地獄


 生き地獄や、と今吉はびっしりと文字の列で埋められたルーズリーフを見下ろして呟いた。嘯いたとも言うだろう。
 大学に入学して、なんやかんやでもうずいぶんな月日が過ぎ、季節は秋だ。
 バスケットボールという一つのものにも、アメリカとの激闘の末に見ることが叶ったキセキの世代という遥かな力によって、彼は区切りをつけることが出来た。出来てしまった。

「今の自分のアイデンティを、ワシは他者に求める」

 バスケットボールをドリブルする代わりにペンをカチカチ出したり仕舞ったりするのが日常になった自分は、と彼は思う。
 そうなった時に、自分には例えばバスケットも、部活も何もなくて。
 そうして、それがなくなってしまえば例えば鮮烈に彼の記憶の中に残る「相田リコ」という「バスケ部のカントク」との接点も畢竟失うのだ。
 失うのだと思っていたのに。それで終わりなら、多分終わりの関係だったのに。
 講義中にもかかわらず、彼はちらりとバッグの端から顔を出すスマホのランプに目をやってしまう。カチカチカチと、それは特別な設定で先ほどから赤色のランプを何度も点滅させている。これで3回目くらいだろう。
 通常のランプが青なので、赤いランプが着信を告げる相手は、彼の世界にひとりしかいない。

「相田さんから連絡とか、サイコーの予感と悪寒がするなあ」

 ワシほぼストーカーやったのに、と物騒なことを呟いて、それから今吉は小さく笑った。
 生き地獄にいるのは彼、蟻地獄にいるのは彼女。地獄にいるのは同じこと。
 講義が終わるまでは、まだ地獄の裁きのごとく長い時間があった。