「プロテニス…お兄ちゃん今月読んでないわよね。」

入院している兄のため、毎日病院に通って何かしら持っていくのだが(クッキーや本など本当にいろいろだ)、病院からの帰り、明日は何を持っていこうかと考えていたら、こんな所まで来てしまった。
家からさほど遠い訳ではないが、少し離れた大型書店。中に入ってしまってから、何を買う気だったのか分からずに入ったとは、少し滑稽である。しかし兄が月刊プロテニスの今月号を読んでいないことに思い至ると、杏の足は自然と雑誌コーナーに向かった。

「あった。」

平積みされている雑誌の中から、月刊プロテニスを見つけ出し、それを取ろうとした時だった。
ひらり、とでも形容すればいいのか、随分美しい動作で杏が見つけた月刊プロテニスが持ち上げられた。

「え…ウソ!」

運の悪いことに、それは最後の一冊で、思わず声が出てしまい、杏はサッと口元に手をやった。

「すみません、最後の一冊でし…!君は…確か橘の」

突然出てきた『橘』という単語に杏はさらに驚いて声の主を見上げた。

「あ…あ、立海の…参謀…」

思わず口をついて出てきた言葉は、ほぼ初対面の相手に対しては、少し失礼ともとれる言葉だった。

「柳だ。不動峰の橘の妹、橘杏君だな。」
「えっ…あ、はい。あの、なんで東京に…」
「今日は部活が休みでな。少し大きい書店に来たかったというわけだ。ここは立海からもさほど遠くはない。」

そう苦笑混じりに言った柳の手にはプロテニス以外にも何冊かの本があった。

「悪かったな、これ。」
「あ、いえ、別に…」
「少し待っていてくれないか。」

そう言いおいて,柳は会計に行ってしまう。いろいろなことが一度に起こりすぎて、杏は固まってしまった。

(お兄ちゃんを傷つけた立海の参謀…なんで)

「待たせたな。」

杏がぐるぐると思考を巡らせているうちに柳は会計を済ませて戻ってきた。

「あ…あの」
「これは君にやろう。」
「え!?」

柳に差し出された紙袋に杏はさらに驚いた。

「これ…」
「月刊プロテニス。君が買おうとしていたものだ。」

受け取った紙袋の他に柳はもう一つ手提げを持っていた。どうやらプロテニスは杏にやるつもりで会計を済ませたらしい。

「あの…代金を…」
「それは構わない。橘…お兄さんへの見舞いだろう。」

そう言われて杏はびくりと固まった。柳は立海のレギュラーだということに改めて気づき、言葉が出なくなる。

(あんたたちのせいよ!なんて…)

言える状況ではない。
それを察したのか柳は苦笑して言った。

「少しよそで話さないか?」
「え…あ、はい」

それから喫茶店に入って、紅茶を頼むまでの行程を杏は覚えていない。自分の前に紅茶が、柳の前にコーヒーが置かれたところでやっと杏の思考は浮上してきた。

「随分、警戒されているようだな」
「え…!ち、違います!あ、そうだ、これ、ほんとに良かったんですか?最後の一冊だったし…」

しどろもどろにそう言うと、柳はコーヒーに少し口をつけて微笑んだ。

「もちろんだ。さっきも言ったが、それは橘への見舞いに買おうとしていたのだろう?ならば尚更、俺が持っているわけにはいかないな。」

見透かされている―

そう思うと頬が火照るのが分かって、杏は思わずうつむいた。

「あの…」

(何を話せばいいのよ!?)

それは杏の正直な感想だった。こんな状況でなければ、いくらでも罵声を浴びせているところだが、今手元にある紙袋がそれをさせてくれない。

「橘のことだがな…うちの赤也が悪いことをした。」

唐突に言われて杏は面食らった。

「あの試合、本来の実力ならば橘が勝って当然のものだったが、どうも赤也はラフプレイが過ぎる。それで、だろう?橘が本気を出さなかったのは。その上怪我まで負わせて、本当にすまなかった。」
「え…なん…で」
「なんで謝るんですかと君は言う。違うか?」

顔をぱっと上げた杏に柳は微笑んでそう言った。

「それならば答えは簡単だ。うちの後輩が君のお兄さんに怪我を負わせたから。言っておくが、橘に謝るのではなく、君に謝っているんだぞ。」

そう言われて、杏はさらに驚いた。

(この人…もしかして)

「それで、どうだ、うちの赤也は。そんなに似ていたか?」

以前の橘に、と続けられて、杏はやっと納得した。

(この人は、全部分かって言ってるのね…)

そう思ったら、不意に涙が零れ落ちた。

「…!?すまない、さすがに泣かれるとは…」
「違うんです。ちょっと、嬉しくて…立海にもお兄ちゃんのこと、ちゃんと見てくれてる人もいるんだって思ったら。それに…お兄ちゃんのプレイは…」

あの試合、橘が動けなかったのは切原よりも弱かったせいではないと杏には分かっていた。
似ていたからだ。かつて千歳を傷つけたプレイに赤也のそれはよく似ていた。その事実を分かってくれたこと、そして熊本にいたころの思い出がフラッシュバックして、杏の涙腺を緩ませた。

「それならば良かったが、そんなに泣かないでくれ。」
「すみま…せん」
「謝らなくていい。ほら」

そう言って柳は杏の涙を丁寧に拭ってやる。

(橘も、彼女も、九州に未練を残してきた…か。ふむ)

いいデータが取れた、と納得しかけて、柳は心中首を傾げた。

(彼女…も?)

「あの…柳さん、もう」
「あ…ああすまないな、もう泣き止んだか」
「はい、すみませんでした。いろいろと…」
「だから、謝らなくていいと言っている。それより紅茶が冷めるぞ」

こくりと頷いた杏が妙に可愛くて、柳はふっと笑った。

(彼女の未練…か)

この感情の名前を、彼はまだ知らない。




Boy meets girl !






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柳杏出会い。柳さんは一目惚れだといい。杏ちゃんはこれから柳さんを好きになっていけばいい。少し続きます。