ひどい


「お前の首を、斬って、口付けたい」
「……ではなぜ斬らぬ」

 お前は鬼ではないから、だから、斬れない。斬れなかった。だけれど、斬りたい。お前の首をお前の血で彩って、口付けて。

「そうしなければ、お前に」

 口付けることもできない俺は。

「欲のない男だ」

 ぽつり、と彼女は言った。

「あの日、あの時、お前は吾を斬らなんだ。今更遅いよ」

 言葉に、俺はぼんやりと彼女を見て、そうして引き寄せた。彼女はそれに何も言わなかった。何も言わないから、俺は彼女に口付けた。思うよりもやわらかな唇が、何の抵抗もなく触れあった。

「……出来たな」
「阿呆め」

 思わずつぶやいた俺に、茨木はため息をついて言った。

「汝は吾を見ていないからそうなる。吾は自らを見ていないから、何も思わぬ」

 吾を見ろ、と彼女は言って、それから、呆れたように言った。

「どうせ見ぬから何も思わず口吸いなどする汝には難しい話か」





「阿呆め」

 吾はぽつりと言う。綱はどうにもならん男だ。どうしようもない、というよりはどうにもらん。

「吾とて自分のことなど顧みぬ」

 だがな、お前ほどではないよ。カルデアに来て、お前と普通に話をし、向かい合って狂わなんだ吾は、自分のことなど顧みぬし、どうでもいいということなのだろうと知っていた。だが、それはお前も同じだろう。

「まだ思い出さぬ。思い出せぬ。というより思い出さん」

 屋敷でのこと、まだ思い出さぬか、とお前は何度も言ったな。吾が思い出せば狂うと余人にも言われた。
 だがな。吾はもう要らぬ。この仮初の体は、もう過去に置き去りにしたそれとは違うのだ、となぜ分からん。
 狂を発するからではない。今の吾には必要のないことだからだ。

「汝が言うように言うならば、吾は鬼ではないのかもしれんな」

 べろり、と男の付けた唇の残滓を舐めた。何の味もしない。





「……出来たな、うん」

 ごろんと自室の寝台らしきもの(ベッドとかいったか、金時が教えてくれた)に寝転がって考える。そうして唇に手を当ててみる。彼女からあの瞬間感じた熱は残っていなかった。

「うん、斬らなくてもいいのか」

 斬らなくても口吸いできるのは分かった。してもいいのも分かった。カルデアは不思議なところだ、と思ってそれから、阿呆と言われたことを思い出す。

「なにも、思わない」

 俺が口付けても、首を取ると言っても、何も。何も思わないとお前は言うのか。

「……ひどい」

 子供のように言って、ごろりごろりと寝台で転がる。自分でも何をやっているのだか。でも。ひどい。

「なにも思わぬ相手に口吸いするほど阿呆ではない」

 そこに彼女はいないのに、反駁する。違う、と。

「どうしてそういうことを言う」

 『吾を見ろ』とお前は言った。なら。

「俺を見ろ、茨木」

 どうして、酒呑童子とばかり戯れる、マスターと楽しそうにする、金時と普通にいる。なぜ、俺だけにそう醒めた目を向ける。

「ひどい」

 もう一度ぽつんと言う。自分でも馬鹿だなと思いながら。茨木が俺を見てくれるはずなどないと知っているのに。あの日、あの時、俺は、彼女を斬れなかったのだから。幾千年の過去を思い、それでもひどいと思った。子供じみていると知っていたけれど。
 唇の熱が消えてしまった。もう一度口付けたら、取り戻せるだろうか。
 もう一度、お前の腕を斬れば、取り戻せるだろうか。

 ああ、幾千年の彼方。俺は間違えた。お前にやるべきことをできなかった。お前にやるべきでないことばかりをした。

「お前は、美しいから」

 だから腕を斬って、取り戻しに来ることを期待した。
 浅ましい。
 だから思い出せと言って、昔日を取り戻そうといた。
 おぞましい。

「ほしい」

 ぽつり、とつぶやく。
 お前が欲しい。お前の腕が、首が、唇が、熱が。
 ほしい。

「くれと言ってもくれぬだろうな」

 欲しいとどれだけ願っても、届かない。それは俺があまりにも彼女を見なかったから。結局俺は、彼女に何を見ていたのだろう。

「なにも思わぬ相手に口吸いなどしない」

 もう一度、茨木のいないそこで反駁する。

「好き、だ」

 愛しているかは分からないけれど。いや、愛しているとも。お前の全てを。だから、欲しい。口付けて、息を奪って、絞め殺すように愛して。

「そうしたら、お前は俺を見るだろうか」

 ぼんやりと言う。見てほしいのか、ただ欲しいのか。我儘なのは俺の方だ。
 できぬ、と彼女の声がした気がした。
 ……ひどい。




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腕を斬っただけ、というのがずっと引っ掛かっているというか、茨木ちゃんの方が大人な気がしますね。

2021/2/18
2022/5/14 掲載