こんなにも している
甲斐で一騎打ちしていた武田の信玄入道と、なんか霊基変わっちまった謙信公、それから雑賀孫一を名乗るお嬢ちゃん……そうしてうちの馬鹿の新八がほぼ『徒歩で』、カルデアに参入したのは最近のことだった。最近っていうか、昨日。いや、その前に一回合流した時点で信玄入道は食堂にいるし、新八は服準備してるし孫一ちゃんはチケット? チケット用意してちゃっかりカルデアに来てたし……?
「これでいいのかここのセキュリティ……」
呟きながら、僕はそれでもそういった喧騒から離れるように、もうあの酒宴で終わりだと言うように、カルデアの端の方をぶらぶら歩いていた。
「会いたく、ない」
「誰に?」
「は……?」
掛けられた言葉に目を見開いた。
誰、何、止めろ、こっちに、くる、な。
「誰に会いたくないんだ?」
掛けられた言葉と、壁際に追い込まれていた身体。抜け出そうとして、足癖の悪いそれが袴ではなく『新調した』と言っていたダメージジーンズだと気が付けば、いや、そもそもそれが袴だと思った時点で分かっていたのに、と妙な感覚があった。
「似合うか?」
その、逃げることを遮る足を見ていたからだろう、それを少し笑うふうの『永倉新八』に言われて顔を背けようとしてたら、今度はその顔の横に手をつかれた。何もかにもの動きを止めるような、そこに仕舞われてしまったようなその動きから、逃げ出したいのに。
「ち、がう」
「あ?」
「やめろ」
小さく言った。逃げ出したい。逃げたい、嫌だ。
新八から逃げたい。
全部投げ出したい。
あの日のように、全部。
だから、逃げたい。逃がして。誰か。
だから、会いたくなかったのに。
「やめろ、やめて、ごめんなさい」
小さく言ったら、もう片方の手が背けた顔をゆっくり正面に向けさせようとする。駄目だ、これ、なんで分かるんだよ僕は、こんなこと、分かりたくない。
こんなこと分かったって、そこに意味なんてない。
これが口付けようとする時の動きだと、そんなこと分かったって、そこに意味なんてない。
「こっち見ろ、斎藤」
「嫌だ」
短く言われた言葉に、目を閉じて反駁すれば笑う声がした。どこか楽し気なその音の後に、予想通りにゆっくりと口付けられる。いつかと同じように。
その温度も、感触も、何もかもが同じことがどこまでも怖かったのに。
重なる唇の厚みや感触を『覚えていた』ことが嫌だった。
少し開いた隙間から入り込んできた舌先の温度と、ゆっくり絡むその動きが『変わらない』のが嫌だった。
「あ、まって」
「なんで」
呼吸の狭間で小さく言ったのに、新八はそのまま口付けたそれを離してくれない。ただ慈しむようなそれが怖くて、辛くて、だからもうやめてほしくて。
やめてほしくてあのひにげたのに。
呼吸を奪うように、感情を与えるように口付けたそれをそのまま続けて、人気のない廊下で軽く舌先を噛まれて、離れたそこに、僕はずるずると壁に寄り掛かるように、その新八の足と腕に囲われた狭い範囲の中でずるずるとしゃがみこんだ。呼吸が、おかしくなる。思い出したくない、忘れていたい。やめて、ほしい。
「なあ斎藤」
「やめろ」
やめて、こわい、ちがう、にげて、ちがう、にげた。だから。
「遅くなって悪かった。あの日おまえにフラれて結構堪えたんだが、サーヴァントなんて機会があると思ってなかったから、今回ばかりは役得だと思って有効利用させてもらう」
「やめて、おねがい、やめ、て」
なんで、僕はこんなに必死に……?
「言葉にするのが遅すぎた。体だけじゃ足りなかった。武田の大将と越後の軍神様だの、伊東や服部と土方や沖田を見てて思ったよ」
「な、んで?」
「なんで? そりゃあ言いたいこと言っておかないと後悔するんだな、と。分かっちゃいたが、改めて思った」
やめろ、やめて、こわい、ちがう、そうじゃなく、て。
「なあ斎藤。好きだ。好きだった、愛していた。今も好きだ。愛している。ずっと言えなくて悪かった。おまえはどうだ?」
その言葉がずっと欲しかったのに、その言葉に動けなくなった。
その言葉がずっと怖かったから、その言葉に動けなくなった。
「まって」
「分かった」
小さく呟いたら短い答えがずるずるとしゃがみこんでいた身体を支えられて立たされた。
え?
