徳川カズヤのPFP(Perfect・Family・Plan)
小坂田朋香は目の前の男に手元のグラスいっぱいに入った氷水をぶちまけて、「アンタなんかと一緒にはいられないわ!」と叫んで席を立ちたいと思っていた。
先週、月9で見た行動と言動だ。恋愛ドラマにありがちな修羅場のそれだが、これは修羅場ではないだろうか、と朋香は本気で思っていた。
差し向かいで男と食事をしている。真剣に将来について話している。自分はその将来設計プランに納得できない。ほら、よくある修羅場だ。別れ話のタイミングだ。
「水ぶっかけてもいいですか」
「なぜだ?」
きょとんと首をかしげた差し向かいの別れ話の相手、徳川カズヤはしかし別に朋香の恋人ではない。
U-17合宿の応援に桜乃と朋香がともに訪れて、それから学校が休みの時にはなるべく来るようにしていたのだが、3度目あたりからだろうか、朋香はこの徳川カズヤに目をつけられていた。しかし、別に徳川は朋香と付き合いたいとかそういうことではないのでなおのこと話は複雑だった。
そして、今日、5度目か6度目の彼の将来設計プランの説明に、朋香の我慢の限界が来たのである。
「完璧な計画だと思わないか」
「どこがですか!?」
「そうか、分からないか。ではもう一度説明しよう」
「やめてください!!!」
朋香の叫びは、もう昼食時が過ぎて人のいなくなった食堂にむなしく響いた。
「PFPとは、俺の家族団らんを再構築する将来プランである。俺には姉がいるが、姉は俺を小間使いか何かと勘違いしている。買い物の荷物持ち、逆らうことの許されない日々。新しい化粧品、ウエストの変化、すべてを誉めなけれならない。しかし気づかなければ叱責されるが気づいたときに機嫌が悪ければじろじろ見るなと言われる。こんな生活から脱却したいと思うのは当然だろう」
始まった演説に、朋香は氷が解けて薄くなったアイスティーをちびちびすすった。席を立たないのは最後に残った小指の先程度の良心からだった。憐憫ともいう。しかしそれも小指の先の爪の白い部分程度だが。
「そして俺は今、U-17の代表に選ばれてこの合宿にいる。そこに将来有望な二人の候補がやってきた」
はあ、とため息に似た相槌を打った朋香に徳川は大きくうなずいた。
「一人目は越前リョーマだ。テニスの才能は目覚ましく、俺は何度も彼を鍛えた。彼と打ち合った。そうしているうちにまるで成長を見守る弟のような存在になっていった」
その言葉に偽りがないことは朋香も知っていた。あの平等院の凶弾から体が壊れるまでリョーマを守ったのは彼だ。それだけリョーマの才能を評価してくれたこと、いや、桜乃と朋香にとってはリョーマを命の危機から救ってくれたことには感謝しかない。それは本当だ。
「そこで俺は考えた。もうこれは、越前は俺の弟なのではないかと!」
だめだこいつはやくなんとかしないと。
「そして越前には彼女がいた。いや、まだ告白していないらしいがそこはそれ、越前は間違いなく彼女が好きだし、彼女も越前のことが好きだろう。竜崎さんだ。もうこうれは竜崎さんは俺の妹なのではないかと!」
だめだこいつほんとうにはやくなんとかしないと。
「そして俺の妹には親友がいる。君だ。これでパーフェクト・ファミリー・プラン、略してPFPは完成する」
決意のこもった声で言われ、期待に満ちあふれた目で凝視されて、朋香は本当にこの顔面にグラスの水を氷ごとかけてやりたいと思った。思うにとどめているのは優しさだろうか、憐憫だろうか。
「同じ競技を行い切磋琢磨しつつ和やかに兄弟げんかなんかもしながら楽しく生活する俺と越前、越前の妻になり俺の義理の妹になる竜崎さん、この夫妻と家族ぐるみの付き合いがある、つまり俺たち家族と家族ぐるみの付き合いがある小坂田くん。和やかで素晴らしい家族計画だ」
何言ってるんだこいつ。「俺たち家族」ってなんだ。家族という概念が崩壊する。
そう考えてから、朋香は「家族とは人間が経験する第一の社会である」という気難しい社会科の教師が言っていた言葉を脳内で反芻するところまで思考が飛躍してきていた。
「実の兄的なことを言う越前リョーガさんが気になるがそこは俺がなんとかする。君の方の家庭については口出しはしない。ただ家族ぐるみの付き合いをできるように君には幸せになってほしいと思っている」
「君には幸せになってほしい」、とても素晴らしい言葉だと思う。打算がなければ、の話だが。
いつも通りそこで終わった演説に、朋香はいつも通りすべてを聞かなかったことにして席を立とうかと思ったが、今日という今日は言わねばならぬことがあるだろうと思い直し、彼に向き合った。
「ちなみにお聞きしたいんですが、これって桜乃とリョーマ様には伝えてある計画なの?」
「いや?君が一番簡単に計画に参画してくれそうだったから」
あの二人推進派なんだろうと言われて朋香は覚った。この男、そう簡単に二人が弟(仮)と妹(仮)になり得ないことを知っているから外堀を固めると言うか自分を使って二人を説得しようとしているのだ、と。
「何度も言ってますがそんなずさんな計画には参加できません。ほんとに頭大丈夫ですか」
「何度も言っているが俺は諦めない。君たちを俺の完璧な家族計画に組み込むまで諦めはしない!!!」
そう徳川が高らかに宣言してバンっとテーブルを叩いたところで、昼休憩終了のアナウンスが入る。ナイスタイミングだ。
「そういうことで明日も一緒に昼を食べよう、小坂田くん…いや、朋香さん」
そう言って食器を片付けトレーニングルームの方に向かう徳川の背中を忌々し気に見つめながら、朋香はそろそろ事の次第を二人に話そうと思い始めていた。
そう、彼女がこのバカげた計画の話を聞き続けているのは小指の爪の先のさらに先にある白い線一本程度の良心なのだ。
爪切りで切り落とすのは、本当に容易なんだと思いながら、朋香は傍らのスマートフォンから今晩二人と話がしたい旨のメッセージを送っていた。
これであのPFPとかいう様々な概念が崩壊した計画が頓挫することを心の底から願いながら、その爪先の良心と憐憫を、彼女は一思いに切り落とした。
徳川カズヤのPFP(未遂)
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こ れ は ひ ど い !
2019/04/14