六文銭
赤い。緋色。朱色。
「だけれど少なくとも血の色ではなかった」
青い。水色……浅葱色。
「だけれど少なくとも緑の色ではなかった」
そこに、骸もないのに葬った男が、自分が幾度となく切り刻んだ時に飛び散った血飛沫と同じ色の目をした男だったら、少しは何か、何かが救われるような気がした。
そこに、墓を建てると言って過去を葬った男が、あの何も考えずに笑い合った夏の日に川辺で触れた青薄のような目をした男だったら、少しは何か、何かが掬われるような気がした。
「何やってる」
「ああ、新八?」
胡乱な視線に笑う。いつも通りヘラヘラ笑えていることを祈りながら。
祈る? 誰に? 何に?
「見ての通り、水汲みですよ」
「馬鹿言うな」
近くの川から上がってみたら、足首くらいまでしか濡れていないそれは、着物の裾さえ濡れていない。そんな浅瀬でどうしたいのだろう。
いや。
「浅瀬なら、もしかしたら、なんてな」
「相変わらずだな。そんな面倒な川渡りたいなら歩きじゃなくて六文銭でも用意しとけ」
「殺すなよ」
思わず笑って言ったら、新八は呆れたように言った。
「来週、小樽に行く」
「ああ、そう。悪かったな、色々と」
「何が悪かったんだよ。むしろ急に来て墓建てるなんざこっちこそ悪かったな」
綺麗な青の目が細まってこちらを見据えた。ああ、その目の色をなんと言えばいいのか、今の僕には分からない。
「血の色も、浅葱の色も、見飽きちまってなぁ」
「そうかもな。飽きたなら待ってろよ」
待つ? 誰を? 何を?
「三途の川を渡るには、舟の方が楽だろう」
「ああ、そうねぇ……僕たちは浅瀬なんて許されないから」
浅瀬を渡れるような美しさはない。罪を重ねて、重ねて、一番深いところを渡るしかない。
「それなら六文銭でも用意した方が賢いだろうが」
「馬鹿にそう言われると何か悔しいですねぇ」
ふざけて言ったら、銀の髪が光を弾いて、そうして。
「なあ、墓ってさ、少しは情状酌量になる?」
「さてな」
なあ、こんなこと言う気なかったのにさ。これじゃあまるで、何にも諦めてないって堂々と言っちまったみたいでさ。
墓を建てたら何か変わる気がした。変われと言われた気がした。
だけれど、青の目に銀の髪をした男は、変われとも忘れろとも思い出せとも言わなかった。
区切りでも、弔いでも、何でもないただの墓。
「少しは、罪が軽くなってさ、少しは感謝されてさ、僕が、俺があっちに行った時、少しは」
何も諦めていない、何も受け容れていない。何もかもが嘘であってほしい。
「少しは、報われるかも、なんて、下卑た考えで墓建てたんだよ。なあ、軽蔑しろよ」
「別にいいんじゃねぇか。ただまあ……」
なあ、優しくすんなよ。みんな死んじまったんだから、今更優しくすんなよ。生き残ったんじゃない。生きちまったんだ。本当は、死ななきゃならなかったのに。あそこで、一緒に、死ななきゃならなかったのに。
「悔しくはあるな」
「……は?」
「何でもない。次は俺の番だって意味だよ。次があればな。だからまあ」
待ってたらいいだろ、と新八は笑った。
川を渡る。最も深いところで、沈み込むように川を渡る。溺れるように、呼吸を忘れるように。
だけれどそれはまだ先の話だから、だろうか。待っていろと男は言った。もうこれ以上、優しくしなくてもいいのに。
「ずるい」
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「夏の日に川を渡る 浅瀬ならもしかして」(「青薄」堀江由衣)
2024/3/27