「いくらでも待つ。おまえがきちんと答えてくれるまで」
「……は?」
「いくらでも、おまえが納得するまで。いくらでも愛して、可愛がって、構い倒して、好きだって言わせてみせる」
「何言って……?」
そう言ってこちらを助け起こした男は笑って軽く口付けた。
何言ってんの、僕はおまえが好きだから逃げたのに。おまえはきっと僕のことが
だ か ら
「狡いのは、僕の方なのに」
小さく言った言葉に、返答はなかった。ただ、新八が笑う気配がした。
僕はどこまで、彼を――
*
始まりは些細なことだった。
そんなこと出来るはずがないと思っていたのに、斎藤は案外殺しの腕が立った。
いや、それも変な話か、とその時には思った覚えがある。旗本を斬った斬らないの件はどうでも良かったが、土方がやれと言えばなんでもやるのがこのガキだったな、と思えば乾いた笑いが落ちたものだった。
だからそこにあったのは嘲りと憐憫。
今思っても酷い感情だったと思う。
障子戸の向こうから聞こえたすすり泣くような声と、それでも隠し切れない殺気、どんよりとした気配は暗く重い。
そうやって斎藤が殺したのが誰だったか、何だったかも覚えちゃいない。俺に関係のない殺しなんて思考の範疇外だ、と思ったのに、それでもその部屋の前で立ち止まったそれは、だから嘲りと憐憫。
顔でも見てやるか、と思ったのはだから少しの興味と好奇心。
『なに』
だから障子戸を開けて小さな幼い声がした時に、ふとその興味と好奇心が、嘲りと憐憫が、別のものにすり替わる気配がしたのを覚えている。覚えているが、それをどうにかして誤魔化そうとした。誤魔化す? 違う。それはあまりにも卑怯な気がした。
卑怯? 何故?
そう思ってから、ああそうか、と気が付いた。
可愛い。
丸まって、怯えていた。自分のしたことに、自分の在り方に。
その姿が、ではない。その在り方が、ではない。
ただそれに憐憫は抱かなかった。
もっと、もっと、もっと、と。
気が付いたら斎藤を抱きかかえていたのだから。
『な、に』
『怖かったなら俺のせいにしとけ』
『え?』
応えた幼くつたない声が、言葉が、姿が。
『馬鹿な俺が嫌いなんだろ?』
可愛いと思ったのは支配欲だろうか、それとももっと純粋に、ただ単に。
ああそうだ。ただ単に、可愛いと、愛らしいと思った。
ただ剣を振るって、ただ相手をだまして、誰かを殺したことに怯えて泣けるこの男が、この子供が、ひどく愛らしいと思った。自分にはない純粋さ、と言い換えることは出来ない。そうではない。もっと単純に。
手に入れたいと思ったのだから、それはひどく歪んだ感情だったと今なら分かっている筈なのに。それはあまりにも卑怯で歪んだ感情だったと分かっている筈なのに。
『馬鹿な新八のせいで』
『違う』
呼吸を求めて喘ぐ魚のような、泣き声の狭間で必死に否定する言葉を口付けで吸い込んで、毒を流し込むように言ってみた。
『どうしてこんな殺しをしなきゃならないんだって』
『だ、か、ら』
『いつもみたいに俺に悪態ついて』
『ちがう、のに』
必死に否定して、それなのに必死にこちらにしがみつく斎藤の柔らかな髪を撫でてみた。
だから、手に入ったと思ったのは、だから多分、とても卑怯で歪んだ、だけれどとても甘美な――
*
好きだ、なんて一言も言ってくれなかったのに。
愛している、なんて一言も言ってくれなかったのに。
「だっていつも、どんなに頑張っても」
どんなに身体を重ねても、どんなに新八のことが好きになっても、どんなに愛しても、帰って来るのは慰めばかりで、だけれどそれは、確かに僕が求めたものだから。求めてしまったものだから。
始まりはあの日、もう誰だかも覚えていないそれを殺して泣いていた僕のその後悔か恐怖か何か分からない怯えを『俺のせいにしたらいい』というあまりにも甘くて凶悪な誘いに負けたこと。
一人で抱えておくことが出来なかった感情を新八に手渡したら、そうしたら何だか生きていられる気がしてしまった。それが間違いだったとは思いたくない。思いたくないけれど、そのせいだとは分かっている。僕は間違いなく、あの日新八の温度や心を求めたのに。
だけれど与えられるままに求めて、求めるままに与えられた感情は、いつの間にか足りなくなった。
「もっと、もっと、もっと」
呼吸をすることを忘れたように、喘ぐように、求めたそれは。
だけれどそれは。
「見せかけでいいから、嘘でいいから、憧れでいいから」
こんなにも。
「好きなのに。愛してるのに」
だって、だから、選べなかった。
もしも新八を選んで、だけれどそれがそのままそれが憐みだったら、僕はきっと耐えられない。
「ごめん」
その手に縋ったのは僕だったのに、ここでその手を離すのは僕なんだと思ったら、自分の卑怯で幼い感傷にひどく腹が立った。
