快楽原則


 聖杯というのは便利だ、とぼんやり思った。
 古今東西の知識を得ることが出来る、というのは、僕のような人間にとってはいい暇つぶしになる。間違えた。楽しい。まあ、暇つぶしでも間違いないのだけれど。

「フロイトの快楽原則、ねぇ」

 そうして知り得た知識をぼんやりと呟いてみた。人間が快楽を求め苦痛を避けること、要するに、生理学的、理学的な必要を満たそうとすること、か。

「至極当たり前のことのように思えるけれども」

 まあ、当たり前のことだから原則なんだと言われればそれまでだけれども。
 だが、当たり前のことだと思いながらも、この原則は『それなりの』条件的なものが揃わないと成立しえない、と少なくとも僕はその実例を知っていた、ような気がした。

「それが快楽であると認識するためには、或いはそれを苦痛だと認識するためには、その快と不快の体験をして、それが確かに快楽であり苦痛であることを認識する必要がある、と思うんだけど」

 ぼんやりと呟いて、現実原則、なんてものもあるらしいけれど、と考えた。
 現実原則は、快楽原則の対、ねぇ……。現実原則の起源は失望に見出される。快楽原則においては、幻覚はまず最初には行為による満足と同様に満足の行くものである。そう、反復。幻覚というか、快楽の幻覚が、経験され、記憶され、反復されることによって、再体験されることによって充足していく。この充足は繰り返し再体験される。その後、それはあまり満足をもたらさなくなり、欲動は他の実現手段を必要とするようになる。つまるところ、幻覚、要するに快楽の反復は、次第にその満足度を下げていく。もっともっと、と更に強い快楽を求めるようになること、もしくはその快楽自体を味わえないこと、快楽自体に失望することが『現実』というものに目を向けさせる。それは恐らくひどい苦痛だ。
 だけれど、例えば、例えばね、快楽も苦痛も、或いはそれによってもたらされるはずだった『現実』も知らないままに、ただ、それがいつの間にか快楽になっていて、苦痛になっていて、それを求めるように、避けるように行動しているけれど、実際にはその自覚も、意識もない場合、それはなんと呼べばいいのだろう、と。
 だってそれは現実ではない。事実ではない。

「だってさぁ……沖田君が人を斬るのは、団子が美味いのと同じくらい『当たり前』の感覚で、それはもしかしたら快楽かもしれないし、もしかしたら苦痛かもしれない。それを彼女は意識したことがない、たぶん」

 別段、彼女の精神やら人間性を分析しようなんて烏滸がましいこと考えちゃいないけれども、まあ思っちゃうよね。

「でもそうなるとさ、団子が美味い、っていうそれも彼女は快かも不快かも分からないワケだ」

 例えば、本当に例えば、快と不快の反復の中で自身の整合性を見出すのが人間性や精神性の正しい在り方だとして、そうだとしたら、沖田総司という少女は、少女ですらないただの赤子のような存在になる。
 だが、その才能と凶暴性、いや、剣としての在り方と言うべきかな、それを近藤さんが見つけ出して、土方君が研ぎあげたならば、それはもう、人間と呼ぶことは出来ないだろう。
 だって、彼女の精神の中には『人間』としての『現実』がどこにもない。

「その精神性を、僕は否定しよう。人間として認めることはないだろう」

 あくまでも、僕は、ね。

「だけども」

 斎藤君やら何やらを掴み上げて水着?ジェット?ほんとにもう何だか訳分からんもので飛んでいった沖田君は、確かに『楽しそう』だった。いや、逃げる時に楽しそうも何もないだろうけども。確かに笑っていたし、その笑顔は作り込まれた人形の様のそれではなかったと思う。だとしたら、それは。

「君はもしかしたらそういう人間としての精神性を学んだの?」

 え、そうだとしたらカルデア怖いなあ。あの人形通り越してる沖田君に学ばせたの?凄い通り越して怖いなぁ……というか。

「羨ましいなぁ、なんてね」

 そっちは駄目だよ、そっちじゃないよ、君は刀じゃない、刃じゃない、ただの人間だよ、と言いたかったけれど、それを証明するものを僕は持たず、そうして、その『刀』しての存在の否定は、彼女を追い込むことになると思っていたし、何よりもむしろ彼女が刀である証明ばかり目にして、自分自身の最期さえ、彼女がただの刀であったことの証明に利用できる状態だった僕は。

「ねえ、沖田君」

 土方君、山南君、斎藤君、永倉君。繰り返す快と不快の感覚は、彼女に何ももたらさなかった。彼女は人間ではなかった。そうだとして。

「今、人間になったサーヴァントの君は、快と不快と苦痛と現実を認識できる君は」

 何に失望したの?自身の在り方?周り?苦痛?現実?快?不快?
 失望と希望は君に何をもたらした?
 或いは、それは正しいことで、或いはそれは不快なことであるかもしれない。
 だけれど、だから。

「正しさを求める訳じゃない。だけれど、少しだけ、その方がいいと思うよ、なんてね」

 だって可愛いから。ま、また刃を交えることになるだけだろうけど。





 それは確かに失望だった。
 山南君を見ていて、そうして山南君を沖田君に斬らせた土方君を見ていて感じたのは、確かに失望だった。
 もっと言うならば、そうやってそれを当たり前のこととして受け入れて、何も思わず、その日の夕餉や、明日のおやつと同じ感覚で刃を振り下ろせた沖田君に感じたものは、確かに失望だった。

