「ごめん、ちょっと待って、3分」
「そうですか」
「うん」
ちょぉっと待ってね、このページだけ読ませてと何気なく寝転がりながら雑誌を読んでいた斎藤に、土方からの言伝をと思って声を掛けた沖田はペタッと自分の胸を触る。彼が読んでいるその雑誌の表紙を見ながら。
そうして、どうしてこのカルデアのアーカイブにはこんな雑誌があるんだろう、マスターの教育に良くないです、と思った。
「やっぱりこのお姉さんの胸良いじゃん」
「そうですか」
「うん」
斎藤は気づいていないが、同じような会話を繰り返してから、出直します、と沖田は言ってぱたんとドアを閉めた。ちなみに、斎藤がこの現実に気づくまであと30分ほどかかる。
グラビアオーダー
「土方さん」
「あ?斎藤には伝言したか?」
食堂で相変わらずたくあんを茶請けにしていた土方の前に、沖田は自分で給湯器から白湯を持ってきて問いかけた。
「女性のステータスって胸ですか」
「そうだろ」
即応されて沖田はぼんやりとため息をつく。それに土方はいつもなら「この変態!」とか言ってくるところだし、というかそもそも胸が女のステータスだとか聞いてくる沖田というものが未知の生物に見えて、思わず言った。
「変<なもんでも食ったか?」
それか月の物か、と思ったがそれを言うほど彼はデリカシーに欠けた人間ではなかった。
「あ、いや。男性は胸の大きい人が好きなんですね」
「は?まあ俺は好きだが」
「土方さんのそういう性癖に素直なところいいと思いますよ」
こいつは本気でやべぇもん食ったか、それとも本気で月の物か、と思って土方は沖田の顔を見て言った。
「お前大丈夫か」
「だいじょうぶです。沖田さんは女の子じゃありませんから」
ぷいとそっぽを向いて言った沖田に、いや大丈夫じゃないだろ、と土方は思う。
最近邪馬台国とかいうとんでも特異点ののちにカルデアに来た斎藤はまだあまり詳しく知らないが、彼女は様々な経験から新撰組時代の「女と言ったら殺す」的な感覚から、桜色の着物を着て喜ぶような女性的な感覚を持ち出しているのだ。
だから、という訳ではないが、その感覚の微細なずれが彼女自身のアイデンティティを揺らがせたり、いや、そこまではいかないが感覚として新撰組時代とは違うところがある。
だから、急に女ではないと言い出した沖田に、土方はどこか昔の彼女を見たが、その一方でその言い方がどうにも投げやりで、思わず言ってしまった。
「月のもんか?」
「土方さんの変態!!」
どんっと湯呑を置いて叫ぶように言ってきた彼女に、ああこれは何かあったな、と思って土方は遠い目をした。自分が女であることを疑っていないのに自分は女じゃないなんて言うのは倒錯的というのもおこがましいくらいに子供じみていた。
「どうせ男の人はきょにゅーのおねえさんが大好きなんですよ!!」
「まあ好きだが」
直截に答えた土方に、沖田は机に突っ伏して言った。
「さいとーさんが」
「は?」
「きょにゅーのお姉さんが出てくる雑誌見てニマニマしてました」
何がどうしてこの話題転換になったんだ、と思いながら、土方は斎藤が最近AVやらグラドルやらにはまっているのを思い出した。「いやーカルデアいいっすね」とか言っていたが、あいつ没年が精神年齢なんでーとか言ってなかったか、と頭が痛むのを覚えた。
「どうせ沖田さんはお胸もない女でもないただの美少女剣士ですよーだ!」
いや、言ってることが噛み合ってないだろ、と思ったところで、がらんと何かが落ちる音がした。それからばしゃ、と音がして、ああ、誰かが何か食いもん落としたな、昼だし、と土方は遠い目をしながら思った。誰かの予想はだいたいついた。ついでに言えば食堂の器が陶器ではなくステンレスやプラスチックでよかったな、とそこまで思っていた。
「沖田ちゃん、もしかして来てた…?」
コロッケそばをびしゃびしゃと浴びたスラックスでぼんやりと斎藤が言った。
「うわぁぁぁぁぁ!!!違う違う違う!!」
「何が違うんですか、人が話してるのに巨乳のお姉さん読み終わるまで待ってとかこの変態ぃぃぃ!!!」
叫んで沖田は食堂から駆け出した。
「斎藤」
コロッケそばでぐしゃぐしゃになった服のまま、なぜか膝をついて、違う違うと言いながら沖田の方に手を伸ばしている斎藤という珍妙な生き物に土方は静かに声を掛けた。
「お前な」
「ちがうんだ沖田ちゃん、そういうわけじゃ」
「聞けよ。人の話はちゃんと聞け」
「今副長の話聞いてる余裕ないです、僕」
「いや、だから」
沖田の話を聞いていればこんなことにはならなかったんじゃないのか、という至極真っ当なことを言おうとしてそれから土方は面倒になって蕎麦の汁まみれの部下をぼんやり見やった。
*
「いいですよーだ、沖田さんは女としての魅力も何もないお胸もないただの剣士ですから」
いじけたように言って、沖田はカツンと廊下を蹴った。
その姿を壁の陰から斎藤はじっと見ていた。
「違う、違うからァァァ!そうじゃなくて、ただグラビアのお姉ちゃんの胸がちょっといいなって思っただけで沖田ちゃんの話聞かないとかそういうことじゃなくて」
