「総司、弁当」
「あ、はーい」

 妹が出来た、なーんて、どう頑張ったって漫画の中の出来事くらいにしか思っていなかったことが自分に起こって、最初に思ったのは「面倒だな」だった。
 高校生の夏、妹が出来た。
 理由は親の再婚とかいうありきたりなそれ。歳は小学生だっていうから余計に面倒事の様にしか感じなかった。それでも上手くやっていかないと、と思いつつも、最初に会った彼女は、自分で考えていたよりもずっと可愛かった。
 色素の薄い髪も、小さな背も、何もかにも自分とは違う存在だと分かるそれ。
 共通点なんて、剣道をやっている、くらいしかない。
 だけれど当たり前のことの様に、それでいながら戸惑いを隠すように「おにいちゃん」と呼ばれて、守らないと、と瞬間的に思った記憶がある。

「他に忘れもんは?」
「ないと思います、たぶん」
「気をつけてな」
「お兄ちゃんも、ですよ」
「はいはい」

 朝の当たり前のやり取りになったこれも、忙しい両親に変わって総司の世話をするのも、何もかにもが当たり前になったけれど、当たり前になってもそれでも。
 それでもどこかで、何か戸惑うようにしていたあの日の総司が忘れられなくて。
 だから、俺が守らないと。
 突然変わった両親も、突然できた兄貴も、何もかにも、受け入れるには俺なんかよりもずっと小さすぎた彼女から、奪われたものも新しくできたものも、俺が守ってやらないと。
 だってそれが、たぶん兄貴になった俺の責任だと、あの日知ったはずだから。





 だから、さ。と思いながら、少しだけ大きくなった総司がどんと俺を壁際に追い込んだこの状況って何なんだろうね?

「お兄ちゃん……いえ、斎藤さん」
「それさぁ、旧姓だからやめようぜ、総司?」
「旧姓だったら、というか兄妹じゃなかったら、お兄ちゃんは私を見てくれますか」
「総司?」

 言っている意味が分からなくて、いや、分かるけども、なんというか。

 色素の薄い髪も、小さな背も、何もかにも自分とは違う存在だと分かるそれ。

 だから、彼女と俺は違うんだと、年齢とか性別とかそうじゃなくて、と心のどこかで思っていたそれ。

「私じゃだめですか?」

 他の女の子の方がいい?と続けられて、絶対ダメだし、総司を守るのが俺の仕事だってあの日思ったのに、とぼんやりその綺麗な顔を見返して思う。

「兄妹、だし。俺ら」

 最後の理性というか、常識的なことを口にしたら、総司からキスされた。あーごめん、甲斐性なさ過ぎて、合コン行っても彼女いなくてファーストキスでした。

「ファーストキスです、私の」
「え、おまえも?」
「ほら、お兄ちゃんもそんなものでしょう?」

 だからね?とその『妹』のはずの赤の他人は笑う。戸籍の上でというだけで、突然できた妹は、そう言って笑う。

「今日から私のです、お兄ちゃん。ずっと大好きだったんですから」

 ……何だろう、俺ここまでダメ人間だっけ、と思いながら、その綺麗な顔を俺は眺めていた。





 俺には人には言えない秘密があります……大学生です、これは言えます。

「お兄ちゃん、明日出かけるから今日は飲んじゃだめですよ?」

 朝。大学に行く前の金曜日の朝。ニコッと笑って総司……義妹に言われる。そう、妹というよりは、義妹と言った方が正しい……のか?

「はいはい。どこ行く?」
「えっとね、駅前のカフェと、考え中です!」

 元気に言った総司の頭を軽く撫でて、家を出る。
 俺には人に言えない秘密があります……妹と付き合っています……

「はぁぁぁぁ……ヤバい、ヤバいって」

 友人どころか親にも言えないとかそういう以前に……

「総司可愛い……」

 自分の思考回路がダメ人間過ぎてヤバいって。
 確かに、兄貴として総司を守らなきゃっていうのはあって、その延長線のように『彼氏とか出来たらヤダなー』くらいは思ってた。思ってたけど、実際総司に迫られて、そうして流れで、流されるように『お付き合い』を始めたら、もうあの妹とういか義妹というか、総司が可愛くてマズい。

「まだ、まだ大丈夫だ俺。手は出してない」

 講義の合間に、必死で言ってみる。今頃総司も授業中だよな、金曜の時間割って……

「いや、キモイわ。時間割把握してる兄貴が彼氏ってヤバいよ俺、ヤバい自覚はあるよ、コレ」

 だって総司がすっごい迫ってきて、滅茶苦茶なんかもう思いつめた感じで、だから兄貴として。
「いや、この期に及んで総司のせいにすんな、流されたのはあるけど、あるけども!」

 だって総司可愛かったから、無理で、だから、手は出してないし、ほんと、ほんとに!

