墨染桜


 その寺には墨染の衣を着た若い僧侶が多くいた。ああ、そうか、あの方はもう亡くなったのだ、とその時になって思った。ひどく実感がない。それよりも思い出されるのは、下手人、と呼んでいいのかも分からぬ小鬼の足跡だった。

「お前は、何を」

 なぜ、鬼に変じたのだろう、と。
 なぜ、あのままでいられなかったのだろう、と。
 白い雪が全てを塗りつぶす。春はまだ遠い。





「まだ何も思い出さぬか」
「何のことだ」
「いや、なんでもないさ」

 カルデアはひどく不思議なところだ。あるいは、俺に会えば彼女が全てを思い出すと信じていたのに。だけれど彼女は何一つ思い出さず、そうしてこの世界は白銀に覆われているという。桜の一つも咲かぬという。

「綱よ、吾に何を見る」
「……なんだろうな」

 あの方を見ているわけでは決してないのだ。ただ、俺の刀は、人生は、お前を斬るためにあった。だけれど、それはお前の全てを、お前の美しさをすべてすべて壊してしまうものだとも知っていた。だから。

「会いたくなかったよ」
「吾は知らぬ」

 汝が勝手に来たのだろう、と茨木はつまらなそうに言った。それも、そうだ。

「だがな」
「うん?」
「貴様に会えば、狂を発すると誰かに言われた。酒呑だったかもしれぬ。それも思い出せぬ。だが、結局」
「俺に会ってもなにも思わぬ、か」
「貴様が吾に何を見るかも言えぬのと同じことであろうよ」

 そうして、俺たちの間には空白が落ちた。ああ、お前を斬ることも出来ぬ俺は、俺を見ても平然としているお前は。
 なんて、悲しい。なんて、おぞましい。

「この春ばかりは、墨染に」
「桜に願うにはいささか無理な願いよな」

 言葉にふふと彼女は笑った。
 貴女の死を悼むから、貴女の忘れ形見を守るから、そうしていずれ、斬ってしまうから。だから、この白銀の地に桜が咲くのなら。

「この春ばかりは」
「咲かぬよ」

 そう茨木は言って、遠くを見つめた。

「咲けぬよ」

 静かに、そう言って。




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お題に色の名前を頂いて書いた話でした。墨染に咲く桜。綱さんは茨木ちゃんに何を見るのか。
2021/6/9
2022/5/16 掲載