聞こえないようにささやくような叫びで斎藤はいじけている沖田に言った。もちろん聞こえていないし、地に落ちたそれはそんなことを言って取り戻せるような信用ではないのだが。というか信用を取り戻そうとして言っていることとは微塵も思えない言葉なのだが。
そう思っているうちに、沖田は廊下を蹴るのに飽きたのか、その冷たい床に座った。いわゆる体育座りというか三角座りというかのもう完璧にいじけ切った沖田に、斎藤はゆっくりと近づいた。
「お、おきた、ちゃん?」
「沖田さんは女の子じゃありません。ちゃん付けしないでください」
ぷいっとそっぽを向いてやってきた斎藤に冷たく彼女は言った。
「斎藤さんも巨乳のお姉さんが好きなんでしょう。頼光さんにでも構ってもらえばいいじゃないですか」
巨乳、母性!と叫ばれて、「ああ、親に春画見られるのってこんな感じなのかな」とこの期に及んで斎藤は思った。もちろん沖田は斎藤の母親でも何でもないし、ついでに言えば先ほど土方が思った通りに自分の精神年齢は没年だから沖田の兄のようなものだと言って憚らない男とはもはや思えない。
「どうせ斎藤さんは胸にうずまって眠りたいんだ」
「そんなこと言ってません!」
ただ、ただ、ともはや譫言のように斎藤は言った。
「ただ沖田ちゃんが部屋に来た時読んでたページのお姉さんの胸が柔らかそうでうずまるのもいいなと思ったのは嘘じゃないです」
なんでこのバカは正直に言うんだろう、と沖田は最早憐れなものを見る目で彼を見ていた。
*
「沖田ちゃん、ごめん、ね?」
馬鹿正直に言ってからそう言ったら、沖田は三角座りのままで斎藤を振り返った。
「いいです、別に。私には斎藤さんがうずまれるような胸なんてありませんから」
「そうじゃなくて!ほんとにそうじゃなくて!」
ただグラビアを見てただけなんですぅと泣きそうな声で言った斎藤に、沖田は言った。
「土方さんが」
「はい」
斎藤は廊下に正座していた。体育座りの横で正座をしている、新撰組一番隊隊長と三番隊隊長という絵面はシュールが過ぎた。
「女のステータスは胸だっていつも言ってて」
「……はい」
「斎藤さんも結局そう思ってるんですよね」
そう言って膝に顔を埋めた沖田の頭をちょいちょいと斎藤は撫でた。
「思ってないとは言わないけども」
「やっぱり」
「でも、沖田ちゃん、それはちょっと違う」
「何が違うんですか。沖田さんの話も聞かずにニマニマしてたくせに」
じっとりと言った沖田の頭をやはり少し負い目があるのか、撫でると言うよりは触れるようにちょいちょいと触りながら、斎藤は言った。
「いや、あのね、カルデアってばAVとかグラビア雑誌とかいっぱいありましてね」
「……」
「春画とも違うし、女の子抱いたりもできないからこりゃいいなと思ったのは嘘ではないです」
「すごいこと言いますね」
「いや、一応ね、僕没年が精神年齢って言って憚らないので、年甲斐もなくはしゃぎました」
「斎藤さん正直私よりアホっぽいというか若いときありますよね」
呆れかえって沖田は言った。それに斎藤は言った。
「でもさ、正直ね、そういうの見るようになったのは」
「はい」
「沖田ちゃんがカルデアで女の子してるもんだから、なんかこう、その」
劣情を抱いたから発散していた、とまでは言えずに言葉を濁したら、彼女は顔を上げた。
「私が?」
「えっとね。正直に言うと沖田ちゃんも着やせするだけで胸でかいよね」
「……今更持ち上げても何も出ません」
冷たく言った沖田に、斎藤は言った。
「いや、正直沖田ちゃんの胸にうずまりたいな、とか思ってグラビア見てました!!」
全力で懺悔のごとく告白した斎藤を、沖田は次の瞬間バチンと打っていた。
*
「何なんですかそれ」
「いや、わりと本気で」
わりと本気で変態じみたことを言った斎藤の顔を、沖田はじっとりと眺めた。なんだコイツ、と思いながら。
「いやね、沖田ちゃんが袴穿いてなくても、ていうか下着付けてなくても昔は気にならなかったのよ」
「……」
「でもこっちに来てみたら沖田ちゃんがすごく楽しそうに笑うし、女の子の格好してるし、なんか言うと恥じらうしで、もう僕キャパオーバー起こして」
「……」
先ほどから続く告白に、沖田は沈黙で以て応じていた。
「さすがに沖田ちゃんを押し倒して抱き枕にして寝ることはできないのでグラビア見てたところに沖田ちゃんが来てたのに気づきませんでした。本当に申し訳ない!」
一から十まで申し訳ないことしかない懺悔というか告解じみたそれに、沖田はため息をついた。
「斎藤さんが」
「はい」
「斎藤さんがエッチなDVD見てたり、エッチな雑誌見てるとなんだか心がヒリヒリして」
でも、その感情の名前は分からなくて、だから彼がニマニマ笑いながら巨乳のお姉さんを見ていたのにどうしてか傷ついたのだ。
「じゃあ、その感情に名前を付けるために今晩沖田ちゃんの胸にうずくまって寝ていいですか」
「いいわけないでしょうがこの変態!斎藤さんの変態!」
二人の間に付けるべき名前が分かる日は、遠いのか、近いのか。