「杏、散歩にいかないか?」
「ゴクトラの散歩ならさっき行ってきたよ。」
「そうじゃなくて、俺とだ。」
「つっかけで行けるとこまでよ。」
ついに来たかと思いながら、適当なことを言って支度をする。
period2
千歳さんとの試合の後、九州時代のことや、千歳さんと兄のことを不動峰の面々に話したのは記憶に新しい。
その事で兄から何を言われるかと少し緊張しながら待って、2日が経っていた。それは男子テニス部が全国大会で敗れて2日経った日でもあった。
玄関から声をかけてきた兄は黒のジャージ姿だ。今日は全国大会の後の初めての練習だと朝聞いたから、その帰りなのだろう。
「練習、終わったばっかりなんでしょ?」
「別にいいだろう。」
強かった日差しも、夕刻の今はもう西陽となった。幾分涼しくなった道路を二人で歩く。今となっては慣れ親しんだ道だが、一年前なら右も左もわからなかったのだ。時が経つのは早い。
どちらからも言葉が出ずに、近くの公園までついてしまった。
「ブランコ!押してよ、お兄ちゃん」
変に緊張した空気が嫌で、ブランコまで走る。
「…お前な」
「ね、いいでしょ?」
半ば無理矢理背中を押させて強く反動をつけると、一瞬地面が遠ざかる。
「もっと強く!」
無茶苦茶な要求に兄がため息をついた。
「杏…あのな」
「お兄ちゃんも千歳さんも、バカよ。」
話題を出される前に私から言ってしまうと、兄がハッと息を呑んだのが分かった。兄が背中を押すのを止めてしまって、ブランコがキイキイ音をたてて止まる。
「千歳さんはテニスバカ。お兄ちゃんは…そうね、何バカかしら?でもバカだわ。」
「バカ…か」
「そうよ、バカ。よく考えたら千歳さんだってテニスバカだけじゃなくってバカね。熊本にいたころからぜんっぜん変わらないんだから」
トンっと地面を蹴ってブランコを揺らす。風景も一緒に揺れて舞い上がる。
「俺はバカか…」
「そっ。」
「じゃあ、バカじゃないお前に聞いてもいいか?」
「なあに?」
妙に真剣な響きに私は思わずブランコを止めた。
「俺はあの試合で何がしたかったのか。よう考えてもいっちょん判らん。杏やったらわかっと?」
飛び出した訛りと、金に染め上げられた兄の髪は、嫌でも熊本にいたころのことを思い出させる。
「髪、伸ばさんの?」
「答えになっとらん。」
わざとすかして答えたのは、兄の気には入らなかったようだ。
「だって簡単すぎるんやもん。お兄ちゃんも千歳さんもテニスがしたかっただけでしょ。」
そう言うと兄は驚いたような顔をした。
そんなに驚く様なことを、私は言っただろうか?
「不動峰のみんなも千歳さんもお兄ちゃんも、テニスがしたかっただけ。違う?」
もう一度地面を蹴ってブランコを揺らす。
それとも、だ。兄はそんなことにも気付かないから,変に悩んでいたのかもしれない。
「アキラくんたちに、熊本にいたころのこととか千歳さんのこと、あとお兄ちゃんの技も全部話したわ。謝らないからね。」
「そう…か」
ゆっくり頷いた兄を横目に私はかたかたブランコを揺らす。
右目の視力を失った千歳さん。
自分のプレイスタイルを捨てた兄。
テニスも出来なかったみんな。
誰もがみんな,ゼロからのスタートだった。でもみんなやりたかったことは一つ。テニスだ。
「男ってほんと、バカ。みんなしてバカみたい。でもね」
強く地面を蹴って地面から遠ざかる。その反動のままブランコから飛び降りた。
「でも私、千歳さんとのあの試合で、お兄ちゃんが『テニス』できて良かったと思ってるのよ。」
「そうか。」
「ねえ、四天宝寺も負けちゃったけどさ、決勝戦は私も一緒に見に行っていいでしょ?」
「当たり前だろ。その方があいつらも喜ぶさ。」
やっと見られた兄の笑顔に私も思わず笑顔になる。
あいつらー兄は間違いなく不動峰テニス部の部長としてスタートしたのだ。そしてやっと、ニスができた。
「ふふ…お兄ちゃん、不動峰のジャージ、似合ってる。」
「何だ、急に…」
「いいのよ。風も出てきたし、帰りましょ。」
歩き慣れた、道を帰ろう。
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実はこっちが本編だったりします。桔平と杏ちゃんの組み合わせが好き過ぎる。