すき

 朝、目が覚めて体が怠く、そうして仕事は昨日終わっていて、「問題ありません」と言われていたのをやっと思い出す。

「面倒くせぇ」

 思わず呟いて、枕元に置いておいた錠剤をプツリプツリとシートから出す。
 それから動けなくなるのを見越して枕元に置いておいたスポーツドリンクやゼリー飲料に昨日まではまだまともに頭が働いていたのを徐々に思い出したが、どれもこれもだんだん分からなくなってきて、俺は錠剤をスポーツドリンクで流し込んだ。本当は水の方がいいんだろうが、面倒だった。
 用量は3錠だが、効かない気がして1シート全部出した錠剤を飲めば、いくらか安心した。
 熱い、熱い、熱い。
 嫌になる。





 俺の名前は斎藤一。職業は小説家兼コラムニスト。
 それなら職にありつけて、そうしてペンネームというか偽名を使えたし、在宅で出来たし、何よりも会社員になんぞなれるはずがなかった。
 仕事は順調、ファンも多いし、食ってはいける。
 なんでこんなことしてるかって、とか一人でナレーションして、それから首もとに手をやる。
 そこに収まったチョーカーに乾いた笑いが落ちた。
 それは俺がオメガだから。





 第二の性の診断で、自分がオメガだと分かった時の両親、特に母の悲嘆はそりゃ凄かった。

『ごめんね』

 そう言われる度、ああ、俺って生まれてきたこと謝られるような存在なんだって虚しくなったけど、それもこれも俺がオメガなのが悪い。
 学校じゃなんかもういないもの扱いだし、母はいつもチョーカーを念入りに確認するし、嫌になって、自分自身が一番嫌になって、ずっと好きだった読書から、自分でも書いてみた、気を紛らわすために書いてみた小説がなんか知らんが賞を取り、そうして、実家から離れて今に至る。

「ていうかオメガも絶滅危惧種じゃないの?」

 まあ、子供生む道具だけどさ、なんて自暴自棄になりながら、やっと一週間で終わったヒートにゆっくり起き上がる。
 喉がカラカラに乾いて、力も入らないままに、だけれどだんだん思考は明瞭になって、とりあえず出版社と編集さんからのメールを確認して、原稿は問題なかったことを知り、こちらからもヒートだったことと謝罪のメールを送る。そうして、力の入らない手でどうにかミネラルウォーターの蓋を開けた時に、マンションのインターホンが鳴った。

「……クソが」

 居留守を決め込もうかと思ったが連打されてうるさくて、そうして、荷物も頼んでいないし、ヒート明けにこんなにタイミングよくくる馬鹿なんて一人しかいないと知っていたから、這いずるように玄関まで身体を引き摺って、鍵を開ける。

「帰れよ、新八」
「ヒート明けだろうが、おとなしくしてろ、斎藤」

 おまえが来たんだろ!黙ってろ馬鹿が!とか言いたいことはいくらでもあったが、慣れた様子で新八は部屋に入ってくると鍵を掛け、それからガサガサとエコバッグから食料品やら何やら、スーパーで買ったものを取り出して、これまた慣れた手つきで冷蔵庫や棚に仕分けて入れていく。

「寝てろ」
「うるせぇ」

 ……新八は、五つ年上の幼馴染みだ。大っ嫌いだが、俺がオメガだと分かってもひとつも差別しないどころか、「斎藤がそれでなんかあんの?斎藤は斎藤だろうが」と言ってきた男である。そういうところがムカついて、甘えてしまって、そうしてその新八自身はアルファだ。

「帰れ、換気、してない」

 横になって必死に呟いた言葉に、新八は窓を開けた。アルファの新八には一週間フェロモン垂れ流しだったのは流石に悪い。それから新八は枕元を見る。

「また1シート毎日飲んでたのか。アホ」
「うるせぇよ、馬鹿っ八!」

 何が分かるってんだよ!と叫ぼうとしたら、頭をはたかれた。な、に?

「毎回言ってるが、もっと自分を大事にしろ」

 真っ直ぐに見据えられて、そう言われて、その冷えたような薄青の瞳に、固まった。


違う、やめろ、ちがう。


「かえれ」
「斎藤?」

 確かにずっと、子供の時から気に掛けてくれて、今でもヒートや体調不良を慮ってくれるけれど、新八はアルファで、だから。


やめろ、ちがう、だめだ


 アルファの新八を誘って、利用して、そんな下劣な真似、と思ったのに、ずくりと胎が熱を持つ。

 ヒートは終わったのに、こんなのだめだ。

「かえれ、かえって、もう、くんな、こないで!」

 今まで感じたことがなかった筈の感覚。


だめ、やだ、ちがう。


 失望されたくない、出来損ないの俺を、見ないで、ずっといてくれたのに、もう……

「斎藤、キツイか?」
「だから!」
「あのさあ、言ったよな?斎藤が斎藤であるのにオメガだのなんだの関係ねぇって」
「ち、がう!新八のこと、誘惑するだけして、何にも出来ない、出来損ないだか、ら、もう!」

 叫んだが、疼く身体と目の前の新八?アルファ?もうそんなことも分からないままに、必死に荒く息をつく。
 だが、抑制剤に伸ばそうとした手を、新八に掴まれた。

「なあ、俺が何にも考えずに今までずっとおまえの世話してたと思うか?」
「あ……あ……」

 言葉に震えが止まらなくなる。結局、俺の性なんて関係ないと言ってくれた新八にとっても、結局、俺は子供を生むための出来損ないの道具でしかなくて……

「なんか勘違いしてる顔してやがるがな、おまえがオメガだって分かる前から惚れてたんだよ」
「……は?」
「別に自分がアルファでもどうでも良かったが、おまえがオメガでもどうでも良かったが、おまえのヒートが始まって、甘くてしょうがなくて、誰にもやりたくなくてこうしてたのは事実だけどな」