来るか、とだけ彼は聞いた。一緒に行けばよかったのかもしれない。だけれど、その先にあるものが分からなかったから。
「好きだよ、新八」
遠ざかる背中に呟いた。ああやっぱり。
「おまえは僕のこと、好きでも何でもなかったかもしれないけど」
ただ、可哀想なだけだったかもしれないけども。
*
「好きだ」
「やめて」
「なんで」
部屋に戻ったら新八がいた。なんでって聞きたいのはこっちなんだけど。素材回収から戻ったら何でいるのおまえ。なんで部屋に入って開口一番で『好きだ』とか言われてんのおかしいでしょ。ていうかなんで部屋入ってんの。
……新八たちがカルデアに合流してからかれこれ一週間くらい。初日に新八に脅すように口付けられてから、毎日毎日、自室に戻ると新八がいる生活に慣れてきた。当たり前のようにベッドにいて、当たり前のように引きずられて、当たり前のように抱き枕にされる。
「部屋帰れ」
「なんで」
「なんでじゃなくて……」
必死に言い募るのに、言葉が強くならない理由は分かっているのだけれど、認めたくなくて。
「お疲れ」
「そうじゃ、なくて」
当たり前に引き寄せられて、当たり前に抱き留められて、当たり前にベッドに連れ込まれた。だからといって色事をする訳でもなく、と思ったところで何やってんだろと思った自分がいた。
周回から帰って部屋に戻る前に、血糊とか、埃とか嫌で元から共同の浴場で済ましちまうのが助かったとか思ってたのがなんか悔しい。こんなことなら自室のシャワー浴びるから、とか適当な理由が欲しかった。
「怪我は?」
「してない」
確かめるように言われたそれに答えてしまって、それから今日は珍しく着流しに髪を整えただけの新八から抱きかかえられてそのままベッドで横にならされる。確かに夕飯まで時間はあるんだけども。
「ならいい」
なにそれ、と言い掛けたのに、その口を塞ぐように口付けられて、そのままあやすように、可愛がるように何度も口付けられた。抱えられて、その体温を感じながら啄むように、時には呼吸を奪うように深く口付けられていると、何かを錯覚するようになってしまうから、そうしていると、駄目、なのに。
「やめろ、頼むから」
「なんで」
短く訊かれたが、その腕の中で必死に手を伸ばして新八の顔や身体から距離を取ろうとするのに、男はピクリとも動かない。膂力が違うのかと思ったが、それは何故か最初に抱き留められた日と同じように自身があまりにも子供だったから、ただ助けてくれる誰かを求めてしまった時にそこに来た彼の様で、それは怖くて、だから。
「お願い、やめろ、駄目だ、また新八のこと使うだけ使ってそれで!」
だから会いたくなかった。また縋ってしまうから。
だから聞きたくなかった。仮初の「好き」とか「愛してる」なんてそんな言葉。
僕が求めたらなんでもくれるなんて、そんな新八を望んでしまったこと自体が、本当はいけないことなのに。
「それで? それの何が?」
「は……?」
優しく訊かれて、そうして距離を取ろうと必死に伸ばした腕ごと抱き留められた。丸まるように抱きかかえられて、そのままゆっくり抱き締められたら抵抗できないどころかその温度が懐かしくて、それが怖くて。
「なあ斎藤。俺も、というか俺が悪かった」
「なに言ってんだ?」
「俺はあの日、おまえが誰でも良かったのは分かってた」
やめろ、やめろ、やめ、ろ
「あの日あの時、誰かが声を掛けてくれるのを待っていたのを知ってた。もし誰も来なくても、多分おまえは次の日には土方だろうと近藤さんだろうと、誰に何を言われても普通にこなしてたと思う」
ちがう、やめろ、やめて
「だけどあの日、泣いてるおまえを見つけて、最初に感じたのは可哀想だと憐れに思った」
ほら、やっぱり、好きだなんて、愛してるなんて、う、そで
「だが、その姿を見て、欲しいと思った」
「え?」
「卑怯でもいい、歪んでいてもいい、支配でもいい、なんでもいい。そこにいたおまえが欲しいと思った。可愛いと思って、そうしたら手に入れたいと思うのが俺の性格なのは知ってるだろう?」
「な、んで?」
ああそうだ、この男は手に入れようと思ったものはなんでも購う。そういう男だと知っていた。どんなに義に篤くとも、要らないものはすぐに手放す。そういう男だと知っていた。だから。
だからあの日彼が手離した僕はもう要らないものになったのだと思っていた。
ついて行かないと言って手を離したのは僕の方なのに、そうやって試されたのだと自分を納得させれば楽になれるから、ずっとそう思ってきた。
「そうだっていうのに、手に入れたものが俺の手から逃げ出したのがおまえだったから、今度こそは納得させて、手元に置いておきたいと思う俺の性格も、おまえはきちんと分かっているだろう?」
