Waltz
美しい、と思った。それが例えば彼女への侮辱になるとしても、美しい、と思った。
白銀の世界で、女神は踊っていた。相手はいない。いや、その雪と張り詰めたような空気こそが相手なのだろう。踊りと言ってもただ歩き、ただ見上げるその動作が、まるでワルツでも踊るように、その白の中で黒い髪を靡かせて彼女は舞った。
「冬か。佳いな」
そうして彼女は動きを止めてふと葉を落として雪に埋もれる木の枝に手を伸べる。
「春まで、待て」
まるでその木にはその言葉が分かるような気が、俺にはした。春まで、か。春になれば、その木は芽吹き、花を咲かせるのだろう。
「美しいな」
「何がだ?」
俺の問いにアンリ・マユはふふと笑った。
「美しくなどない。すべては枯れ果て、命は尽きた。雪は降りしきり、大気は凍る」
そう言って、彼女はもう一度言った。
「美しくなどない」
ふわりと笑って、彼女はそう言い、また踊るようにその雪面に足跡を付けた。
「春になれば、雪は溶け、木々は芽吹き、花は開く。余はそれまで冬を預かっているだけだ」
「それはお前にしかできない」
「そうだ。誰も彼もこんな冬など好まぬからな」
寒さ、冷たさ、命の果て。それを司って笑う女神が、俺にはひどくまぶしく見えた。
ああ、だからだろうか。だから、先ほどの木は、まるでその冬の中で陽光が差したように思えたのだろうか、と思った。この冬枯れの大地において、彼女以上の輝きはきっとない。
冬を預かると彼女は言った。踊るようにその冬を歩みながら。
彼女が歩いた後には何も残らない。それがアンリ・マユ、この世の悪を体現した女の性だから。
「美しいな」
「しつこい男だ」
言葉に女はやはり笑った。
「美しいと思うなら、踊ろうか」
「いいぜ」
そう言って女神は手を差し伸べた。だからそれを俺は取る。そうしたら彼女は可笑しそうに笑った。
「美しいものか。すべてが息絶えた冬にしか、余は生きられぬ。すべての命を、悪を平らげてしまう。美しいものか」
「それでも、それだからあなたは美しい」
生を、死を、邪を、悪を、平らげて、彼女は踊る。その世界を創り上げては壊し、壊しては創り上げる永遠の女神の、その一瞬に、俺はなれるだろうか。
さくりと雪原を踏んで、彼女の手を引く。何の音楽も、いや、音もない。ただ彼女が歩とそれは音になり、それはリズムになった。
それはきっと、神にだけ許された業。
「余は最初の音を置き、最初の文字を置いた」
「ああ」
「世界は廻り、人々は悪に震え、そうして善に喜んだ」
軽やかにステップを踏みながら、女神は言った。
「やがて人は神を忘れ、悪を忘れ、安寧が訪れる」
「それでも冬は変わらなかった」
「そうだな。どんなにヒトがあがいても、冬を避けることはできまい」
ふふと彼女は笑った。
冬。すべてが息絶えて、すべてを彼女が平らげた世界。そこに善はなく、そこには冷たさと悪しかないのに、そこはひどく美しい。
「余は悪を統べる者」
「俺様は地獄を司る」
「なればこの冬こそ地獄であろうよ」
そう笑って、彼女はふと俺の手を離れて高く跳んだ。軽やかに跳んで、さくりと雪原に降り立つ。まるで、世界が始まったときのように。
「また春が来る。しばし待て。また世界は巡る」
木々に、雪に、ヒトに、世界に語り掛けるように彼女は言った。
世界は巡る、か。円舞のように、世界は廻り、巡り、そうして永遠に彼女とその半身は繰り返す。
「終わりなど、ない」
祈るように、女神は言った。
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2020/12/27
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