「キスくらいだから許されてくれ、頼む……」





 金曜、午後は緩く組んであった講義が終わって、いつも通り友人から飲みに誘われたが、それをとりあえず今日は断る。

「わり、パス」
「なんかあんの?」
「今日は妹迎えに行かないとだし、明日」
「明日?」

 首を傾げた友人に『デートだから』と言いたい気持ちを心の底から抑えて、取り繕うようにへらりと笑った。

「なんでもない、明日部屋片づけねーとだから。二日酔いだと無理だわ」
「潔癖症ー」

 友人のそんな言葉を聞きながら、俺は大学を後にした。





「なに、アレ」

 総司のところまで迎えに来てみたら、総司が男子生徒と一緒にいた。剣道部っぽいというか竹刀と防具引っ提げてるからそれは間違いないだろう。

「だから、明日は部活お休みですし、沖田さんにもいろいろありまして!」
「部活休みだからどっか行こうって」

 ……同じ部活の部員同士のナンパ?ナンパというか、あれってどう見たって総司のこと狙ってるじゃん。何それ。総司の彼氏って俺なんですけど。
 そう思ったら、何かイライラした。いや、さっきまで葛藤していた俺はどこに行ったんですかね。

「総司?迎え来たけど忙しい?」
「あ、おにい、むぐっ!?」
「帰ろうぜ、どっか寄ってく?あー、でも明日デートだからな。明日でいいか?」

 お兄ちゃん、と言い掛けた総司の口を塞いで、言わせない。俺はお兄ちゃんじゃなくて彼氏、お付き合いするって言ったの総司でしょ。だから。

「ごめんね、剣道頑張って?」

 総司の手を握って、同級生らしき剣道部員に俺は笑い掛けた。


*


「この頃総司が可愛くて辛い」
「うーわ、キモ……」
「相談できるのが非常に不本意だがし新八だけなんだよ、黙って聞け」

 もうどうしようもない脅し文句で上がり込んできた斎藤に言われて、俺はとりあえず黙る。
 ……斎藤と沖田は義兄妹だ。親の再婚が理由で兄妹になって、俺はそのあとでたまたま通っていた道場が一緒で、友人になった。
 そうして義理の割には仲のいい兄妹だな、と思っていたが、最初に様子がおかしいな、と思ったのは沖田。こいつ絶対斎藤のこと恋愛対象的な意味で好きになっちゃったでしょ、これはヤバいんじゃねーの?と思っているうちに、斎藤に言われた。

『誰にも言うなよ?』
『え、ああ』
『総司と付き合ってる』

 あの時は飲んでたコーヒー吐くかと思った。そうして話を聞いたら、沖田に押し切られたのだと言うのだからまあさもありなんなんだが、まあ近藤さんとか土方に言ったらドン引きどころか通報案件だし、山南先生なら説教だろうな。藤堂とかは……普通に御祝送りつけそうでそれはそれで頭痛くなってきた。

「聞いてんのか」
「あ、すまん。聞いてなかった」

 正直に答えたら斎藤が大きく溜息をついた。何それ、ムカつくんだが。

「なんていうか、『休みの日一緒に出掛けるんです、デートです!』とか言われるともう精一杯頑張って彼女やってるの分かって可愛くて仕方ないし、それ以前に総司そのものが可愛い、ほんとに」
「……」
「同級生の男子と一緒に歩いてたりすると狙われるんじゃねぇかな、可愛すぎて。一回あったんだぜ?たまたま俺がいたから良かったけど、手ぇ出そうとしたバカがいたんだよ」
「……」

 じっと黙ってその話を聞いていたら、斎藤に凄まれた。なんでよ。

「なに黙ってんだよ」
「いや、おまえが黙って聞けって言ったんだろうが理不尽だな!」

 そう言って溜息をついてから、ふと思って言ってみる。

「手は?」
「……へ?」
「流石に長いし、そろそろヤったのかって聞いてんの」

 直球過ぎたかなあー、とか思いつつそう聞いてみたら斎藤の顔が赤くなった。いや、おまえの赤面とか見ても全然クルもんないっていうか、せめて沖田の赤面の方が可愛かったなぁ……。

「何考えてんだよおまえ、歳考えろ!」
「……」
「なんだよ?」

 だってさぁ……

「沖田も女として見られたいのはあるんじゃないの?やっぱり年頃だし、それに」

 これって言ってもいいのかね、まあ、斎藤と沖田相手だしいいか?

