何かがおかしい。
 召喚されて思ったことはそれだった。

何かが、おかしい。


Paradise paradigm


 トップサーヴァント・スカサハは、ムーンセルによって召喚された。
 スカサハはランサークラスのトップサーヴァントであり、SE.RA.PHのイレギュラーな事態へのムーンセルの対応策としてサーヴァントとして召喚された「英霊」である。

 上記の知識と、カール大帝を討て、というムーンセルの指示を受けた私は理解し難い内容のそれを敢えて理解しないように、細心の注意を払ってカール大帝とやらの許に向かった。
 私が細心の注意を払ったのは進軍ではない。
 それを理解してしまわないことだった。

「それが私が大帝に賛意を示した理由だ」
「はあ?」

 レガリアによって再現界した師匠とオレは鍛錬を付けるという名目で度々打ち合っていた。なぜ、彼女がここにいるのか。なぜ、彼女ほどの英傑が天声同化を受け容れたのか、なぜ、受け容れながらもルーンで自意識を保ったのか、そうしてなぜ、賛意を示した、などという訳の分からないことを言ったのか。ずっと聞こうと思いながら、その度に俺はそれを聞かない方がいいと思っていた。俺の理性がそれを拒んでいた。


 なぜ彼女がサーヴァントなのか  ・・・・・・・・・・・・・・


 それを理解することは、おそらく恐ろしいまでに悲惨な理由だとしか考えられなかったからだ。
 そして、今日。いつも通り森を走り槍を交わし、ズタボロにされた末に辿り着いた泉で水を汲んでオレの傷口にぶちまけた師匠は、水に濡れたオレをまじまじと眺めながら「何かがおかしいと思っていた」と話し始めた。
 それはオレがずっと聞きたいが聞くことを避けてきたことで、彼女が理解しているが理解を避けてきたことだった。

「お前の傷口からは血が出るな、セタンタ」
「アンタがやったんだろーが」
「ああ、そうではない。そうではないよ」

 子供に言って聞かせるように、彼女はそう言いながら傷口で固まった血が水で流れたのを見てから、ルーンでオレの装束を編み直した。相変わらず途方もない魔術だ。

「セタンタの傷口からも血は流れたし、英雄クー・フーリンの傷口からも血が流れた」

 歌うように彼女は言って、泉からもう一度水を汲み、美味そうに飲んだ。

「そして、英霊クー・フーリンの傷口からも血が流れる」

 ふふと女は笑った。

「私は考えないようにしてきた。私がなぜ、英霊の座についているのか」
「……」
「私の記憶が間違いでなければ、あの神々に祝福された世界の中でお前は死んだ。私が予言したように。しかし私は死ななかった。影の国は滅びなかった。私は死ねなかった。そう、あれらは今の世の人間にとって神話や伝説であるかもしれないが、我らは確かに存在したのだ。そうしてお前は死んだ。私は生きた。人々はケルトの神を忘れ、アルスターの騎士を忘れ、フィアナの騎士を忘れ、それを物語にしてしまった。しかし我らは存在した」

 そうだ。オレの英雄譚は、彼女の武芸は、「神話」として存在するし、オレは神の子であるが、それらはすべて「物語」として語り継がれている。シャルルマーニュがオレに向けた眼差しと言葉は間違い様もなく「空想の世界の」英雄に注がれるそれだった。

「私は存在した。人々が神を忘れ、私を忘れ、それが空想の物となってからも、影の国で私はひとり生きてきた。人が忘れても神はいた。私はいた。そうして私は私を殺し得るものを望み、幾たびも神を殺した。私にはもう望むべき美しい死などない」

 そうだ。だから、オレは、或いは彼女は、オレたちは、彼女がここに現界したことを理解しないために必死になってすべての事柄から目を逸らしてきた。

「ムーンセルというのは私の理解が正しければ、いわゆるアカシャ年代記、アガスティアの葉、或いは阿頼耶識、集合的無意識を観測するために地球という星の外部に設置された装置だろう?」

 誰だか知らないが悪趣味な話だ、と彼女は皮肉気に続けた。

「ムーンセルというのもそうそう賢くはないらしい。地球という生命体の過去も現在も未来も観測することができるくせに、本当の意味で地球と自身の未来は観測できないときた」
「やめろ」

