伸るか反るか


 目を、逸らそうとした。

「何やっとんねん、ワシは」

 たった一瞬の、全てが決する攻防から、目を逸らそうとした。実際は目なんぞ逸らせなくて、リバウンドを奪った木吉に決まりやと思った。ここから誠凛が負けるなんてありえない、と心の裡で思っていた。
 短い述懐のうちに、ボールはリングをくぐっていた。誠凛高校のウィンターカップ優勝が決まった瞬間だった。





 オーバーラップというのがある。あの時感じたのは多分それ。
 自分たちが誠凛から敗れた時に、全てを決めたのはリバウンドだった。
 瞬間的な判断、断片的な映像、抽象的な感覚。
 その全てが、誠凛と洛山の最終局面から目を逸らさせようとした。

「うーん、まだワシも若いって話ですわ」
「意味分かんないです。ていうかなんで今週末もあなたに捕まってるわけ!?」
「え、通り道に相田さんがいたから」
「そういうのを待ち伏せって言うのよ!」

 タンッと彼女が叩いたのはファミレスの机だ。安っぽくはないが、本物ではない木目調のパネルが少しだけ揺れる。
 恋を自覚する瞬間なんて、いちいち考えることじゃあないだろうと思う。
 だが、敢えて言うなら、目の前で気忙しくワシを睨みつけている彼女に恋をした瞬間は、多分、あの決勝のボールがリングをくぐった時だったと思う。
 少なくとも、彼女らに敗れた時に惚れたワケやない。
 それは絶対に違うと言い切れる。

「負けて惚れるほど安くないって話」
「はい?」
「んー?まあ、あれですわ。ワシがいつから相田さんに惚れてるかの話でもしようかなって思うて」

 そう言ったら、相田さんは驚いたように目を見開いた。初めて見る表情だ。そうしてそれから、そういえば、なんで好きかとか、いつ好きになったかとか、そういう諸々のごく一般的な話を彼女に一切したことがなかったな、とぼんやり思った。
 ウィンターカップから約一ヵ月、一月の終わり。彼女とこうして半分以上ワシの都合で会うのも、もう一ヵ月近くが経つ。

「良く考えなくても、その辺の事情一切知らないでいるわね、私」
「それで付き合ってくれてる相田さんはそーとーの歌舞伎者と見た」
「殴りますよ」
「やめて!!」

 ちょっと本気の顔でパシンと拳と手のひらを合わせた相田さんは若干本気だろう。平手じゃなくて拳のあたりが余計本気度を物語っていた。

「ねえ、そんなことも知らずに毎度毎度付き合ってらんないわ」
「ですよねー」
「ふざけないでよ。結局あなた好きだ好きだとは言うけど、何が何だか分かんないのよ」
「うーん、これ言うてもええやつか?」
「言えないような感情しか抱いてないならこんなこと今すぐやめにして」

 驚くほどきっぱりした言葉が彼女の口から落ちて、ワシは、ああ、こういうところが好きなんやなあと思った。でもそれは後付けの理由で。それは、彼女に関わるようになってから知ったことで。

「負けた時ではないんよ」

 だけれど、あの瞬間ではない。
 あの時考えていたのは、自分の、或いは自分たちのことだけだった。
 負けた自分、負けたチーム、終わったバスケ。
 全部が全部、自分のことやった。
 自分らを負かしたのが誠凛というチームだと知っていても、考えるのは桐皇というチームのことで、或いは桐皇というチームの未来のことで、ワシの中にあるのはそう言う感情だけやった。
 だから、誠凛というチームについてもう一度考えたのは、決勝戦を見た時だった。

「負けて惚れるほど安くないって話」
「それは上等」

 相田さんは可笑しそうに笑って言った。ワシの感覚が分かるのだろうと思ったら、彼女も勝ち続けてここまで来たわけではなかったな、と改めて思った。

「博打やねん、伸るか反るかの大博打」

 ワシの言葉に、相田さんは不思議そうに首をかしげた。

「ワシはもうその博打に乗ってて、いっぺん負けてんのや」


 そう、この恋は博打のようなもの。
 伸るか反るかの大博打。
 感情の始まりは、あの時ボールがリングをくぐって、彼女たちが優勝をつかみ取った時。
 自分たちに勝ったのに負けて欲しくないと、諏佐が言っていたのを思い出す。


 その感情は確かにあった。
 その感情は確かになかった。


 あったけれど、なかった。
 探しても、探しても、自分の中にある感情に正解なんて見つからなかった。
 そんな感情があった気もするし、なかった気もする。
 だけれど多分、探していたのは彼女だった。
 いつか負ける時は来る。
 勝負なんてそんなもの。
 だけれど、自分を負かすのはもっと違う誰かだと思っていた。

「勝負は時の運、なんてな」
「結局煙に巻くのね」

 伝票を抓んだワシに、最後までは言いやしないのだろうと感じ取った彼女が可笑しそうに言った。それにしたって一応の馴れ初め話をしたことには間違いなくて、それがどうにも自分でも可笑しかった。

「じゃあ、私も一つ賭けをするわ」
「お、ええね。大博打でも打ちますか」
「あなたの博打に乗るわ」
「ほほう」

 ワシは、いよいよ面白くなってきた、と彼女を見据えた。込み上げる笑いは、可笑しさと楽しさ。この大博打に乗ると言うなら、さすがの彼女でも逃げられやしない。

「私はあなたを絶対に好きになったりしない」
「ええのかな、そういうこと言ってもうて。逃がさんよ、ワシは」
「伸るか反るかの博打でしょう。このくらい賭けなきゃ面白くないわ」

 面白さなんて求めてないくせに、彼女は言った。
 絶対に好きなったりしない、か。なかなかいい賭けだ。
 見つけた感情、探した感情、全てを清算するなんて、きっと出来やしない。
 それをやろうと言うのなら―――

「じゃ、ワシはその逆やな」
「いいわ」

 彼女が好きだと思った瞬間は、少女マンガみたいに優しいそれじゃあなかった。
 自分を遠く置いて行った存在が、その自分が目指していた頂点にたどり着いたのを見た時にぽつりと浮かんで気が付いたその感情は、博打みたいなものだった。
 試合に負けたって感じなかったそれを、ワシはその時になって初めて知った。
 探していた存在に、突然出会ってしまったような衝撃。
 その衝撃の中で、ワシはまだ呼吸をしている。

「第二Qと行きますか」

 ふざけて言ったら、百戦錬磨の将は笑った。

(まあワシは最初から負けてるんやけどね)

 伸ろうが、反ろうが、かけ金はどちらかに転がり込む。
 伸るか反るかの大博打。打つのは二人。
 探し出した一か八かの感情は、ワシの方は初めから決まっているのだけれど。




2014/11/27