最果て
「おやあ?阿近サンが使い走りとはまた、珍しいっすねえ」
浦原商店、という怪しさ満点の店のさらに奥の座敷に、瀞霊廷から開けた門から義骸で一歩踏み出せば、開口一番、その怪しさ満点の店の店主で元上司に言われた。
まあ、怪しさ満点、という点では技局と同じようなもんだしな、と思いながら、俺はその座敷の畳に無遠慮に足を置いて門を閉じる。
「どうも」
「どうもー」
怪しげな店主こと、喜助さんは扇子で口許を覆いながら可笑しげに笑った。
「涅サンからのお荷物っすね」
「そっす」
俺が抱えていたのは隊長から現世にいる某元上司への届け物だった。
「わざわざ三席を使い走りにすることないと思うんですがねえ」
「まあ俺は戦闘能力皆無ですし」
実害ないっすよ、と続けたそれは、だけれど一方で言い訳めいた建前だった。
「これ、ひよ里に届けてほしいんですけど」
「了解しました。ひよ里サンには?」
会っていくのか、という問い掛けだろうそれに、現世に来る前から決めていたことなのに俺は逡巡するように押し黙ってしまった。
「どうしました」
透明な声がする。俺は、この人のこういう声が嫌いだ。見透かしたような、そういう声。自分の中の駄目な部分や、自分の中の暗い部分を暴き立てられるような気がしてしまうから。
「その荷物、喜助さんが届けてしまう前に、探します」
ひよ里を、と続けなくても分かるだろうそれに、喜助さんは納得したように笑った。
*
空座町でひよ里の霊圧を探すのは、さして難しいことではなかった。もう百年以上会っていないというのに、そうして、虚化したというのに、俺が感じる彼女の荒々しいまでに強い霊圧は全然変わっていなくて、俺は少しずつ彼女との距離を詰めていた。
「つーか俺は分かられてない感じか」
ボソッと呟く。俺は彼女の霊圧を覚えているのに、彼女が気づいた気配はない。俺の霊圧なんぞ忘れているか、そもそも考えたこともなかったか、と思ってから、もしかしたら、どうしようもないほど変わってしまったのは自分の方なのかもしれない、と思った。
その時だった。
「こそこそ嗅ぎまわっとるガキがおるな」
「なっ…!」
自分の方から近づいていた、と思っていた彼女の霊圧が瞬間的に俺の目の前に移動して、それから瞬歩で迫った彼女の白打が俺の腕をしたたか打つ。打たれて体勢を崩した俺の手首をグイッと引いて、彼女は昔も今も俺じゃあどうしたって出来ない速さの歩法で、俺をどこかに連れ去った。
*
着いたのは、どこかの空き地だった。周りに民家はなく、多分、誰も来ないようなところなのだろうと思った。
「ずいぶん懐かしい霊圧のガキにストーキングされてるな、思ったわ阿近」
相変わらず小さいくせにふんぞり返って見下ろすように俺に言ってきたひよ里は、本当に相変わらず、百年前と何一つ変わっちゃいなかった。
そうして同時に、百年前と変わっていないと気が付いてくれた彼女が、どうしようもなく嬉しかった。
「久しぶり、だな」
「おう」
元気だったか、とか、どうしていた、とか、そういう言葉一つ一つが出てこない。そんなの、薄っぺらすぎて、俺が言うべき言葉じゃないと知っていた。
百年よりももっと前に起こったことを、俺は何一つ知らなかった。
助けられなかった自分も、苦しんでいた彼女も知らないまま、憎しみも、怨嗟も、寂寞も、悲哀も、全部全部抱えたまま、ずっとずっと、彼女だけを探してきた。
「探した」
だから、思わず出てきた言葉はひどく曖昧な言葉で、彼女は不思議そうに、それでいて全部分かっているような目でこちらを見ていた。
「ずっと、お前のこと探してた」
「……ああ」
「俺、全然知らなくて。お前がこんなことになってたなんて、こないだの戦いまで本当に何も知らなくて、置いて行ったんだなって、すげえ身勝手に思ってた」
彼女を前にしたら、出てこなかったはずの言葉が止まらなくなった。
「ふざけるなと思った。恨んだ。ほんとは、恨まれるべきは、裏切ったのは、俺の方で、助けられなかったのは俺の方なのに、そんなこと思ってた」
ひよ里は応えなかった。だけれど、その視線は昔の通り、優しくて、それが俺の感情を波立たせた。
「ずっと、探してた」
そう言ったら、俺の目からは涙が落ちた。
ずっとずっと探していた。
最果ての貴女を、探し続けてきた。
俺にとって、貴女は最果ての存在だった。
追いつけなくて、追い越せなくて、憧れて、慕って、一緒に過ごして、そうだというのに、どこにもいなくなってしまった、最果ての存在だった。
本当に最果てのような、誰もいない空き地で、俺はその彼女を前にボロボロ泣いていた。いつもの自分からじゃ考えられないくらい、自分自身の感情をどうしたらいいのか分からなかった。
不意に、泣いている俺の頭に背伸びした彼女の手が触れた。
「ごめんな」
謝らないでくれ、と言おうとしたのに、それは上手く声にならない。
「探してくれて、ありがとうな」
それに俺は、うなずくことしかできなかった。ありがとうと言われたからうなずくんじゃない。ずっと探していたんだ、と伝えるために、何度も何度もうなずいた。昔のままの、ガキのままのように。
最果てに貴女はいる。
最果てにすら、いないと思った時すらあった。
だけれど、最果てのここに貴女はいた。
「どこまででも、探しに行くから」
「ああ」
ひよ里の声が応えてくれて、俺はそれがどうしようもないほどに嬉しかった。
彼女がここに生きているという事実が、俺にはどうしようもない幸福だった。
「ひよ里」
「なんや、阿近」
彼女は変わらずに俺の名を呼ぶ。
俺が変わらずに彼女の名を呼ぶように。
「ずっと、いてくれ」
どこまでだって、探すから。
もう、諦めたりしないから。
もう、手を放したりしないから。
「ワガママなガキやな、相変わらず」
ひよ里は可笑しそうに笑って言った。
最果てでもいい。
すぐそこでもいい。
誰も知らないところでもいい。
どこかに、お前がいると知っていれば、俺はいつでも探しに行くから。
「お前に探されるなんぞ、ウチも落ちたもんや」
「探したんだ、これでも必死に」
「分かっとる」
見つからなかったら、俺はどうしていたんだろうと思う。
彼女の空白を抱えたまま、その空白をすり減らしながら生きたのだろうか。
すり減らした先で、彼女への思いが消えてしまう日も、来たのだろうか。
そう思ったら、それは彼女が、あるいは俺自身が消えてしまうことよりもずっと怖かった。
「見つかって、良かった」
「見つけてくれて、ありがとな」
ひよ里も俺も、もう変わってしまって。
互いにもう、無条件に手を伸ばせるところにはいなくて。
だけれど、この感情だけは、すり減らすことも、消し去ることもできなかったと叫びたい。
「好きだ、ひよ里」
嗚咽がそれを遮って、叫びだせやしなかったけれど、俺はその感情を初めて言葉にした。
「ずっと好きだった。これからも、好きでいるから、お前がどこに行ってしまっても探し続ける」
だからずっとどこかにいてくれ、と
だからずっと忘れないでいてくれ、と
我儘な子供が言うそれに、彼女は笑った。
この世で唯一つ、俺の愛した探し物は、俺が泣き止むまで、そこにいてくれた。
2014/11/19