 オレは思わずその女の言葉をさえぎっていた。さえぎられた当人はふふふと笑っただけだった。

「何を怒る」
「アンタは生きている」

 オレは気がついていた。

 彼女が死を望んでいたことを。その一方で、何者よりも正しく影の国の王であったことを。何者よりも強く慈悲深い教師であったことを。

 そのすべてが、過去のことになっていたことも。

「死んだのだろうよ。私がここにいる、私が英霊になった。ムーンセルとやらの観測した未来で影の国は滅んだ。私は死んだ。だからここにいる」

 やめろ、やめろ、やめろ―――

「すでに私は夢幻の住人だった。その私が死ぬためには私を書き残した物語を殺すしかない。それはつまり、私を伝える民族、文明を滅ぼすよりほかないということだ」


 そんな未来をオレは知らない。
 そんな事実をオレは知らない。


「皮肉なものだ。阿呆とも言うな。私を呼びだせたということは、地球の文明は滅ぶ」

 すんなりと彼女はそう告げた。その唇には薄らと笑みさえ浮かんでいた。

「やはり私には真っ当な死など訪れないようだ。星食いに食われて文明が滅んで、私を書き残した物語も消え去る。そうしてやっと私は死ねる」

 望むものはいつも得られない。
 オレたちはそれを知っていた。
 オレは、オイフェを討ち、エメルを裏切り、モルガンを拒絶し、そうしてスカサハとの誓いを破った。そのために死んだ。そのために死ぬだろうことを、彼女は知っていた。
 知っていたから師匠は言った。あの国で一年と一日が経ったその時に、歌うように彼女は言った。

『セタンタよ、友を殺してはいけない。私の弟子ならばこの誓いを守るがいい。だがお前は友を殺すだろう。そしてお前は死ぬだろう。お前は若く好色で、しかし最強の武人としてエリンにその名を残すだろう。私はお前に一年と一日の内にあらゆる武芸と魔槍と魔術を授けた。さりとてお前は誓いを破ったために死ぬだろう』

 その呪いめいた言葉と呪いの朱槍を持ち帰って、オレはまさしくその通りに生きて死んだ。
 オレは名声を得たが、本当に欲しかったものはいつも手に入らなかった。
 大切なものはいつもこの手から零れ落ちた。

「私は死にたかった。影の国は昏すぎた。国は戦いが絶えず、私をおとなう者は皆、あらゆる武芸を求めたが、私の教えに足るものはなかった。そこにお前は現れた。お前は光り輝いていた。私の持つすべてを教えるに足ると私は覚った。一瞥で十分だった。お前は私の全ての技芸を受け継ぎ、アイフェを討ち、この昏い影に一瞬であっても光をもたらすだろうと。そうしてお前はその輝き故に、アイフェの心を奪い、エメルの、メイヴの心を奪い、そうして、その輝き故に、その輝きのために、死ぬだろうと私は知った。一瞥で十分だった。なにせ―――」

 続きを言われる前に彼女の唇を奪う。その続きをオレは知っていた。知っていたのに、オレはあの国を出たのだから。

「言うなよ、そういう野暮なこと」
「野暮?そうかな」

 可笑しげに言って、彼女は離れていくオレの唇を美しく整えられた指でなぞった。

「私がお前の光輝く姿に心奪われるには、一瞥で十分だった」

 知っていたんだ。
 師匠が、スカサハが、オレを愛していてくれたことを。
 分かっていたんだ。
 オレは、師匠を、スカサハを愛してしまったことを。

 だけれど彼女は影の国の女王であらねばならず、オレはエリンの騎士であらねばならなかった。


「眩しい」


 彼女はそう言ってごろんと草の上に寝転がる。そうしてオレを視界から外すように腕で目許を覆った。

「私は初めて思ったのだ。生きたい、と。あの昏すぎる影の国の中で、お前と過ごした日々はあまりに光り輝いていた。手放したくないと思った。だけれどお前があの国を去ることを私は知っていた。私がお前に心を奪われるのと同じように、初めから決まっていた。だからせめて、セタンタが死なぬように、あらゆる技芸を、武芸を、魔術を教え、最も呪わしい槍さえ与えた」

