疾うに
「炬燵で蜜柑。ンン、ダ・ヴィンチ殿、空気読めないとか言われません?」
「ああ、大柑子のことかい?十二個積み上げてあげようか?」
「怒りますよ、拙僧の心は瀬戸内海くらいしかないので」
そう適当に言いながら蜜柑につぷ、と爪を立てる。別段構いはしないが、この蜜柑が鼠に変わる訳でもなし。それよりも今は、と思いながらむいて分けた蜜柑を炬燵というか自分の膝の間に丸まってぐずぐず泣いているマスターの口許に運んでみる。
「ほら、蜜柑ですよ、蜜柑」
「どうまんの、ばかぁ」
「馬鹿とか仰いますか、この期に及んで」
訂正させていただくと儂の心の広さなど瀬戸内の海ほどの広さもないというか、その辺の池くらいあればいい程度のため、これはいけない、本当に。
「別段構わないでしょう。というかあの場で拙僧が残らなければ御味方総崩れ。そんなものはマスターも見たくないでしょう。ほら、蜜柑お食べなさい」
繋がっていない言葉を言えば、もくもくと切り分けた蜜柑を食べた少女の眼前にいたダ・ヴィンチ女史が困ったように立ち上がる。
「私の責任でもあるんだが、ゴルドルフ君に呼ばれてしまった。アフターケアを任せていいかい?」
「うーん、この場合の原因的な拙僧に任せていいのかという正論吐いてもいいです?」
「だって立香君が君の膝から動かないから」
「すごい責任転嫁ですねぇ」
「どうまん、どこかいくの?」
ああもう、子供帰りまでしているとか、どうしようもないですね!
*
事の起こりは数刻前。レイシフト先で起こったいつもの通りの修羅場の果てで、囮を一人残すという話になった。マスターに同行していた儂はたまたまというか、いつも持っていた型紙一枚で事足りる話だなとそれを引き受けたが、そこまでは良かった。
どうせ式神、仮に自身が出向くことになっても大したことではなさそうだから引き受けたはずのそれは、面白おかしい修羅場になってくれた。式神が引き裂かれてこれはずいぶん、と出向いてみれば、腹に風穴が開いて貧血気味になるくらいだから中々に厄介な敵だったということになろう。
『まあ片付けましたが』
ぼんやりと回収を待つ。霊体化する気力もないほど血を流すとは、自分にしては下手を打ったな、くらいに思いながらぼんやりしていたら、二人分の悲鳴が聞こえた。ああ、これはマスターとダ・ヴィンチ女史。確かにこの作戦立案はダ・ヴィンチ女史でしたが叫ぶほどです?これ?と思っていたら、どんと軽い体がぶつかってきた。
『なんで、どうまん、こんな、たのんで、ないのに!』
『え、ダ・ヴィンチ殿には頼まれましたが』
半分ふざけて言ったらすぐに令呪を使われた。焦りすぎでしょう、それにしたって。
そう思っているうちにマスターがぴったりくっついて離れなくなった、とか笑い話ですかね。
*
「まあどこにも行きませんが」
そう答えて蜜柑をもう一つむく。どこで育ててるんですかね、これ。儂が言うのもすごくアレですけど、地球白紙化してますし、培養するには蜜柑って大きすぎませんかね、なんだっていいですけども。
「本当に、どこにも行かない?」
「ンン?お疑いになる?」
「だって、勝手に行って、血で、いっぱいになって、それで」
ぐずぐず泣きながらマスターに縋られる。とことん懐きましたね、これ。
「というか私サーヴァントですよ、サーヴァント。いいじゃないですか」
「だめ、だって、痛い」
「まあ痛いですが」
「ほら」
痛みなど疾うに忘れてしまったと思っていたのに。
悲しみも、愉悦も、どこかに置いてきたつもりだったのに。
「痛いですから、どこにも行きませんよ。貴女が拙僧のマスターになどなってしまったのだから」
「……え?」
驚いたようにこちらを見上げた、膝の間で丸まる彼女の口に蜜柑を入れる。
「地獄の底までお供しますよ、マイマスター」
まあ、嘘ですが。
地獄を観なくていいのですよ、貴女は。
ぽろりとこぼれた雫に、柄にもないことを思った。地獄、辺獄、煉獄。どこにも貴女の居場所はない。ただ自身が黄泉に赴くのに引きずり込もうなどと、なぜかもう思えない。
「蜜柑でも食べていなさい、貴女は」
「道満?」
「痛みも、悦楽も、悲しみも、貴女には似合わない」
だから私はどこにも行かない、と続ければ、不思議そうな双眸からぽろりと雫が落ちた。
ああ、この身は疾うに、魅入られている。
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一回絆されるといろいろあるような気がするし懐くと思う。そして道満の心は金魚鉢位だと思う(狭すぎだろ)
2022/4/26
2022/5/6 サイト掲載