おいていかないで


 行かないで、と女は言った。先に行く、と男は言った。
 三文芝居のようなそれ。先に振り切ったのは、どちら?





「このさぁ」
「はい?」
「不倫?浮気?この引き止め方って逆効果よね」

 カルデアのアーカイブで、なぜか昼ドラを見ていた斎藤は、順番順番とDVDを携えてきた沖田をなぜか膝にのせてそれを見ていた。……女性を膝にのせて見るものではないような気もするが。

「もっと具体的に、ということですかね」
「まあ」

 しかしながら沖田はそれに適切な答えを言った。言ってそれから、曖昧に応えた男にとんと寄りかかった。

「斎藤さんは分かってないんですよ」
「え?」
「これはね、引き止めたんじゃないんです」
「……は?」
「これはお別れの挨拶ですよ」

 静かな声で女は言った。

 行かないで、と女は言った。先に行く、と男は言った。
 遠い昔に、自分を見届けたのは、女の方だと彼はやっと気が付いた。
 彼女を見届けられたと信じていた。だけれど、送り出したのは彼女の方だった。

「ごめん」

 彼は短く言ってモニターの電源を落とした。
 こんな三文芝居、自分たちの演じたそれよりも滑稽だ、と思いながら。

「僕は生きた。お前を置いて」
「だから私はあなたを見送った」

 ゆっくりと這い登るような焦燥がひどく何かを駆り立てた。
 あの日、見送られたのは自分だと知ったからかもしれない、と斎藤は思って、すべてを振り切るようにそこを立った。
 まるで、その焼け付くような焦燥から逃れるように。





 不思議なことを言いますね、と彼女は言った。

「あなたが北に行くのを見送ったのは私です」

 いつあなたが私を見送ったというのです。

「あなたが北に行くのを見届けたのは私です」

 いつあなたが私を見届けたというのです。





 一刹那、半歩。

「沖田ァ!」

 叫びはその剣を避けることよりも、その剣で喉元を抉ってくれと叫ぶようだった。
 カルデアのシミュレーションでの戦闘を、だから土方はぼんやりと、そうして飽いたように眺めていた。
 あの、沖田が別れの挨拶だと言った一件以来、斎藤はなぜか積極的に沖田との立ち合いに臨んでいた。まるで、その別れの挨拶だいう言葉を否定するように、なかったことにするように。

「あいつは」

 はらはらとそれを眺めているダ・ヴィンチに、土方は静かに言う。

「本当は沖田に殺してほしいのさ」

 ガキだからな、と続けて。





「さいとーさん、また手を抜きましたね」
「抜いてませーん。猛獣使いじゃないから運動程度でやめてるんですー」

 そのじゃれ合いだと言って憚らない戦闘の後にそう言って出てきた二人に、ダ・ヴィンチは毎度のことながら本当に霊基が壊れるのではないかとはらはらしているのに、と思った。

「ガキが」

 それに土方は一言言った。ダ・ヴィンチは気づいていない。二人が立ち合うときには、必ず彼がいることに。





 一刹那、半歩、取った、と思った。今なら喉を抉る突きを放てる、と。だけれどそこで沖田は今日の仕合はおーしまいとばかりに手を止めた。いつものことだった。

「ねー、沖田ちゃん。いっつも思うんだけどさ、殺してくれていいのよ?」

 僕負けたんだし、と斎藤は続けた。

「えー?だって霊基が壊れたらマスターに怒られますし、斎藤さん最近仕合によく付き合ってくれますし」

 デメリットしかないです!と言った彼女を、彼はぼうっと眺めた。

「お前を置いていった僕を、許せるのか」
「はい?」
「どうして」

 からんと彼は刀を落とした。

「殺して、ほしい」

 水の中で喘ぐように、男は言った。女はただそれを見つめていた。





 あの日、あの時、彼女の言葉に従って止まっていればよかった。
 違う。あの日、あの時、彼女に止めてほしかった。道行を、力を、命を。ああやっぱり。見届けたなんて嘘だ。見送られて、見届けられて、生き続けた自分を、彼女はどう見る、どう思う。

「だからお前はガキなんだよ」

 斎藤に、土方は短く言った。彼はその意味を知っていた。だけれど理解したくなかった。先にシミュレーションルームを出た彼女を追って、斎藤は言った。

「止めて、欲しかった」
「分かっています」

 ああそうだ。いつも先に行くのは彼女の方だ。それを追って、それを辿って、だけれど彼女が止まってしまったら、一緒に止まりたかった。
 だけれど自分が進んでしまったのなら。

「お前に、止めてほしかった」

 言葉に女は優しく笑った。それは緩やかな拒絶だった。

「できません、やりません」

 言葉は無情に、だけれど柔らかに彼を抉った。

「あなたは生きて、行かなかければならなかった」

 それは彼の望みだろうか、彼女の望みだろうか。誰の望みか、きっと知っていた女は、優しく笑った。

「私は、あなたは、それを望んだのだから」


 言葉は静かに落ちた。





 行かないで、と女は言った。先に行く、と男は言った。
 それは三文芝居のようだ、と思っていた。
 自分たちのそれは、まるで三文も値がつかないような芝居だ、と。

 だけれど本当は。

「見届けたつもりだったのに」

 一人の部屋に言葉は静かに降り積もった。

「結局見送られたのは僕で」

 しんしんと、降り積もるように。

「僕は生きてしまった。沖田ちゃんに見送られて」

 見届けたと思っていた。見送ったと思っていた。
 誰も彼も止まってくれないと思っていた。
 だけれど、本当に止まらなかったのは自分なのだ、という現実を突きつけられて、じゃあどうして自分はここに「新選組」としているのか、と思った。

「嫌いだ」

 何もかにも。新選組にいられなくなった女も、ここが新選組だと北に進み続けた男も、そうして何より、すべてを見届けた、などという妄言を吐く自分自身も。

「おいていかないでくれ」

 祈りのような呪いのような、怨嗟のような悲嘆のような声が、狭い部屋に落ちた。





「私はあなたを置いていった」

 ゆっくりと、沖田は言った。アーカイブで流れているのは前に見ていた昼ドラなんかじゃない。静かな音楽と、映像だけの散歩のようなそれに最近彼女がハマっているのを、確かに斎藤も知っていた。

「斎藤さんの望みを知っていました。だけれど」

 そう言って、画面を見つめたままで彼女は言葉を切った。

「だけれど、私はあなたを見送った。行かないで、と別れの挨拶を言った」
「『行かないで』、への応えは『先に行く』か」
「そんなものです」

 人なんて、男と女なんて、私たちなんて、と沖田は続けた。

「積水極むべからず」

 静かに、異国の別れの挨拶を沖田は言った。 「だから、斎藤さんがどんなに殺してほしくても、どんなに止めてほしくても、私はそれをしません。それは、私がもうあなたに別れの挨拶を言ったからです」

 静かに、言葉は降り積もった。

「もう一度お別れなんてしたくないもの」

 そう言って、沖田は斎藤を振り返った。画面から漏れる青白い光が、彼女の白い顔をより美しく見せた。

 行かないで、と女は最期に別れを言った。
 先に行く、と男は最後にそう応じた。

「だからもう、別れの挨拶はごめんです」

 誰とだって。何とだって。

 どちらがどちらを置いていったのか、もう誰にも分からない。