雛
あの日、あの時、あの瞬間。
ああ、拙僧はキャスター、魔術師などではない。陰陽師などではない。そう思いました。ただの獣にも成り下がれぬ、混ぜ物をした何か。
ああ、私はヒトを愛してなどおりませぬとも。そうです、その通り。
そう、あれは京を蹂躙し、ビーストとならんとした時のこと。
拙僧はヒトを愛さねばならぬと言われて絶望しました。このようなものを愛せと言うのか、と。
しかして、その時がすぎ、「蘆屋道満」なる陰陽法師は自らが陥れ、自らが蹂躙し、そうしていずこかの魔術師に救われた「京の街」に茫然としました。
その営みを壊そうとした己に、その営みが救われたることに。
故なれば。やはり拙僧も、「蘆屋道満」も、ヒトを愛してはいなかったのです。
「それはあの男も変わらなかった!」
晴明、我が宿敵にしてもっとも忌み嫌う男、安倍晴明!拙僧が信じ、忌み嫌ったその「奇蹟」もまた、ヒトを愛したのではない。「ヒトの営み」を愛したのだと知っておりました。
我らはヒトという種を愛してはいなかった。ただそのヒトが生み出した営み、生活、文化、それを愛していた。違う。それを通してしか「ヒト」という枠組みに入れなかった。
「本来魔術師とはそういうものでしょう、マスター」
ですので、目の前で震えながら手を掲げる少女に思うのです。
「令呪を以て命じる」
少女が手を掲げて言ったのをふむと眺めていた。そうですか。それほど聡明には見えませんでしたがな。
「いやはや、大切な令呪を使うほど何かございましたかな?」
ひた、とその赤い線で描かれた文様に爪で触れたら、震えるような、これは怯え?怒り?いずれにせよ心地好い感情が流れ込むように感じられました。
「私に従え、道満!」
そのまま、拙僧の爪を振り払い、彼女が叫ぶ。スゥと文様が一本消えたのを見て、嗤いが落ちた。
「ンンン?いつお気づきに?拙僧が貴女に従ってなどいないこと、いつお気づきに?」
「道満!蘆屋道満!!」
叫びが響く。虚しいまでの叫びが。大切な魔力「リソース」を使っても、それでも。
「拙僧、こう見えましても陰陽師なれば」
「な、に……」
ぼんやりと消えかかった文様が元に戻るのに安堵したのはこちらですとも。貴女は大切な、大切な人形なのですから。
「キャスター?開位?マスター?存じません」
「なん……で……?」
無位無官の身なれども、これなるは名を残したる陰陽法師。
「ひな鳥の如き魔術師に後れは取りませぬとも?」
*
そう、我らはヒトを愛してはならない。
あなたも、そうでしょう?とその無意味な文様を返した「魔術師」に思う。
「いけない、いけない、いけない!」
高く笑ってそう零す。マスターがトンと背中を壁に預け、ずるずると床に座り込んでしまわれた。
魔術回路、などという仮初の術具を携え、令呪、などという仮初の得手を持ち、魔力、などという仮初の神秘を得たのなら。
そのようなモノに巣食われた人形ならば。
「拙僧が従わぬことなどに拘ってはいけない!愛してはいけない!サーヴァントを、ヒトを!愛してもいけない、従わせてもいけない!」
ええそうです。古い魔術師として、法師として、御忠告申し上げよう。
「あなたは誰も愛してはいけない。誰にも拘ってはいけない!」
人形が震えた。その言葉の意味を知っているであろう、マスターと皆が呼び、皆が期待し、皆が称賛するだけの人形が。
「あなたが愛していいのは世界だけだと、決められているでしょう?」
その呼び名も、その期待も、その称賛も、その誉すら!
「あなたのすべては世界のためにあるのだから!」
ああ、だから拙僧はあなたを愛せるのです。人形の如き、玩具の如きあなたを。
「あなたはヒトを愛せないと、決められた」
我らのように。
「あなたは世界に生きられぬと決められた」
少女が涙をこぼした。涙など、捨てておしまいなさい。
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蘆屋くんには期待しかしていないというか期待が大きすぎる気もするけど無位無官のあの台詞好きなのです。
2021/10/1
2021/10/3 改稿
2022/5/6 サイト掲載