亡羊


 甲斐で、こちらがジジイの姿で出会った斎藤一は、隊服ではなかったが、若い姿だった。似合いの罰だと一瞬思って、それからゆっくり目を閉じた。
 自分の英霊としての姿に若い頃があったとして、それでもふと思う。
 新選組を、彼を捨てたその甲斐の地で、儂に隊服を着る権利も、或いは斎藤のその姿を見る権利も、きっとないだろう、と思った。
 だから。





 斎藤一とは、前世……英霊にとって前世と言っていいのか知らないが、その頃から身体の関係があった。
 嫌いだ嫌いだと言い募るが、戯れのようにじゃれてくる斎藤は、思うよりも可愛い年下のガキだった、のはあるが。

「最初は粛清だったな」

 土方の言うことならなんでも聞くくせに、本当はそこまで心が強いわけではない、というよりかはただのガキだったくせに、一丁前になんでもできる振りをして、その割に、仲間……仲間だった誰かを斬って、部屋から出てこなくなった斎藤がいた。『放っておけ』と土方は言ったが、そこにふらりと立ち寄ったのは気紛れか、それとも過保護すぎたのか。

『引きこもってんな、何かあったのか?』
『知ってるだろうが、ほっとけ!』

 噛み付いてきた斎藤の目の下はいつも以上に真っ黒で、こんなガキ一人にそうやって背負わせて、何になるんだと思った。

『馬鹿っ八なんか嫌いなんだよ、出てけ』

 ぽつりと言った斎藤に、ふと面倒になって口付けた。若いだけあって思ったよりも柔い唇が何とはなしに面白かった。

『な、に……?』

 驚いたように言った彼に言ってみる。

『じゃあその嫌いな俺のせいにしとけ』
『え……?』
『おまえは、どうせやれって言った土方のこと恨めないくせに、自分だけ斬った、殺したって空回りするくらいなら、いつも通り嫌いな俺のせいにしとけばいいんじゃねぇの?』
『……は?』
『「嫌いな新八が馬鹿だから俺にお鉢が回ってきた」くらいは平気で言うだろ、おまえ』
『新八のせいじゃ、ない』
『だがよ。なんつーか……馬鹿馬鹿しいじゃん、もう終わってんだから』

 そう言ってその日はそのまま斎藤を抱きかかえて寝ていた。
 そうやっているうちに、気が付いたらそういう関係になっていたのだから、まあ何と言うか、お笑いだ。



 だからあの日。あの日、近藤さんに、土方について行けないと思った時、二人を止めようと、いや、止めようとしても止まらないことを知っていても、もう俺には何も出来なかった時、俺は斎藤に自分で選べとでも言うように吐き捨てた。それがきっと、斎藤の選択だろうから、と思った。

『斎藤は来るか?』

 言った言葉に、斎藤の瞳は明らかに動揺していた。来るはずがないと知っていたのに、それでもそこに映った動揺に、僅かばかりの期待をしたのは俺が馬鹿だからだろう。
 それとも、斎藤自身が俺がそうやって新選組を見限るはずがないとでも思っていたのだろうか……いや、それも違うな。
 自分が選ばれると思ったのだろうか?そんなこと、あるはずもないと知っていたのに。斎藤はきっと選べると知っていた。それが俺じゃないことも知っていた。
 どんなに身体を重ねても、どんなに掬い上げようとしても、それでもきっと、自分の手から零れ落ちていく斎藤のことを、俺は知っていた。知っていた気になっていた。
 こちらに来いと言えなかった。悔しかったし寂しかった。恨めしいとさえ思った。
 どんなに与えても、どんなに重ねても、結局俺は選ばれない。それが斎藤の選択だから、それを俺は選ばせたんだから。
 だけど、こちらに来いとも、そっちに行くなとも、俺は言わなかったじゃないか、と思った。全て選んで、生き残って、笑う斎藤を見て、斎藤の選択を見て、近藤さんと土方について行って、土方を必死で止めて、それでも戦って、生き残って、大切な人が出来た斎藤を見て、ほっとした。ほっとして、嬉しくて、悲しくて、悔しくて、恨めしくて、だけれどやっぱり、嬉しくて。
 なんて、酷い男なんだろう、と思ったから。もしも、次なんてそんな都合のいい世界があるのなら、今度こそ手を離さないと決めたから。





 ああそうだ。酷い男だな。
 喪って気が付いた。斎藤が土方に着いていくと言って、分かっていたのにどうしようもないほどに亡羊とした。
 道に迷ったのは、いや、道を選びきれなかったのは本当は俺の方で。
 岐多くして羊を亡う、とはよく言ったものだ。
 俺が失ったのはただ一人だったから、意味は違うかもしれないが。
 そもそも、まるで失わせたように振舞った俺には不釣り合いな言葉かもしれないが。
 あの岐路で、確かに俺は斎藤を喪って、そうして亡くして初めてどこに行ったらいいのか分からずにぼんやりとその背中を思い出した。
 酷い男だ。酷い話だ。
 だからもう、離してやれないなんて。
 だけどもう、喪いたくはないのだから。





 だから流れでカルデアに着いてきて、当たり前のように斎藤に馬鹿だの何だのと言われた時に、ふと気がついたら斎藤を引き寄せていた。

「なんだよ」

 例えば、至近距離にいる悪態をついた斎藤が何も覚えていなくて、こちらが勝手に空回りしているだけだとしても、だから手は離せない。離したくない、と。

「口吸いしてもいいか?前みたいに」

 直截な問に、斎藤はふと口付けてきて言った。

「良いわけないだろ、新八は俺を捨てただろうが」

 そうして、彼は至近距離のままで、ぽたぽたと泣き出した。俺はただそれを眺めていた。

「良いわけないだろ、俺が新八を捨てたんだから」

 だから、と彼は静かに続けてもう一度口付けてきた。ひどく短く、幼い口付けだと思った。

「なんも考えてなかった。ただ新八に縋って捨てられたと思った。だから、会津で気付いた。たくさん出会った、別れた。やっと気付いた、ガキだったよ」

 そう言って、ただ泣く斎藤をもう少しだけ強く引き寄せる。

「だから今度は俺がする」
「頑張ったな」

 相変わらずのガキにそう言って、今度は俺が口付けてみた。昔のように? それも違う。

「おまえにされちゃ、形無しだろうが」

 笑って塞いだ唇は、昔のままのようで、それでいてひどく無機質な気もして。そうだというのに温かくも思えて。

「馬鹿は相変わらず唇ガッサガサで嫌だわ。購買行くぞ」

 当たり前のことのように斎藤は言った。

「場所分かんねえから案内頼むわ」

 ああそうだ、おまえに繋がる岐が多くて迷うから。

「馬鹿っ八。だからもう」

 その先を言う前に彼は歩き出す。
 もう涙は見えなかった。


亡羊の嘆
《「列子」説符から》逃げた羊を追いかけたが、道が多くて、見失ってしまって嘆くこと。学問の道があまりに幅広いために、容易に真理をつかむことができないことのたとえ。また、あれかこれかと思案に暮れることのたとえ。多岐亡羊。 出典:デジタル大辞泉(小学館)




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2024/1 2024/7/30 再録