「ねぇ、沖田君さぁ」
「はい?」
伊東さんに声を掛けられて、そうしてお茶とお団子をもらった。私の部屋にわざわざこうして来る人なんて、本当に限られているから、伊東さんは珍しいとしか言いようのない人のような気がする。
「あ、今日は暖かいから縁側出てみない?山崎君も怒らないでしょ」
「うーん、山崎さんってけっこう怒りっぽいとまでは言いませんが……」
だけれど外に出たかったのは本当で、そのまま伊東さんの誘いに乗って、縁側でお茶を飲みながらお団子を食べてみた。今日は調子がいいのか、咳は出ない。
「一休宗純って知ってる?」
「え?とんちの?」
「ちょぉっと違うかなぁ……」
笑いながら伊東さんは言って、お茶を一口飲んだ。
「室町時代のね、僧侶なんだけど」
「はぁ……?私はその手のことは……」
そういったことは分からない、と伝えるためにそう言ったら、伊東さんはにこりと笑う。一休?とんちや笑い話しか分からない、と思った。室町時代もお坊さんのことも分からない。難しいことは分からない。
伊東さんは何が言いたいんだろう、と思いながら、お茶を飲んでお団子を食べながらその続きを待っていたら、どこか遠くを見るように、伊東さんは言った。
「僕は一休が好きで嫌いでね」
「はい?」
ぽつんと伊東さんが言った言葉の意味が分からなくて、ふと聞き返せば、やっぱり伊東さんは笑う。
「一休宗純という僧侶はね、我欲を嫌った、金に目が眩む人間を嫌った。いや、もっと言うなら、人間という欲に塗れた生き方を嫌った」
「にんげん……」
その言葉に私はぽつりと呟いた。欲があることが、金が好きで、女が好きで、そうして遊んで、そういうのが、人間?そうして……
「欲そのものを通り越して、欲を持つ人間すら、嫌った?」
「ああ、分かる?そういうこと。理解が早くて助かるよ。そう。欲望なんていうもの、我欲なんていうものを持っている人間そのものを嫌ってね、反骨の精神と言えばいいのかなぁ……そうやってすべてに背いて生きていった」
伊東さんにそう言われて、それはなんて、なんて……?どこか、なにかが、悲しい生き方。
「悲しい、気がします、なんとなく」
「そうだね、僕もそう思う。欲望なんてものは誰しも持っている。誰かが好きで、嫌いで、そうして、そうやって生きている。それを否定して、それを愛せないのは、あまりにも辛い。あまりにも深い傷の様で、痛々しい」
そう言われて、私はぼんやり思った。
「私は、良いと思います。私には、そんなものが……たぶんないから」
そう言ったら、伊東さんは笑った。笑って言った。
「そうだね。だから、好きで嫌いなんだ」
*
僕は一休宗純という僧侶が、好きで嫌いだ。
どうして、我欲を、愛を、憎しみを、人が誰しも持っている感情を、可愛いじゃないかと許してやれなかったのだろう、と思うから。
「だから」
だから、沖田君に出会って気が付いてしまった。
人が誰しも持っている感情を、我欲を、愛を、憎しみを、初めから持っていない『人間』がいるとして。
それは一休の考えに照らすならば、逆説的に初めから『人間』ではないことになる。
その生を否定するのはきっと正しくはない。
だけれど、ある意味で、一休は知っていた。
その人間としての情動があるから、ヒトは人間であり、一休はそれを嫌い、憎んだのだと。悟りなどという分かりもしないものがあるとして、だとすればそこから離れなければならなかったのだと、彼は知っていた。
「だけれど、それは人間じゃない」
ねぇ、土方君、近藤さん、山南君。
或いは、斎藤君、永倉君、原田君。
「ねぇ、どうして許せなかったの」
沖田君が人間であることを、どうして止めたの。
初めから、彼女が何も持っていなかったとしても。そうだとしても。
「病を得て、女で、剣士で、死んでいく。ただの人間なのに」
僕らはどうして、君たちはどうして。
彼女が作った、僕の流した血だまりの中で、ぼんやりと呟いた。
「彼女を許せなかったんだろうね」
ひとつも、怖い事なんてないはずなのに。
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2023/12/09
人間の話。