修羅


 修羅のような人ね、と言われたことが忘れられない。修羅のような人?と千歳千里は自問する。なぜ忘れられないのか、それを言ったのは橘杏ではないのに。
 ややもすると、彼女からもそう思われているのだろうかと遠く彼方の東京にいる彼女のことを思う。
 修羅か羅刹といえばやはり彼女の兄で自分の親友だろうと思うのだけれど、いつだか本当に短い間付き合った年上の女性は、彼のことを「修羅のような人ね」と言った。

「まー、分からんでもないけど」

 青天の下の芝生で鉄下駄を放り出しながら千歳はその青い空に向かってそう言った。
 確か、その女性は杏よりもずっと年上だったけれど髪の色が似ていて、勝気な視線が似ていた。杏に似た、だけれど杏と決定的に違う誰かを求めるのにはそろそろ飽いた、そのようなことを思った覚えがある。よく考えずとも失礼極まりない。

「うーん、釣った魚に餌をやって、甘やかして、もう俺無しじゃいられんようにするには時間がかかるんよ」

 例えば、離れてしまった時間すら、彼が誰かと付き合っているという噂すら、一つ一つが甘くどろりとした毒となって橘杏という少女を侵す。


『そこまでして、求めるあなたも、求められるその子も、修羅のような人ね』


 誰かの言葉を思い出して、彼はうっそりと笑った。
 その修羅の苦しみを、二人は分け合い、融け合い、そうして平らげる。
 その時間を、まるで何かの調味料にするように。