 顔を覆って、彼女はくぐもったような声で笑った。

「私は酷い師だ。その槍がお前の心臓を貫くことを知っていたから与えたのだ。お前を殺したのは私だよ」

 ははは、と今度こそ彼女ははっきりと笑って空を見上げた。腕をのけても、一向にこちらを見てはくれなかった。

「私は私を殺す槍を求めていたのに、私は私の手でお前を殺したのだ。殺しておきながら、私は未だお前に殺されることを願っている」

 そう言った彼女の顔を、無理やりに覗き込む。覆いかぶさるように、彼女から陽の光を遮るように。


「まぶしい」


 たどたどしい声で、彼女は言った。そうして真上にあるオレの顔の輪郭を撫でた。そこに、オレが、或いは彼女自身がいることを確かめるように。

「信じてくれ、セタンタ。私は確かにお前を殺した。

 だけれど私はお前を生かしたかった。だからあの槍をお前に授けたのだ。
 だけれど私はお前の幸福を願った。だからお前が国を去ることを許したのだ。
 だけれど私はお前に殺してほしかった。だからお前にすべての法を授けたのだ。

信じてくれ、セタンタよ」

「信じるさ、アンタはオレに嘘をつかないし、オレを裏切らない」

 そうしたら、彼女の頬を一条の涙が伝った。

「生きたいと、大帝は願っていた。或いは善き王であろうとしていた。或いは、唯一人の姉のために理想を見た。理想という夢幻を見た」

 泣きながら、彼女は微笑んだ。

「私は善き王であらねばならず、或いは、唯一人の男のために理想を見た。そうして願った。生きたい、と。願いという夢幻を見た」
「それが理由?」
「そうだ。賛意を示す、などという大仰なことではないのさ。ただ彼は私の理想を或いは形にしてくれるのではないかと思った。そうして同化は始まった」

 寝転ぶスカサハに覆いかぶさって抱き起こす。その体は薄く、とても軽く思えた。そのまま抱き締めても彼女は少しも抵抗しない。力を籠めれば今ここで、殺せてしまいそうなほどに。

「私は、私がお前以外に殺される未来に耐えられなかったのだよ」

 訥々と彼女は言った。

「殺せる誰かを求めたのではないのだ。生きたかったから死にたかった。光り輝くお前と共に生きたかったから、その最期も、お前に殺してほしかった」

 すべての者を救済する誰かがいるのなら、すべての者を救済する何かがあるのなら、もしかしたらそれは、全てを消し去る魔法かもしれないとオレは思った。
 それは誰も幸せにはしないのだけれど。
 仮初の幸せしか与えてはくれないのだけれど。

「お前に出会わなければよかった」

 今まで力のこもっていないと思っていたスカサハがオレを強く抱き返して、そのまま押し倒す。ああ、力を籠めれば殺せるなんて、やっぱり幻想だ。

「お前の輝きを見なければ、私は影の国で静かに戦い続け、世界の終焉を迎えただろうに」
「そーかい」
「お前を愛してしまわなければ、お前を愛したことすら、忘れることができたなら」

 覆いかぶさる彼女を、オレは抱き留めた。草原に二人で寝転がる。いつか遠くの記憶がよみがえる気がした。その記憶の中で、オレはだけれど彼女の腕の中にいた。今、彼女はオレの腕の中にいる。

「このまま寝てしまおうか」

 腕の中で囁くように女は言った。

「目が覚めたら消え失せるゆめまぼろしのごとくならば、それでいい」
「良くない。アンタはここにいて、オレもここにいる」
「そうか」

 寝てしまおう。
 彼女が死んだなんて、星が死んだなんて、オレが死んだなんて、今はどうでもいい。
 二人抱き合って寝て、起きたらまた槍を交わそう。
 いつかあの昏い国で繰り返した日々のように。
 そうして日は落ち、また昇る。
 あの日々をなぞるように、今だけは繰り返そう。

 世界の終焉なんて、どうだっていい。


 楽園はここにある。


 だから今は寝てしまおう。
 目が覚めたらすべて消えてしまうとしても。

「愛している」
「忘れてしまえ」

 何もかも。




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LINKがいろいろオワタ式に思えたので。詳しくは掲載時のブログに譲ります。

2018/10/14 ブログ掲載 2018/10/25 サイト再掲