「なにそれ」

 ぽつりと出た言葉は、ひどく軽薄で、ひどく無遠慮で、ひどく冷たいと自分自身思った。
 沖田総司は刀である、と近藤勇と土方歳三は少なくとも考えていた。
 山南敬助もそうだろう。彼女が刀であることを間違いなく認識していた。
 新選組という組織の幹部は、その刀という在り方を否定はしなかった。

「それが悪いとは言わない。言えない」

 僕だってその組織に居るワケで、そうして、そう考えたら新参者の僕には分からない範囲のことなのかもしれない。それはまあ、どうでもいい。ただ。

「その人間の意志に反して……いや、意思のない状態だと分かっていながら、それを刀にすること、刀としての意思を尊重して、結果的に何一つ人間としての生を見いだせないままにしておくことを、少なくとも僕は否定しよう」

 そう言ってみたけれど、それでも別段、僕は土方君たちのように沖田君に、沖田君の剣に執着している訳ではないから、どうだっていいんだけれども。

「怖いなぁ」

 誰が、とか、何が、じゃない。彼女の在り方、彼女の剣技を恐れている訳ではない。
 ただ単に。沖田総司という在り方を否定する自分自身が怖い。
 それは翻って、沖田総司という存在が怖いことになるのだけれど、その在り方を許容するその場が怖いと思った。

「それじゃあ、生きている意味がない」

 だから。





 あの場所で、あの闇の中で対峙した沖田総司に、彼女の構える刀に、ふと思った。
 彼女自身が刀だとして、そうして、もう既にその身体は病に侵されていて。それでもなお、君は『刀であれ』と命じられれば当たり前のように刀でいられる。

「むしろそれは」

 避け切れない、と分かっていたからこそ、彼女の一太刀を受けると分かっていたからこそ、呟いた。

「むしろそれは、君自身が刀であることを望んだ結果だろう」

 そうでなければ辻褄が合わない。喘ぐように、叫ぶように、君は刀であることを望んだ。刀でなければ、自分自身に生きる意味を見出せないと言うように。
 確かに、多くの者が望んだ結果が沖田総司を刀にした。
 感情や感覚のすべてを排除して、刀にした。だけれど。
 最後にその『刀』という在り方を肯定し、望んだのは、君自身なんだよ、沖田君。

「ねぇ、気づいている?」

 気づいては、いないだろう。
 だから、ふと思う。

「君はそれで、良かったの?」

 無意味な問い掛けだと分かっていながら、自らの作った、彼女の作った血の海に沈む。

「ねえ、それで、良かったの?」

 沖田君だけじゃない。土方君も、山南君も、斎藤君も、永倉君も、それで、良かったの?
 誰も答えてはくれないと知っていたけれど、少なくとも、僕はその在り方を否定しよう。

「それは、ヒト、じゃない」





 最後の最期。
 結局、新選組の面々と刃を交えることになったというか、氏真様もそうだけども、信玄入道に越後の軍神はもう反則だろ、というかさらっと土方君脱出してるし、とか思いながらも、無意味に怒ってみせて、ふと思い出したのはこの間読んだ快楽原則とかいうやつだった。

「恥を晒し続けてね」

 笑って言ってみたら、沖田君が呆れたように溜息をついた。

「そんなだから、誤解されるんですよ」

 もう霊基が保たないと知っていたからこそ、笑ってみた。
 誤解、誤解かぁ……。
 まあ、そうかもね。誤解されて、勘違いされて。だけれど、これは誤解でも勘違いでもないのだろう。
 刀という在り方。人間としての精神性の快楽も、失望も、現実も、絶望もなかった、ただ淡々と刀という在り方でいた君は、今、それを手に入れたからそう言えるのだろう、と。
 快楽と苦痛、快と不快の反復の中で、より深い満足を求めて、人はより強い刺激を見出そうとする。
 刺激の中に快楽と苦痛を見出して、そこにある手に入らない満足に、人は失望して現実を見る。

「君は確かに現実を手に入れた」

 人間としての現実。
 そこには絶望があるかもしれない。失望があるかもしれない。
 だけれど、それでも、人間としての快楽と現実を手に入れた。

「真っ当な人間に成長しろ、なんて偉そうなことは言わないよ」

 ただ、単純に、そういう君は―――

「あんまり怖くないから、僕としては嬉しいというかね」

 怖くないから嬉しいというよりは、僕は君の何を恐れていたのだろう。
 僕はあの組織の何を恐れていたのだろう。

「じゃあね。そのまま恥を晒して生きてよ」

 人間として、生きてよ。
 サーヴァントでも何でもいいけども、人間としての精神を手に入れたのなら、そうやって生きてくれないかな。
 あの過去に、叶わなかった生き方だから、そこにはいろいろなことがあるだろうけれど。

「いろいろあった方が、団子もお茶も美味いと思うよ」

 なんてね。
 まあ、いいや。あれもそれも、気持ちの問題だからね。

「はあ、いい気分」

 氏真様と服部君と、茶でも飲むか。




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2023/12/07
伊東先生の楽しい精神分析

参考文献:ジークムント・フロイト「精神分析入門」