始まりから、終わりへ。
終わりから、始まりへ。
終末から、再生へ。
再生から、終末へ。
あと何度、あと何年、あと幾星霜、余は繰り返すのだろう。
門から、門へ。
Gate to Gate
召喚陣というのは、余たち悪魔(と言っても余は神だから正確には違うのだが)、からすると、魔界や神界から現世、人間の世界へと通じる門である。
適切な供物、適切な詠唱、そして適切な魔力。それらがそろって初めて門は開く。
だが、召介が余を呼べたのは適切な魔力故ではない。その憎悪。煮えたぎるような憎悪。彼の根底にはそれがあったのだ。だから余は歓喜した。長らくそのようなものは現れなんだ。憎悪こそ、冬のごとき静かな怒りこそ、余の存在を証明すると知っていたのに、そのような純粋な動機で余を呼び出さる召喚士も魔術師も長らくおらなんだ。
そうだというのに。
そうだというのに。
彼はそんなものを持っていたから余を呼び出せたのに、余と友になりたいと言った。信じられないほどの絶望。だって、分かっていたのだ。彼はその身の内にどうしようもない憎悪という、怒り、寂寞という獣を飼っている。そうだというのに、彼が余に求めたのは友というひどく人間的で、そうして、余の在り方からははるかに遠いものだった。
だから。
その時には分かっていた。
この門はいずれ閉ざされる、と。
*
ベルゼビュートの宮殿の一室で、訥々とアンリは語った。その日は、遠方でゾロアスターを治める妻の来訪のために催された二人きりの晩餐会だった。正確には昼餉の席で赤き竜はその王の后にしてゾロアスターを統べる神へと謁見していたから、晩餐会というよりは私的な夫婦の時間というべきだろう。
話しながらのどを潤していて空になったアンリのグラスを、ベルゼビュートは赤い葡萄酒で満たした。
「左門召介は、本当に稀有な召喚士だった」
短く彼は言った。
「ネビロスを召喚して、アイツを師としていた時から、黙認しながら感じていた。これはきっと門を開く、と。なんの門かは検討もつかなかったが、それはアンタをつなぐ門だった」
言葉に、アンリは懐かしそうに微笑んだ。この地獄に左門と天使ヶ原が堕とされてどれくらいたっただろう。ちなみにアンリは昼餉の後に天使ヶ原の地獄アイドルライブにネビロスとルキフグスに興奮しながら案内されて鑑賞した。
「あ、アンリさん久しぶり!20年ぶりくらい?ちょくちょくベルゼビュートさんのところに来てるならたまには私たちのとこにもって思ったけど忙しいよね。まー、まさしく地下どころか地獄アイドルの楽屋にわざわざありがとね」
「息災そうだな、天使ヶ原」
「あ、そうだ。この衣装着て夕飯の席に言ったらきっとベルゼビュートさん驚くんじゃないかな!?」
そう言ってフリルにフリルを重ねた新品と思しきアイドル衣装をバサッと広げた天使ヶ原に、アンリの顔はたちまち赤くなる。普段は少しフリルのあるような服も着るが、今日の彼女は后として、そして神として、漆黒のドレスに髪も結えずに真っすぐ伸ばしている。いや、そういう問題ではない。露出が多すぎるそんな服を着る勇気はアンリにはなかった。
「い、いや、気持ちだけ受け取っておく」
「そう?……左門くんには」
「門から門へ」
いつもの通り短く答えたアンリに、天使ヶ原は「そっか」とだけ短く答えて、楽屋の菓子をアンリにすすめた。
*
「天使ヶ原のアイドル業はいつ見ても盛況だな。ルキフグスとネビロス以外にもファンが増えておらぬか?」
「あー、あれな。好き勝手させてたらあのざまだよ。なーにが地獄に落とすだか。俺様も甘くなったな。ありゃ派閥ができても驚かねぇぜ」
頭を掻いたベルゼビュートに笑って、今度はアンリが空いた彼のグラスを満たす。
「アイドル派閥は抗争の種だな」
「週刊誌かよ」
他愛のない話の合間に、一切れ肉を飲み込んで、ベルゼビュートは短く問うた。
「左門にはやっぱり会わないのか」
「門から門へ。余にあやつに会う資格などないさ」
