誰か、誰か、だれ、か。
 私は、どうして。


 始まりから、終わりへ。終わりから、始まりへ。
 この昔話に、誰か終止符を打って。


こたえてください


「斎藤さん、しーあーいー!」
「はいはい、あとでね」
「嘘つきー、いつも後でねって言って放置するから今日は逃がしませんよ」
「あのねぇ、僕らがやるとわりかし洒落にならんでしょうが」

 斎藤さんと打ち合いたくて申し込んだのに、今日もなぜか外されていて、だから直談判に出たのにこれだ。

「一番隊隊長と三番隊隊長が怪我してたら世話ないでしょ」
「だって、斎藤さんくらいしか本気でかまってくれない」
「猛獣かよ」

 さらっとひどいこと言われた気がする、と思いながら私はまだ一仕合、と思っていた。その時だった。

「こほっ」
「あれ、沖田ちゃん?風邪?」

 寝ときなよ、と斎藤さんに言われて私は自分の胸に手を当てる。風邪?何か違う。どこか違う。妙な違和感があった。





「労咳だね」
「え……」
「先に近藤局長と土方君には伝えてあったんだが、君に直接伝えるべきだと思ってね」

 松本先生に言われた言葉の意味が、分からなかった。風邪だと思っていた。労咳と口の中でつぶやく。不治の病の名だと思った。

「治りますか…いえ、私はまだ剣を取れますか?」
「難しい相談だ」

 そんな、とか、なんとかしてください、とか、言葉はぐるぐる回転したのに、どうしてか、何一つ出てこなかった。

「そう、ですか」

 そう言って松本先生が出来れば別の家屋で休むように手配をと言っているのを聞きながら私はぼんやりと思い出していた。

『風邪?寝ときなよ』

 そう言った斎藤さんの声が、聞こえた。
 斎藤さんが悪いわけではない。その通りだ、私もあの時風邪だと思った。いや、確かに違和感を感じたのだ、とそれから思った。その違和感を与えたのが、まるで彼だったと思った。そんなこと、あり得ないのに。
 ただ、その時その瞬間にいたのが彼だったことに何か意味はあるのだろうか、と意味なんてきっとないのに私は思惟した。

 そうして私は、大坂で隊を離脱した。





「労咳ったって風邪みたいなもんでしょ」

 私を安心させるためだろう。松本先生が手配してくださった隠れ家に来た斎藤さんは努めて明るく、いつもの調子でそう言った。
 私は、その彼を見て、こんなこと言うべきじゃないのにと知りながら思わず問いかけた。

「こたえてください」
「え?」
「私は、結局何だったのですか」

 私は、結局。
 私たちは、結局。


 どこに行こうとして、どこに行けなくて、どこで朽ち果てるのだろう。


 そう思ったら、ぽろぽろと涙がこぼれた。悲しいわけではないのに、とぼんやり思った。

「もう寝た方がいい」

 斎藤さんは優しく言った。
 確かに私はもう眠たかった。疲れているのだろうか。

「この病は身に堪える」

 私はつぶやいて、彼の言う通りに体を横たえた。





 ああ、ずっと。ずっと私は答えを求めていた。
 剣で打ち合うことも、誰かを斬りつけることも、本当は飽いていた。
 誰かを裏切るのも、誰かに裏切られるのも、誰かに置いて行かれるのも、何もかにもに飽いていた。
 だから必死に、誰かに縋っていたのに、誰もかれもが私を置いていく。