問われて言葉が出なくなった。必死に抵抗するように、丸まって、その抱き締める身体に縋ってしまわないように硬くした身を撫でられる。今その身体に触れたらまた縋ってしまう。まだ必要だと、まだ新八が欲しいと思ってしまう。
「だが俺は言葉にしなかった。それはすげぇ良くない。ほんとに良くない。分かってくれてるなんてのは、俺の独りよがりだ。おまえにはおまえの考えがあって、だが俺はおまえが欲しいと思っていた。あの日からずっと。手に入れたいと、手に入ったとさえ思っていたが、それは俺の勘違いだった」
違うと喉元まで出かかった声は、だけれど音にはならなかった。
「だから、おまえが分かってくれるまで、好きだというのも愛しているというのも分かってくれるまでやめない。いや、分かってくれてもやめない。手に入れたいからじゃない。ただ単に、おまえのことが好きだからだ」
「やめろ、やめて、や、めろ」
必死に言い募る僕を抱きかかえて、彼は丸まっているこちらに口付けた。呼吸をすることを忘れさせるように。呼吸をすることを思い出させるように。
呼吸することさえ、この男がいなければ儘ならないように。
「好きだ。愛している。斎藤」
「あ……」
駄目なのに。本当は、僕だけが好きだと思っていたから。僕だけが愛していて、だけれど新八は優しいから、要らないものまで憐れんでくれただけなら、どれだけ楽だろうと逃げ出したのに。
ふとその髪に手を伸ばしていた。白。綺麗などこか光を弾くような白。柔らかくて、彼自身は蓬髪だと言ってはばからないのに、いつも綺麗で羨ましかったその髪。
「どうした?」
「あ、の……」
ゆっくりなぞるように、その髪に指を通して、顔の傷に触れて、そうしてそれから思わず唇を撫でてしまった。そうしたらふと笑ったから緩んだ瞳の薄い青色に囚われたのは何時のことだったろうとひどく懐かしくて、ひどく怖い。
そう思ったら、その唇にゆっくり自分で口付けていた。初めてだと気が付いた。カルデアに新八が来てから、何度となく好きだと、愛していると言われて口付けられても、何も答えられずにただそれを受け入れているだけだったのに、自分からこうして口付けるのは初めてだ、と。吸い込まれるように口付けて、そうしてその瞳の色をうかがうように薄く目を開いたら、楽しそうに笑う瞳が見えて、それからそのまま頭を引き寄せられた。
「んっ?」
「やっと、だな」
「まって、まて!」
「なんでだ? 待たねぇよ。おまえがやったんだろ」
「んっ……!」
そう言ってそのまま噛みつくように深く口付けられて、そうして舌に口内を探られて、そのまま歯列をなぞったそれに引きずり出された自身の舌を弄られる。
呼吸も何もないと思っていたのに、ゆっくりと確かめるような動きだったそれにつられるように思考が溶けていく。
「うぁっ!?」
「好きだろ?」
唇が離れる時に、絡んでいた舌先を噛まれて、残った痛みのような感覚に震えていたら楽し気に声を掛けられた。
そうしてそれから、眼前の男に自分から口付けたんだと思って、丸まって固めていた身体をそのまま預けてみたら、抱き寄せていた身体をもっと引き寄せられた。
「好き」
やっと体重を預けてもいい気がいて、やっと丸まるのをやめて抱き着いてみて、そうして頷いて好きだと言ってみたそれは、何が好きなのだろうと自分でもあやふやな言葉だったのに、新八は楽しそうに笑っている。
「昔から変わらんからそういうところも好きだ」
「だから、そういうこと」
「なんだ?」
なんでもっと早く。
なんで待ってたのに。
そんな自分勝手な言葉が脳裏をよぎって、それからそれは新八も同じだったのかもしれないと思ったら、ずっと抱き枕みたいに抱えられるだけだったそこでやっとしがみつくみたいにしているのがどうしてかとてつもなく時間がかかったことのように思えた。
一週間しか経っていないのに。
だけれどあの日から、どれくらい経っただろう。
「なあ斎藤。好きだ、愛してる。今度こそ間違いなく、何回でも言うし、もう離してやれそうもない」
言い聞かせるように言われて、呑み込んだ言葉をそのまま口にしてしまった。
「なんでもっと早く言ってくれねえの。なんで、ずっと待ってたのに」
とんでもなく我儘な言葉に、だけれど新八は嬉しそうに笑った。
「きちんと待ってたなら上等だ。可愛い」
そう言って抱きかかえられて、そこに身体を預けても怖くないと思えたのは、だからたぶん、もう。
「好きだよ、愛してる。だからもう」
おいていかないで。
こんなにも拝している。
こんなにも廃している。
こんなにもあいしてる。
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こんなにも している
2024/9/17