「もう一度聞くわよ。誕生日プレゼント、何が欲しい?」
『もう一度言うぞ。杏だ』
この不毛なやりとりを繰り返して、早30分が経とうとしていた。 電話の向こうの相手の強情さに杏は苛立ちを覚えた。
何よりも
「蓮二さんそれ以外言えないの?」
『具体的に言えばいいのか?例えばお前がメイド服を着て手首をリボンか何かで縛って「あー聞こえない聞こえない!もういいわよ、この変態!」
柳の返答に彼女はそう叫んで携帯の電源ボタンを連打した。
「おい、うるさいぞ杏」
「お兄ちゃん!帰ってたの」
「今帰ってきたところだ」
高校に入って2ヶ月、橘の帰りは部活でめっきり遅くなっていたから油断していた。
「それより何だ、変態とか大きな声で」
「ああっ…とっ友達よ、友達。変なこと言うもんだから思わずおっきな声出しちゃったの。それよりお兄ちゃん毎日遅くまで大変ね」
そう言って部屋から半ば無理矢理兄を追い出した。
「まあ、な」
毎日遅くまでーというのはあながち嘘ではない、杏の本心だった。高校に入ってからというもの、橘は忙しくなる一方であった。
それは杏の彼氏、柳も同じようだった。入部して初めのレギュラー入れ替え戦で、立海元三強はいともたやすく立海大付属高校のレギュラーになってしまったのだ。
もしかしなくてもすごいそれを彼は『当然だ』の一言で涼しげにやり過ごしてくれた。
しかしレギュラーともなれば取れる時間も限られてくる。当然のこととして、杏と柳が会う時間は減っていた。
5月の末、柳の誕生日まで約一週間。なんと都合のいいことに、彼の誕生日は杏も柳も部活がオフ。久しぶりに会えるのが彼の誕生日となったのだった。
(久しぶりに会えるって言うから、頑張ったっていうのに…)
彼女は柳の誕生日に向けてこつこつ頑張っていた。具体的に言えば、普段つけない小遣い帳を3ヶ月前からつけた。項目の一つは『誕生日プレゼント』。それなりの額を貯めたつもりだ。そして今日の電話。普段は恥ずかしくて自分から電話などしないところを、勇気を出して掛けた。その結果があれである。
「どうした、杏?深刻な顔して」
「え…あ、ううん、何でもないの。夕飯食べましょ、夕飯!」
「あ、おい!」
橘を階下に追いやり、杏はひっそりとため息をついた。
(結局振り出しじゃない…)
杏と柳は付き合いだしてまだ一年経っていない。バレンタインなどのイベント事は今まで無難にこなしてきたつもりだった。
しかし誕生日。こればかりは杏も手を焼いている。
「サプライズプレゼントも考えたんだけどな…」
思わず口に出して言ってしまう。
味の濃いものは苦手。香水は匂袋があるからいらない。日傘が必需品…柳の好みや傾向は大体掴んでいた。しかし、いざプレゼントを買おうと思うと受け取った柳の顔を想像してしまって買えない。それも相俟って貯めたお金だけはたくさんあった。何を要求されても良いようにだ。
それで勇気を出して柳に電話を掛けた訳だが、返答があれでは話にならない。
「杏、何ださっきからぶつぶつと」
「あ…そうだ、お兄ちゃん、誕生日プレゼント何が欲しい?」
「何だ、藪から棒に」
「いいから答えて」
そう言って顔をのぞき込むと、橘は苦笑して杏の頭を撫でた。
「そう思ってくれるお前の気持ちが一番だよ」
「もう、そうやってはぐらかす」
「はぐらかしてなんかないさ」
結局兄も役には立たなかった―
誕生日当日。杏はため息をついて柳家のインターホンを押した。
「ふむ」
出てきた柳は彼女を上から下へゆっくり見渡しそう頷いた。杏は学校帰り、不動峰の制服姿だ。
「な…なに?」
最初から何かしてしまっただろうか、と少し焦って聞くと、彼は納得したようにまた頷いた。
「住宅街をメイド服で歩くのはいただけないからな」
他人になど見せたくない、と言った柳の頭を思わずはたく。
「何言ってるのよ!」
「照れるな」
「もう、減らず口!」
言い合いながら柳の部屋に上がる。
「それで、どこで着替えるんだ」
「だから!そこから離れてよ」
杏はぷいと顔を背けて、細長い箱を差し出した。
「誕生日プレゼント」
「そんなに怒るな、杏」
「いらないなら持って帰ります」
「…悪かったよ、杏。杏、こちらを向け」
スッと杏の頬に手を伸ばし優しく自分の方に彼女の顔を向かせる。
「ちゃんと渡してくれ」
頬に手を添えたまま、真っ直ぐに見つめられて、杏は顔が赤くなるのを感じながら、先ほど突き出した箱を改めて柳に差し出した。
「これ、結構悩んで選んだの」
「開けてもいいか」
こくんと頷いた杏の頭を撫でて掛けられたリボンをほどく。
「万年筆か…!」
中身はシンプルな万年筆。黒を基調としたスタイリッシュなデザインは若者が持っても違和感がない。
悩んで、と言ったが悩んだのは何を贈るかで、この万年筆自体はすぐに決めてしまったというのが実のところだ。このデザインの万年筆を持っている柳の姿を想像して、ぴたりと当てはまったから。
「気に入った。ありがとう、大事に使わせてもらおう」
「良かった…」
ほっと息をつくと柳は万年筆を丁寧に机にしまい、杏に向き直った。
「…随分悩んでくれたようだな」
その一言に彼女はハッとして柳を見返した。
「蓮二さんが変なこと言うからじゃない」
「…」
それには応えず、彼は杏の頭を撫でる。
「そうやって、杏が俺のことを思ってくれるのがわかるだけで、俺は嬉しいのだよ。最近は会えなくて寂しかったしな」
「蓮二さん…」
思わぬ告白に感動する。
(お兄ちゃんの言ってたことも、間違ってなかったわね)
「杏、手を出せ」「え、何?」
少し感動に浸りながら、杏は言われた通り手を差し出した。彼女は妙なところで素直だ。
「え!?ちょっと…何するのよ!!」
「何?俺用のプレゼントを作成中だ」
柳はそう言いながら万年筆の包装に使われていたリボンで杏の手首を結んでしまう。
「とって!何考えてるの」
「言っただろう、プレゼントは杏がいいと。万年筆は気に入った。だがもう一つ欲しい」
そう言って自由の利かなくなった杏を抱きすくめ首筋に顔を埋める。匂袋の微かな香りがして、杏は頬が上気するのを感じた。
「くすぐったい、蓮二さん」
「そうか」
気にしていないように笑って、杏が抵抗できないのを良いことに、柳は首筋だけでなく額や頬に何度も唇を寄せる。普段だったら杏に押しやられてこんなことはできない。
唇に口付けようとして、彼はふと動きを止めた。
「そういえば、まだ聞いていなかったな」
至近距離でそう言われ、杏の顔は真っ赤になる。しかし彼女にも柳の言わんとしていることは分かった。
「えっとね…誕生日おめでとう、蓮二さん」
その言葉に満足げに微笑み、彼は口付けを落とした。
Happy Birthday!
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それってもう、セクハラです、参謀!
今、行っているアンケートで、「柳杏が好き」と仰ってくださる方が…うちの参謀と杏ちゃんはラブラブですが、お口に合いますでしょうか?そんなこんなで、柳誕生日でした。
2011/06/04