首
「なぜ吾が首を獲らなんだ、綱よ」
問いに俺は返答に詰まる。カルデアはおかしなところだ、とつくづく思った。俺と彼女が普通に話している。甘味を食べている。訓練できる。喧嘩できる。
だから、透徹し切った目で聞かれたそれは、今、この時を指してもいるし、遥か彼方の昔を指しているのでもあるとすぐに分かった。
だから、返答に詰まる。
「お前は、鬼ではないから」
答えに茨木は鼻白んだ。
お前が鬼になったと余人は言う。お前は鬼だと余人は言う。だが。
「未だ人も喰らわず、過去も思い出さぬお前は、鬼ではないよ」
ぽつり、と言う。
「ではなぜ吾が腕を斬った」
重ねて聞かれる。羅生門大怨起、か。羅生門には美しい姿の鬼がいた。鬼?美しい女がいた。
そこで俺はこの問いに応える浅ましさを思った。答えて、いいのか?
「腕を斬れば、取り返しに来ると思った」
だけれど、口はその答えを紡いでいた。おぞましく、浅ましい答えを。
「愚かだな、綱」
「……ああ」
「吾はお前に会うために腕を取り戻しに行ったのではない」
「知っている」
「愚かだ」
「それでも会いたかった。どこにも行かないでほしかった」
言葉に、茨木は遠くを見て、それからもう一度俺を見た。
「嫌いだ、汝など」
哀惜と、惜別を籠めたその言葉が、ひどくどこかに痞えた。
*
「取り返しに、か」
吾はぼんやりとつぶやいた。この腕を斬られた痛みがまだ残っている。
「つくづく、愚かな男だ」
そうしてぼんやりと言う。
「吾らは出会わぬほうが良かった。吾らは何も交わさぬほうが良かった」
刃も、情も、怨嗟も、哀惜も。
「出会わぬほうが、健全であれた。だが、出会わねば純然であれなかった」
吾は汝に出会わねば、鬼であれなかった。
「それは確かだよ、綱」
だから。
「だから吾は汝が嫌いなのだ」
鬼である吾を認めず、それでありながら首を欲し、それでありながら再会を望み、それでありながら吾を欲するお前は。
「欲深い、とても」
悲しいほどに。
*
「首が、欲しい」
ぽつり、とつぶやく。あの女の首が欲しいと思った。鬼ではないのに。いけない、と思った。
「お前は鬼ではないのに」
なぜ獲らぬ、と聞かれて、返答に窮した俺は、お前が鬼に見えているのだろうか。そうだとしたら、それはひどく、ひどく歪な感情。
「お前を鬼にしたのは俺かもしれないな」
ぼんやりと言う。鬼ではないと知っている、知っていた。だけれど、その首が欲しいと思った。だって。
「なぜ別れの言葉を言う、茨木」
『嫌いだ』と彼女は惜別の如く、哀惜の如く言った。それが別れ悲しむ言葉だとどこかで知っていた。
お前と別れたくなかった。
だからお前の腕を斬った。
お前が取り返しに来るのを待っていた。
浅ましい。
お前と別れたくなかった。
だからお前の首を斬らなかった。
お前を失いたくなかった。
おぞましい。
この感情に、なんと名を付けようか。寂しい?愛しい?苦しい?美しい?
言葉は湯水のように溢れた。彼女への感情があふれ出すように。
「どうして」
小さく言う。幾千年の果てに出会って、どうしてまた別れねばならぬ。どうしてまた、お前は別れの言葉を言う。いとも容易く。
「ならばその首を斬ろうか」
そうすれば、お前はこちらを見るか。
『吾を見ろ』と彼女は言った。では、お前も俺を見ろ。見て、くれ。
*
「茨木」
「……なんだ」
「考えた」
馬鹿正直に言ったら、ため息をつかれた。ひどく鬱陶しそうに。
「お前とはまだ別れたくない」
「よく回る口だ」
呆れたように言ったその唇に、ふと己のそれを重ねる。彼女は驚いたようにたたらを踏んだ。
「な、んだ?」
「別れたくない、こちらを見ろ」
そう真っ直ぐに彼女を見て言う。見ろ、見てくれ。
「お前の首を獲らずとも、俺はお前を見ている」
見ていたい、その美しいかんばせを。
「なあ、綱よ」
そう言ったら、彼女は俺の顔をその手で挟んだ。長い爪。異形。怖くは、ない。
「吾らは出会わぬほうが良かったな」
悲し気に、彼女は言った。そうしてゆっくりと俺に口づけた。
「あの日に、すべてを置いてきたのだから」
唇を離して、彼女は悲しげに笑った。その笑みが、ひどく嫌だった。
「俺は、お前に再びまみえたことを後悔などしていない。別れの言葉など聞きたくない」
だから噛みつくように、絞め殺すように、息を奪うように口づける。それが正しいかなど、もうどうだっていい。ああ、では、このまま首を掻き斬ればいいのか?違う。俺は、俺は。
「お前をずっと見ていた。お前をずっと」
愛していたんだ、本当に。
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愛しているとかいないとか
2021/2/22
2022/5/14 掲載