くるりと香りを楽しむようにグラスを回した彼女は、もう100年は左門に会っていない。彼が地獄に落ちたという報を聞いても心動かなかった自分は、なんて薄情なんだろうと思うと同時に、自分のために研鑽しても追いつけやしないと知っていながらそれを止めず、その地獄へと彼を落としたのはアンリ・マユという女神だと知っていたから、神とはなんと酷薄で、残酷で、浅薄なのだろうと、自分のことながら思ったのを覚えている。
「門は開き、門は閉じた。それだけだ」
一口その赤い血のような液体を口に含んで、アンリは言った。
「余は選んだ。門を開いた者の門を閉じることを選んだ。
だけれど余は耐えられなかった。次に門を開ける者、次に始まりを告げる者、終わりが見えてしまったから、門を閉じてしまったから、自らの手で終わらせて、自らの手で閉じた門に、耐えられなかった。」
そう言ってから、彼女はふふふと綺麗に笑った。
「知っていたのだろうな。違うのだ。余の門を開けたのは召介ではない。門を叩き、開け、その門のうちに入って終わりと始まりを繰り返すのは、お前だったのだから」
私の愛しい人。
あの人間は違った。
その孤独を、渇きを癒すために出会った友だった。
私が本当に求めていた永遠。
私が本当に求めていた愛。
渇望していたそれは、
「ベルゼビュートよ。愛している」
脈絡もなく告げられた愛の言葉に、応じる代わりにベルゼビュートは手元のベルを鳴らした。
「ならアンタは左門に会うべきだ」
そのベルの音に、きぃと扉が開く。そこにいたのは左門召介だった。
「αからΩへ」
短く左門が言った。100年ぶりにかけた言葉だった。
「門は今閉じた」
応じたアンリもまた、それが100年ぶりにかけた言葉だった。
ベルゼビュートは、その二つの言葉を静かに思惟していた。
始まりから終わりへ。門は閉じる。
「潮時だな」
ベルゼビュートは言葉と共にパチンと指を鳴らす。そこに突然現れたのは天使ヶ原だった。
「うわっとぉ!?」
驚きからか左門にしがみついた二人を見てベルゼビュートは言った。
「今日をもってテメエら二人の刑期を終了とする。俺様の地獄で好き勝手やられたんじゃもうたまんねえからな」
「え、それって?」
「転生ってことか」
驚きの声を上げた天使ヶ原に対して左門は冷静につぶやいた。アンリは目を見張っている。
「よいのか」
「ああ」
答えに、左門は言った。
「次転生しても、僕はアンリを召喚してみせる」
「目の前で人の嫁をナンパすんなや」
「ああ、でもその前にぜっっったい記憶なくても天使ヶ原さんに会って余計な事される予感がする」
「相変わらず失礼だね、左門くん!」
「ついでに人の前で痴話喧嘩すんな」
呆れたように言ったベルゼビュートにすっとアンリが立ち上がる。漆黒のドレスと、長く美しい髪、陶器のように滑らかな肌。その手が二人へと差し向けられた。
「門をくぐる我が友たちに、アフラ・マズダーの祝福を」
言葉を聞いたベルゼビュートは膝を折った。今できる最大の敬礼だった。
友である二人にその必要はない。ないと、二人とも知っていた。
アンリの手から淡い光が漏れ、二人の輪郭をあいまいにしていく。
「アンリさん、またスタバ、行きましょうね!」
「ベルゼビュート、アンリのこと泣かせたら許さないから」
言葉に、彼女は微笑んだ。
*
「門と門をつないで、終わりと始まりとつないで、余はあといくつ別れを繰り返すのだろうな」
「俺はあなたのそばを離れない」
言葉に、アンリは鈴を転がしたように笑った。
「知っている。お前はいつもそうだ。余の門のうちのどこにでもいて、余の終わりのどこにでもいる」
そうして彼女は歌うように続けた。
「alphaからomegaへ。omegaからunlimitedへ」
∞の扉を、開けた男がここにいるから。
「愛している」
告白は、何よりも美しくそこに響いた。
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2019/07/17
門から門へ
「静かなる逆襲」(椎名林檎)とか