど、今はまだ、大丈夫なのだろうか、と。

「私、やっぱり笑えなかったんですよ」

 彼がそう思っていたら、沖田はぽつりと言った。

「初めて召喚された時、全然笑えなくて。変な女だったと思います」
「変じゃない」

 「変」だと「女」だと自分のことを言う沖田に、斎藤はどこか泣き出したいような気分になった。

「おまえは女で、笑って、それで」
「今はもう、大丈夫です」
「じゃあなんで俺と斬り合って新選組に戻ろうとした」

 詰責はどうしようもない言葉だった。自分自身は新選組をやめられないのに、そんなことを言うなんて、と思いながら、彼はそれでも言っていた。
「私が新選組の一番隊隊長で、あなたが三番隊隊長だから」

 彼女の凪いだ瞳が、彼を見返して言う。いつかのように、ひどく昏く、凪いだ瞳が。

「それは、変えられないから」

 そう言って、彼女はふんわりと笑った。その瞳を隠すように、壊すように。

 きっと大丈夫、なんかじゃない。と彼は思う。だからそれを伝えようと、それを隠そうと、彼女にゆっくり口づけた。

「寂しい?」

 それを受け入れて、沖田は言った。斎藤はそれに、寂しいのか、と思った。新選組でなくなってしまうおまえが寂しいのか、それとも、新選組をやめられない自分が寂しいのか、それとも、女のおまえを抱きしめられない自分が寂しいのか、と。

「寂しい、か」

 ぽつんとつぶやく。それは寂寞だった。いつかの日に、置き去りにした、寂寞。満たされない、寂寥。
 大丈夫だよな、と自分に言い聞かせるように、彼は思った。俺は新選組をやめられないけど、おまえは大丈夫だよな、と。
 たくさんの物を抱えて、大事な人を見つけて、大事なことを学んで、こうして笑ってくれるなら、きっと、大丈夫だ、と祈るように、願うように。

「寂しくない」

 こつん、と額を合わせる。それが可笑しかったのか、彼女は笑った。
 大丈夫だから。だから、出ていけ、遥か彼方の幻想は。おまえを乱す、全ては出ていってくれ。
 願うように、祈るように、彼は思った。

 出ていけ、と。




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でていけ
2021/2/21