 悪びれる様子もなくそう言って、だんだん熱くなる身体を抱き寄せられた。

「まっ、て」
「斎藤が待てって言うなら待つけど」
「俺は、出来損ないだから、新八は、アルファで、優秀で」
「出来損ない?どこがだ、馬鹿。おまえの小説めちゃくちゃ面白ぇぞ?」


ちがう、まって、だめだ


「俺がおまえを好きなのは、オメガのフェロモンに当てられたからじゃない。そんなもん俺は吹っ飛ばせるし、ていうかそうだったらヒート終わりに世話してる時にヤってるわ」

 そう言われて、終わったばかりの発情期が、またぶり返す感覚に、だめだ、ちがうと自分を止めようとするのに、そんなの、まるで。

「新八が、好きみたいで、新八のこと誘惑して、縛ろうとしてるみたいで、いや、だ!」

 必死に言ったら、あやすような背中を叩かれた。

「俺は好きなやつに誘惑されたら嬉しいけど?」
「だめだ、新八にまで、失望されたら、お、れ、もう!」

 必死に必死に、耐えようと叫んだら、トントンと背中を叩かれる。心音の速度のように。

「失望?なんでだよ?惚れてるって言ってるだろうが」

 だって、でも。

「今までも、ずっと、新八が、怖くて」
「あー、すまん」
「だけど、こんなのはじめて、で」

 混乱する頭で言えばまだあやすように、安心させるように、トントンと背を叩く新八に言われた。

「確かに、ヒート終わりなのにこんなに甘い匂いさせてんのは初めてだな」

 これじゃ、まるで、いや、本当に……


『惚れてたんだよ』


 言葉が脳内で繰り返されて、呟いた。

「新八のこと、す、き?」
「そうだったら嬉しいが、おまえの意思に反することは絶対しない」

 はっきりと言われて、気が付いたら涙かポロポロこぼれた。
 たくさんの人から蔑まれた。親からさえ憐れまれた。
 だけれど、新八はずっといてくれた。俺が我が儘言っても、喚いても、実家を飛び出しても。

「なあ、斎藤。おまえの意思に反することはしない。だが」

 そこで新八は言葉を区切る。そうして息を吸い込んで言った。

「番にならねぇか?惚れてたんだよ、誰にも渡したくない」

 ポロポロとこぼれる涙と彼の真っ直ぐな瞳に、もう耐えきれなかった。

「後悔、しないか?」
「後悔?何をだ?」

 あっけらかんと言われて、俺はいろいろな感情で泣きながらパチリとチョーカーを外した。

「噛めよ、頼むから」

 捨てたって、いいから、一度だけでも、いいから。





「ふぅっ、あっ……!」
「もう少しな」

 そのままベッドで身体をまさぐられて、後孔を緩く解される。新八の武骨な指がグチュグチュと出し入れされる音と快楽に、目眩がした。

「やら、やら!」
「暴れんな、もうちょっと」
「ふっ、あっ、うぁっ!また、イく!やら!も……!」
「おう、イっとけ」
「あああ!」

 もう何度目かしれない絶頂の波に頭が真っ白になったが、もう我慢できない。

「新八が、いい」

 ゆっくり言ったら、彼は眉をひそめてこちらを見た。

「どこで覚えてきやがる?」
「も、むり、ほしい」

 必死に言ったら、ずるりと指を抜かれ、熱いそれを宛がわれて、折り重なるように押し倒された。

「いれて、かんで、しんぱちのに、して」
「っ……!ああ、もう!」
「ひっあっ!?」

 一気に貫かれて、今までの指とは比べ物にならない質量に喉が反る。その反った首筋、項のあたりに熱い息が掛かった。

「後悔なんざ絶対させねぇ。おまえと俺はずっと一緒だ。いいか?」

 ゆっくり頷いたら、つぷりと歯が当たり、そのまま噛まれたら、目の前に火花が散って、何も考えられなくなった。


あつい、きもちい、すき


 そう思っていたら、彼のそれで最奥を暴かれて、ああ、子宮?と回らない頭で考えた。

「あっ、やら、きもちい、やっ、あっ、おかしく、な、る!」
「おかしくなっちまえよ、斎藤」
 耳許で囁かれて、その熱に、俺は意識を手放していた。





「しん、ぱち?」

 次の日の朝、怠い腰と明らかな情事の跡と、それから横で寝ている銀髪の幼馴染みに、ああ、嘘じゃない、夢じゃない、と思いながら新八の頬をつねったら、寝汚い男がパチリと目を開けた。

「おはようさん」
「あ、の……」
「謝んなよ、斎藤」
「あ……」

 先読みしたようにそう言った新八は、チョーカーを拾いあげたかと思うと床に投げた。

「もういらねぇだろ」
「だか、ら」
「今日はとりあえず休んで、明日物件見に行くぞ」

 え?

「二人で住むには狭い」

 あ、の……

「あと指環も買わねぇとな」
「しん、ぱ、ち」

 だって、ずっと、すきだったけど、でも。

「おまえが出来損ないなワケないだろ、俺が惚れてたんだぞ。それに」

 俺の思考を読んだように言って、抱き留めてくれた新八は言う。

「チョーカーより指環の方が似合う、絶対」

 なんでだろう、悲しくないのに、嬉しくて、涙が溢れた。