「置いていかないで」

 頑是ない子供のようにつぶやいて、それから私は目を閉じた。





『こたえてください』

 という怜悧な言葉の意味を、僕はまだ計りかねている。
 会津の地は、銃の引き金に掛ける指が凍えた。剣を抜こうとするそれに体が軋んだ。


 答えてください。
 私たちの意味を。


 応えてください。
 私の思いに。


 堪えてください。
 その苦しみに。


 本当は全部分かっていた。全部、ぜんぶ。

「こたえられない」


 だって、僕は君を失ったことさえまだ受け入れられないんだ。
 どんなに言葉を重ねても、もう君は帰ってこない。
 それなのに走り続ける僕は、君に答えをあげられない。


「せめて、憎んでくれ」

 憎んで、恨んで、一生僕を縛り付けてくれ。「こたえろ」と叫んだ愛し子の言葉への答えを、僕は一生、探し続けるのだろう。





「こたえ、て」

 私の声は、古ぼけたような竪穴式住居なんていう歴史の遺物の中に空しく響いた。

「どうして、山南さん」

 そこに山南さんはいないのに、私は必死に呼びかけた。

「どうしてまた、私を置いていくのですか」

 答えて、応えて、お願い、だから―――





「こたえてください」

 だから、邪馬台国での一件のあとに沖田ちゃんに言われて、僕はああ、やっと、この問いに応えるべき時が来たのだ、と思った。

「どうして、斎藤さんはいつも私を置いていくのですか」

 斎藤さんは、と彼女は言ったけれど、それはたぶん、山南先生も副長も、みんな同じなんだろうと思った。どうして自分だけが取り残されるのか、彼女は一生かけても分からなかった問いを、今僕にぶつけている。
 ぶつける相手が僕だったのが、彼女にとっての救いになればいい、と、傲慢なことを思った。

「君の問いには答えられない。
 君の思いには応えられない。
 君の苦しみには堪えらえない」

 ずっと、ずっと用意してきた言葉を言ったら、沖田ちゃんの綺麗な瞳からぽろりと滴が落ちた。本当はこうじゃない。だけれど、今、まさに裏切って、昔のように彼女を置いて行った僕が最初に言わなければならない答えはこれだと思っていた。

 それが、彼女を傷つけるとしても。

「こたえて」

 泣きながら、迷子のように彼女は言った。だから僕は彼女を抱き寄せた。

「大丈夫。僕は君の隣にいると答えるよ。君が好きだと応えるよ。君の苦しみを共に堪えるよ」
「だって、こたえられないとあなたは言いました」


 抱きしめた僕に寄りかかることもせずにただただされるがままになっている彼女に、僕は彼女をここまで追い詰めて、ここまで頑なにさせた新選組という、もう遥か彼方に置いてきた組織のことを思った。
 笑えていると思ったんだ。理由は分からない。分からないけれど、笑えているんだと思っていたんだ。だけれどそれが、例えば僕や山南先生が裏切れば、簡単に決壊するようなギリギリのところに立っているものだったのだとすれば、僕にはそれが正しいとは思えなかった。
 だけれど、昔ように薄氷を踏むような笑顔を見せる彼女だって、僕は嫌だった。

「こたえるよ、君の思いに」
「どうして、誰か、私の」

 単語を紡ぐ彼女を抱き寄せる。そうしたら彼女はぽろぽろといつかのように泣いた。





「どうして、誰か、私の」

 私は自分でもおかしいと思うほどに単語だけで斎藤さんに縋っていた。
 悲しくもないのに、ぽろぽろと涙がこぼれた。いつかのように。


 答えてください。
 応えてください。
 堪えてください。



 私の言葉は全部が空しい。誰もこたえてなんてくれないと知っていながら、駄々をこねる子供のように、私は答えを求め続けた。
 答えが用意されていないと、怖くて仕方がなかった。


 どうして私は、剣を持ち続けることが出来なかったのだろう。
 どうして私は、山南さんを斬ったのだろう。
 どうして私は、近藤さんと土方さんのもとにいなかったのだろう。
 どうして私は、斎藤さんの隣にいられなかったのだろう。


 答えなんて私の中にしかないのに、私は私以外の誰かが私という存在を担保してくれることを願っていた。祈っていた。
 願いのような、祈りのような、怨嗟のような、憎悪のような、すべてが混じり合った感情が、私を押し流そうとする。押し流されそうになった私の体を押しとどめて、抱き留めた男のことを思った。
 応える、と言った男のことを思った。


 祈るように、叫ぶように。


「私たちは」

 あまりにも速く走りすぎたから。

「だから今度は、ちゃんと答える。ちゃんと応える」

 ゆっくりでも、と私の声にならなかった言葉を引き継いで彼は言った。

 この永く遠い昔話を、終わらせなければ。
 この物語に一つの終止符を。
 始まりがあるのなら、終わりを。すべてを見ていてほしかった。
 私は私の幕引きを、誰かに見ていてほしかっただけなのだ、と思った。