律の調べ
秋、襲の色目の美しい着物を着たその方は、ぽろりと琴を奏でていた。この方が籠られたこの邸に出入りする者は少ない。何の曲であるかは、俺には分からなかった。
「何をしている?」
そうしていたら、ふと庭先でその方の娘御を見つけた。少女はいつもどこか隠れるようにしていたのを覚えている。
「爪」
「え?」
少女は小さく言った。その手にはめられていたのは、琴を弾く時の爪だった。
「母上が厳しくて、逃げてしまいました」
「琴の練習か?」
「はい」
どこか落胆したように少女は言って、それからその爪を外してしまう。
「どうして、母上のようになれないのでしょう」
息をついて、彼女は秋の高い空を見上げた。
*
大江山で斬り落とした腕を見る。この腕を取り返しに、茨木童子は来るだろうか、と思いながら。鬼の、鋭利な爪。
「これでは、琴は弾けぬだろうよ」
ぽつりとつぶやいて、それから自分は何を言っているのだろうと可笑しな心持になった。秋のあの日、美しい音色をさせていたあの方と、そのようになれぬと息をついて「爪」を外した少女と。
「茨木、覚えているか?」
あの日のことを。いや、きっと覚えてなどいないのだろう。
ふと思う。あの日、あの時、俺が何かもっと言葉を掛けることが出来たなら、あるいは、などと。きっと変わらないと知っていたけれど。
「お前の奏でる琴が聴いてみたかった」
叶わぬ願いを口にしてみる。ああ、俺はいつも彼女の美しさすべてを台無しにしてしまう。
そうだというのに、彼女を斬ることだけが、あの日、あのすべてを奪った「鬼」を斬ることだけが俺の人生の全てなのだと知っていた。
抱えた大きすぎる矛盾に、静かに目を閉じた。秋の空は高く、空気はひどく澄んでいた。
「この爪では、弾けぬよ」
もう一度、戯言のように呟く。
思い出してくれと願いながら。
すべて忘れてくれと願いながら。
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これもお題に沿って書いた話でした。この二人というか綱さんはいろいろ屈折していると思った。
2021/6/10
2022/5/14 掲載