「おまえら義兄妹だろ?血の繋がりはないんだし、ヤっても別にいいじゃん」

 可愛いかもよ、すごく?と付け足してやったら、斎藤は一瞬赤くなったが、それから何か考えるように下を向いた。

「ゴム付けりゃ別にいいか……」

 小さく言った斎藤に、コイツ相当キテんなーとか思いながら、俺は冷めたコーヒーを口に含んだ。


*


 義妹の総司に押し切られる形で付き合い始めて、どのくらい経っただろう。
 血は繋がっていない。両親の再婚で出来た妹。
 最初は、妹として、小さな女の子として守らなきゃいけないと思っていた。それがいつの間にか、いや、総司が俺を男して見てくれるようになっちまって。
 壁際に追い込まれて、泣きそうな総司に口付けられて、「今日から私のです」と言われた時に、本当の本当に、この子を手に入れていいんだろうか、と思った自分に驚いた。
 ああ、ずっと好きだったんだ、と。
 守りたいのは手に入れたいからで、責任でも義務でもなくて、ただ単に総司が好きで、手に入れたいからで。

「お兄ちゃん?」
「あ、ごめん。ぼーっとしてた。決まったか?」
「はい!」

 駅前の、どこにでもあるコーヒーショップで、楽しそうに季節限定のカフェラテと、それにたくさんのトッピングを追加する総司は、俺の妹で、俺の彼女、と思いながら、俺は店員さんに一生懸命にそれを告げる総司を横目に、たくさんの追加トッピングを言い終えた彼女の横で、言う。

「ブラックのラージサイズ一つ。支払い一緒でお願いします」
「あの……」
 流れるようにまとめて会計をしていった店員さんに、プリペイド機能とポイントが一緒になったカードを手渡して、あとはコーヒーが出来るのを待つだけ。このカード作ったのも、結局のところ大学では使わなかったけれど、総司が好きなのがここで、だからそれくらいならポイントと一緒に支払いできた方がいいし、と思った結果だった。
 そういう一つ一つで、なんというか、『付き合ってる』と自覚する。
 妹のままだって、きっとコーヒーだってカフェラテだって、なんだって一緒に飲んだけれど、それでも、一緒にいる時間の意味が変わって。だから。

「自分の分は、ちゃんと払いますよ?トッピングとかいっぱいだし……」

 小さく言った総司に笑って、軽く頭を撫でた。

「彼女の分くらい払う甲斐性はあるんだな、これが」

 そう言ったら真っ赤になった総司が可愛い。そうして、それから彼女は小さく言う。

「ブラックじゃ、もったいない気がします」
「そう?」

 だってもう、十分甘いし。なんて思っていたら、その沢山のクリームやトッピングがのった彼女の分とブラックコーヒーを手渡される。
 だってもう、十分甘い、おまえがいるだけで。





「あれ?沖田さんだー」
「あ!みなさんも!」

 コーヒーを飲みながら楽しそうな総司を見ていたら、女子高生に声を掛けられる。ああ、高校の友達か、なんて思いながら、駅前の店舗だからというのもあって、カウンター式の横並びの席で隣り合って座っていた総司を横目で見ながら、その子たちは同級生くらいかな、なんて思っていた。

「沖田さんのお兄さん?」

 そう言われて一瞬眉根を寄せてしまうが、気づかれはしないだろう。挨拶くらいはした方がいいだろうか、と思った時に、総司が首を振る。

「よく間違われるのですが、違うのです!私の彼です!」

 そう自信満々、という感じで言った総司のあまりの可愛さに、コーヒーに咽そうになったが、なんとか堪えていたら、女子高生たちが声を上げた。

「えー、年上だ!カッコいい、いいなー!デートじゃん」
「はい!今日は休日が重なったのでデートなのです!」

 嬉しそうに言った総司が可愛くて、そうしてはっきりと彼氏だと言うのが嬉しくて、そうなんだよなあ、と改めて思いながらまだ何か話している総司と友達たちに構わず、俺は言った。

「総司、付いてる」
「え?」

 カウンター形式の席だから、横に座る総司の口許を軽く拭って、それから軽く口付ける。クリームの甘い味がした。

「あ、の……!」

 女の子たちの叫び声というか悲鳴というか、何か聞こえたが、まあいいだろう。

「ごちそうさま」

 笑って言って、真っ赤な総司を見詰めてみた。
 ……甘い。


*


「ほんとに、いいの?」
「高校卒業したらって言ったのお兄ちゃん……一さんです」

 総司が大学に進学して、それなりに歳の離れた兄貴の俺はどこにでもいそうなサラリーマンになっていて。
 引越の終わった一人暮らしの総司の部屋の寝室。ベッドの上で、いつかの彼女が泣いていて添い寝して抱き締めた時とは互いに全く違うそこで、俺は総司に触れていいのか分からずに、それでも軽く彼女の髪を撫でた。

「お兄ちゃん、約束ですから」
「おわっ!」

 そうしていたら、柔らかな肢体の総司に抱き締められる。

「ずっとずっと好きでした。初めて会って、何も分からないのにお兄ちゃんが出来たのに、私のことをちゃんと守って、見ていてくれて……だから」
「総司?」

 ゆっくり俺を抱き締めていた総司の綺麗な瞳と目が合った。
 そうして彼女は、妹は、いや、総司は言う。

「もっと、もっと私を見てください」

 それはひどく甘美な誘い。

「煽るなよ」

 ぽつりと俺は呟いた。




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はじめちゃんはすーぐ流される。可愛いから仕方ない。
永倉さんとの相談会を修正しました。もっといろいろ初心な人だけどもまあいいでしょう。
2023/12/09