劫火


アンリ・マユの書簡

スプタン・マユよ、余は永らくお主に会っておらなんだ。
闘争するものでありながら我らは永らく会っておらなんだ。
余が戦うのはいつも悪のものになってしまった。ベルゼビュートという冥界の王とは今もよく戦う。停戦からいくら経ったか思い出せぬが、停戦など無意味のようだ。我らはいつも戯れのごとく争っている。
今日、文を書くに至った面白い話がある。少し前にお主とベルゼビュート以外の者が余に興味を持った。
名を、左門召介という。召喚士だが並の召喚士ではない。なにせ、子供の時分に余を呼び出したのだ。持っているのは余人の想像を絶する憎悪か、怨嗟か、悲嘆か。余は心躍った。どのような悪の心に満たされた者が余を呼んだのであろうかと。
しかしその人間は余と友になりたいという願いだけで余を呼んだのだという。
正直に言おう。余はその時落胆した。いや、その時ではないか。その時は余の孤独や空白を埋める、そしてその少年も孤独を癒すために我らは戯れた。
笑ってほしいのだが、余は召介の恋人になろうとさえ思ったのだ。友にはなれぬから、恋仲に、と。今となって思えばそれも余の深い落胆がもたらしたもののように思う。

左門召介は世界を憎んでいた。彼にとっての世界というのはごく狭く、人里離れた山奥で祓魔士の両親の善なる行いしか彼の世界にはなく、その世界を憎むあまりに余を呼んだのだ。
余は、その少年と恋仲になりたいと言い募り、自らの職責に背反するそれを黙殺しようとした。

分かるだろう?余を呼ぶほどの悪を生んだのは、貴殿の善なのだ。

なんという論理の破綻。
我らは善と悪という二つの概念を選び、互いに世界を創出し、そしてまたその二つの闘争の末にひとつの世界に吸収され完成することを約したではないか。

だが、その少年は善のために悪を呼んだ。

悪なる憎悪のために、余に友という善を求めた。

今、かの者が地の獄に繋がれている。いつだったか、昨日のことのようでもあるし、もう何年も経ったような気もする。

その時に、共に獄に下った者がある。

名を、天使ヶ原桜という。

その者の証言をここに記そう。「私だってね、白と黒だけで出来ちゃいないの」

なんという残酷な言葉であろうか。我らの二元は、我らが生み出した人間の前には無意味なのだ。
無意味?いや、違う。両方が必要なのだ。
では、両方が必要ならば善と悪、白と黒、そのどちらか一つにまとめ上げたのが完成された世界だと信じ、世界を、すべてを創り出し、互いの信念を選びたもとを別った我らの行いは何であったのだろうな。

そうだな、正直に言おう。


我が孤独は、左門召介によってより深くなった。


いつかこの者を失うのだという世俗的な感覚だけではない。そもそもの余の存在理由、いや、世界の概念、それを喪失したような孤独。
永らく忘れていた。人間がどのように善と悪を、白と黒を使い分け、混ぜ合わせ生きてきたか。
やはり我らは二つに分かれねばならなかったのだ。
善と悪とは共には在れぬと、共にないことにすることが、世界への救いだったのだと。
人は弱い。善か悪か、白か黒か、決めて生きることはできぬ。その両方を使うことしかできぬ。
だから我らはそれを救うために、象徴として善と悪を分けた。

スプタン・マユよ、余を許せ。

余は暗黒の世界のみに生きることを選ぶことにした。
貴殿との闘争も続くが続かぬような気がしている。

余は赤き竜の王との婚姻を結ぶ。





アンリ・マユの書簡を手に取って、スプタン・マユはこの世界が終わるのを感じた。
絶望ではない。それは希望だった。
善と悪は今度こそ分かたれた。アンリ・マユは人から、人の世から興味を失った
これで、世界はまた闘争の渦に堕ち、終焉が訪れる。
劫火が世界を嘗め尽くし、新たな世界が創造される。

「ヒトに恋をするなど、やはり世迷い事であったか」

ゾロアスターの悪と、赤き竜の悪と、我らの善。

今のヒトにどちらかを選ぶなどできぬ。できぬのだから、世界を焼き尽くし、新たな世界を創ればいい、そう、スプタン・マユはずっと思っていた。

「善を信じると言いながら病を恐れ、悪を信じると言いながら幸福を夢見る者などいらぬ」

さあ、劫火を。

「もう一度、世界を創り直そう!」

我が半身、アンリ・マユよ。
我らは何度でも正しい世界を創り出そう。その世界が出来上がるまで、何度でも。




2017/9/8