願い

『何を躊躇っている?』

 違う。

『これが望みだったのだろう?』

 煩い。

『彼に怨まれて』

 黙れ。

『そんなこと、その程度のこと』

 そうでは、ない。

『駒に怨まれた程度、何を』

 違う、煩い、黙れ、そうではない。

 繰り返した反駁を、『私』が嘲笑う。知っていた。

「ああ、そうだ」

 怨まれて当然だ、と。
 私は彼の信用を、信頼を、憧憬を、思想を、掠め取ったのだから。志士を名乗る資格など、有りはしないのだから。





「……せい、先生!」

 揺り起こされて意識が浮上する。
 声。無骨な手。そこにいるのか、と思ったら思わず手を伸ばしていた。

「田中君か」

 分かっていながら問い掛けて、そうしてその体を支えにする様に起き上がる。

「先生、汗が……。酷く顔色も悪いようですが」

 そう言われて、サーヴァントは夢を見ないし、眠る必要さえないのだということを思い出す。では、あの夢は夢ではないのだ、と私は自分自身納得した。

「そうか」

 あの『夢』のような『記録』を見て、田中君が起こしてくれたのは初めてのことだった。そう思ってから、何を期待しているのだと自嘲に似た笑みが落ちる。
 全てが事実だ。あの日、小さな、いや、本当は命と同じほど大きく重い恨みにつけ込まれた田中君にとっては、そうして私にとってすら、それが事実なのだ。隣にいる資格など、ありはしないと知っていたのに。

「何か、茶でも」

 困ったように眉を寄せて言った田中君の腕に、縋るように、しがみつくように手を伸ばす。振り払って欲しいのに、と正反対のことを考える自分があまりにも滑稽だった。

「あの時の君は正しかった」

 叫ぶように言った言葉に、彼が目を見開く。『あの時』がいつのことであるのかを知っているように。

「どうか」

 言葉にするのはあまりにも重く、そうしてあまりにも浮薄だった。それでも私たちは、言葉にしなければ分かり合えないと学んだのだから。


「どうか、私を許さないでくれ」





 その人に、許さないでくれと言われた時、心の裡に確実に仄暗い火が灯った。違うと思っても、それは事実だった。
 先生に裏切られたことではない。
 ただ、自分自身の、武市瑞山という英傑の中での存在価値が分からなかった。
 知りたいと願った。願った結果がああだったのだ、と仄暗い火が思考を焼いた。その火を吹き消す様に、頭を振る。だけれど火は消えてくれなかった。

「今さら」

 ふと零れ落ちた言葉に先生の体が震えた。ああ、あなたに向けた言葉ではないのに。あなたは優しいから、だから。

「今さら、もう知っています」
「……は?」

 だから、続ける言葉はこちらだった。仄暗い火はゆらりと消えた。

「私は確かに先生をお恨み申し上げた。だけれど、それは私自身の弱さなのです」
「違う!君は弱くない、弱さではない、その信頼につけ込んだ私が!だから、私を許さないでくれと!」

 叫ぶ様なその言葉に、ゆっくり目を閉じる。
 世界はあまりにも早すぎて。条理も不条理も滅茶苦茶で。その中にあって、あなたの理想は輝いていて。
 その隣に居られなかった自分が疎ましくて。
 だけれど、もし許す許さぬという話なら、きっと。

「きっと私は私を許しません。一時でも先生を恨んだ自分自身を」

 だから。

「だから私はあなたを許さないと言わなければいけませんか」

 そう言ったら、武市先生がたじろぐように、それでも腕を放さずにこちらを見上げた。ぽろりと零れた雫が美しいと、場にそぐわぬことを思った。

「許さないと言ってくれれば、それで私が救われる、結局のところ私は!」

 そう言った先生の目を見つめた。言葉は、いつも足りなくて、いつも多過ぎて、だから―――





 私を見返す田中君の透明な視線に、私は返す言葉を持たなかった。
 ああ、そうだ。これで突き放してくれれば私が救われる。それだけのことなのだ。
 なんて浅ましくて、なんて醜い。
 あの日、あの時、死ぬべきだったのは、それならば。

「やっと聞けました。いや、ずっと聞きたくないと耳を塞いでいたのです」
「何……を……」

 私の言葉にゆっくりと彼は笑った。

「先生の本心が知りたかった、欲しかった。傲慢だと知っていながら。聞いてしまったらもう進めない気がしてもいた」

 全てを聞いて、全てを知って、許さないで欲しいという私自身に与えようとした救いすら受け止めた彼に、私は何を返せるだろう。そう、思った。
 私の本心すら、知りたかったと言ってくれた彼に、何を。
 言葉も、言い訳も、理由も、弁明も。
 何も要らない。何もかもが要らなくて、足りなくて。
 ああ、だけれど。それで良いのかもしれないと思えた。もう何もかも、持ち合わせた全てを擲って、そうして私たちは走り続けたのだから。

「許さないでくれ」
「出来ません」

 答えに視界が滲んだ。ああ、私はずっと泣いているのだと気がついた。あの日から、ずっと。

「では、もうどこにも行かないでくれ」

 彼の大きな身体を抱き留めて呟いた。もしも許されるのなら、次こそは。
 次こそは共に歩めればいいと願いながら。




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先生は考えすぎだと思ってるけど田中君も考えすぎだと思うよ(他人事並みの感想)
2021/12
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