「幻想、か」
壊れかけた霊基で山南はつぶやいた。沖田にまた自分を看取らせてしまうのがどうにも惜しく、そうして情けなかった。
「沖田君、これは私の幻想と妄執が創り出した特異点なんだろうね」
「そんなこと、ないです。山南さん」
血みどろの彼に声を掛けた沖田に、ああ、だからここに連れて来たくなかったのだ、と斎藤は思った。
そうしてだけれど、最後に山南が振り返ったのは沖田ではなく、斎藤でもなく、土方だった。
「必ず、伝えてくれ」
「おう」
『山南が謝っていた』と。
忘れねばこそ、
「忘れねばこそ、思い出さず候」
一人のそこで、土方は一人の男を思ってつぶやいた。
*
「結局」
沖田はぽつんとつぶやいた。カルデアの一角、ボイラー室ではないそこ。隣には斎藤がいた。土方の姿はない。
「結局のところ私たちが子供ということなんでしょうか」
それに斎藤は特段の返事をせずに壁にもたれたまま首を傾げた。傾げた?疑問に思うところなど何もないのに。だけれど彼女の言葉は棘の様にどこかに引き攣るような痛みをもたらした。
「土方さんは山南さんの話をしませんね」
「そうだね」
斎藤はやっと短く答えた。
「私はまた山南さんを看取ってしまったけれど、それは私が子供だから、でしょうか」
彼はそれに応える言葉を持たなかった。
彼女を山南のもとに行かせたくなかった。だけれどそれがどのような感情で、例えば彼との一切をなかったことの様にできる土方とは全く違う方向性なのだ、と知っていたからかもしれない。
行かせたくなかった。彼女にまた山南を看取らせるのは酷だと思った。
だけれど土方は違った。彼女が来て、芹沢と山南の最期を看ることを信じていた。そうして信じていたのに、彼は山南のことを顧みない。
振り返らない。
「違うって、分かってはいるんです」
彼女はやはりぼんやりと、茫洋と言った。
「山南さんが近藤さんに謝ることなんてない。だけれど土方さんはきっと山南さんの言葉を近藤さんに伝えるし、その時そこに山南さんはいないんです」
だから、と彼女は続けた。
「だから、山南さんのことを土方さんがまるきり忘れたわけでも、顧みないわけでもないのは分かる。分かるけれど」
寂しいのだろうか、悲しいのだろうか。ずきずきとまでは言えない。ただひりひりと痛む。
(痛む?どこが?)
斎藤は彼女の言葉を引き継ぐように自身に問いかけた。彼女は痛むなんて言っていないのに、二人にとってそれは小さな、どこか引き攣るような傷だった。
「僕たちはやっぱり子供なんだね、きっと」
「そうでしょうか」
そう、斎藤もぼんやりと言った。いつか、芹沢に言われた言葉を思い出しながら。
「だけど、僕は生きた。生きてしまった」
その生を否定するように、彼は言った。
「芹沢さんも、山南さんも、伊東さんも、局長も、副長も、況や沖田ちゃんも見送って、見届けて、生きてしまった」
「それは悪いことではありません」
「うん。でもそれだけ生きて、生き続けても答えが出ない」
こうして二度目の生を得ても、と斎藤は続けた。それに沖田はゆっくりとうなずいた。
「たぶん、きっと、分からないけれど、もう一度、あの新選組という組織があることができて、芹沢さんについて行けばなにか変わったかもしれないという山南さんの思いを、土方さんは知っているんです」
分からないけれど、ともう一度沖田は続けた。
「そうかもしれない」
斎藤は静かに言った。
そうかもしれない。土方は、自分たちよりも山南敬助という男のことを「知っていた」。
「理解していた」。そうしてきっと分かり合っていた。
互いに副長として、その奥底までもが見えていた。
それを自分たちに覚らせずに、ただ規律を敷いた土方と、ただ笑っていた山南と、その二人はきっと分かり合っていた。
「助け合うことも、できたかもしれないのに」
沖田の言葉に、だけれど斎藤はそれは違うと思った。思って、気が付いたらそれは口を衝いて出ていた。
「それは違う」
「え?」
「二人は助け合ってはいけなかった」
「どういう……?」
理解が追い付かない、というふうの沖田に、彼は自分の中でも答えが出ていなそれをゆっくりと言語化した。
「二人が、全く違う方向性で、同じところを見ていたから新選組はなんとかなっていたんだと思う。だから局長は山南さんを斬らせたくなかった。だけれど副長は斬らなきゃ進めないのを知っていた」
「……山南さんは、私に斬られるのが当たり前だと思っていました」
「そう、だね」
「斬られることが、新選組のためになると、あの人は知っていた」
彼女はそう言って、それじゃあやっぱり、分かっていないのは私たちの方だったんだ、と思った。
「あの邪馬台国は」
沖田はつぶやいてそれからぼうっと斎藤の顔を見た。芹沢に子供、と言われた遥か昔を思い返しながら。
「きっと山南さんだけじゃない。ここが新選組だと言う土方さんも、それに従う私たちも、違う未来を描いた芹沢さんも。みんながみんな信じた新選組が創り出した特異点だったんです」
きっと、ともう一度彼女は続けた。
それに斎藤は答えずに、中空に目を向けた。何かを思惟するというよりは、何かを思い出しているようだった。
「末期まで」
「え?」
「見届けてしまったのなら、その一端に僕はなれたんだろうか、と」
それは、新選組という一つの時代を見届けた、見届けてしまった男の妄執だった。
そのことを、彼女は知らない。知る由もない。
「僕だけの、思い出」
ふざけたように、それなのに静かにどこか遠くを見るように、彼は言った。その意味を、彼女が知る日など来ないことを祈りながら。