Please!
蓮二さんの誕生日が近づいている。私も大学に進学して、バイトもしている。だから、それなりのものは買えるように資金繰りをしているので、この間ちょっと訊いてみた。
「蓮二さん、誕生日、何が欲しい?」
中学生の頃から付き合っていて、今では私の大学入学を機にルームシェアをして2,3年経っているほどだが、中高の時のようなサプライズも、そろそろやめにして、せっかくの誕生日なのだから、蓮二さんの欲しい物を渡したい、という気持ちが出てきた、というのはやっぱりある。
「気を遣わなくていいぞ。杏がいればそれでいい」
テレビのニュース見ながら後ろから私を抱える形で、惚気みたいなことを言われたけれど、私はちょっと困ってしまう。
「だって……」
「苦学生がお金の掛かることに気を回すんじゃありません」
笑い含みにたしなめられて、私はぷうっと頬をふくらませた。それが面白かったのか、蓮二さんはその頬をつねったり、両手で挟んだりして遊んでいる。
二人でのルームシェアの生活はとても充実しているし、幸せだ。だけれど、誕生日プレゼントくらい、いい物を渡したいじゃない、という乙女心を解さない蓮二さんがちょっと恨めしかった。
***
『今日、ゼミの飲み会なんだ』
『遅くなる?』
『いや、そんなには遅くならない。明日車のやつもいるし、早めに終わるだろう。10時くらいには帰る。寝てていいからな』
それは今朝、朝食を食べている時に言われたことだった。私が明日、朝一の講義が入っていいるのを蓮二さんは知っていたから、帰りを待たずに寝ていていい、と言ってくれたのだろう。その気遣いが嬉しかった。
けれど、恋人が眠っている部屋に、一人で帰ってくるのは寂しい。それに、飲み会なら蓮二さんはお酒を注ぐ側になって、何も食べられないだろうと思ったから、簡単なうどんか何かと、サラダでも作って帰りを待っていよう、と思いながら『分かった。洗い物するから、遅刻しないように行って。今日は私、朝余裕あるから』なんて言っておいた。
『悪いな。じゃあ、お言葉に甘えて先に行くよ。ごちそうさま』
そう言って彼は席を立つと、洗面所に向かった。洗面所から出てくるまでの間、私は食器を洗っていた。
『行ってらっしゃい』
洗面所から出てきて、着替えも終わったらしい蓮二さんに言うと、朗らかな返答がある。
『行ってきます』
それが、今朝の出来事だった。
***
「ただーいま」
夜、明らかに酔っ払った、甘えを含んだ声で、蓮二さんが部屋に戻ってくる。玄関まで行って、とりあえず寄り掛ってくる彼のネクタイを緩めてやったけれど、離れてくれる気配はない。これは相当飲んだな、と思った。
「蓮二さんお水」
そう言って、その巨躯を引き離して、引きずるようにキッチンへと連れていく。椅子に座らせたら、今にも眠りそうな目をしていた。今日は飲まないかと思っていたが、だいぶ飲んだらしい。そうして、酔っ払った蓮二さんは普段からは想像もつかないほど、相当の甘えたになる。この末っ子め、なんて思いながらも、普段そういうことをしない蓮二さんに甘えられることは、悪い気はしなくて、私は少し笑いながらコップに水をたっぷり注いだ。
「はい」
「飲ませろ」
「馬鹿なこと言わないの。飲まないと酔い醒めないよ」
そう言ったら、酔っ払った蓮二さんは不服そうな顔をして、それから言った。
「最近杏からキスしてくれないじゃないか」
「何言ってるのよ!」
この酔っ払いめ、と思って、コップをずいっと彼の口許に持っていったところで、私の頭にふとした考えが過ぎった。
「杏はひどいやつだ」
酔っ払って甘えたになっている彼は、放言を繰り返しながらしぶしぶという感じに水を飲んだが、それを横目に見ながら私は先程過ぎった考えを巡らす。
(キス……か。そういえば、なんだかんだ時間合わなくて、私からはしてない、かも)
私から、も何も、蓮二さんからだってしてもらう機会は最近はなかなかない。恋人として、同棲相手として、恋しているし、もちろん愛しているけれど、最近のその表現は、言葉や衣食住における行動のみだったかもしれない。
「あーん、湯たんぽになってくれ」
水を飲み終わって、ネクタイを取っ払って、ワイシャツのボタンを緩めた蓮二さんが手を広げて言った。一緒に寝ようと言う意味だろう。相変わらず、酔った蓮二さんは本当に甘えただ。
(一緒には、寝る…けど…私から、抱きしめたり…キスしたり…してない)
「いいよ」
そう言ったら、蓮二さんに抱きしめられた。それから私は、先程脳裏を過った考えを反芻しながら、控えめに、彼の腰辺りに腕を回した。そうしたら蓮二さんはさらに密着して、私を抱きしめた。その体温が心地よい。それからお酒の匂いがした。蓮二さんはいつも酔っ払った時の記憶を失くすから、明日の朝にはきっと何も覚えていないだろうな、と思った。
だけれど、彼が酔っ払った時に言うのはいつも本音ばかりだったから、私の頭の中では、ぐるぐると思考が回転していた。
***
大学に進学して、蓮二さんと一緒に住むようになって、だいぶ上達した料理で、めいっぱい豪華な料理を作る。薄味だけれど、それぞれのおかずの味が引き立つように。これも、蓮二さんの好みに合わせているうちに、私自身も好きになってしまった調理法だった。
今日は、その調理法と味付けでめいっぱい豪華な料理を作って蓮二さんの帰宅を待った。
今日は、蓮二さんの誕生日だった。
「気にしなくていいと言っただろう」
「だって、誕生日じゃない。気にするわよ」
「悪い」
「そんなこと言わなくていいの」
「そうだな。杏がこんなにしてくれたんだから。ありがとう」
食卓について、少し押し問答みたいになったが、蓮二さんは最後には微笑んでくれた。それは、気を遣ったとかそういうのではなくて、本当に嬉しそうで、幸せそうな微笑みだったから、私も嬉しくなってしまう。
「乾杯しましょう」
私はそう言って、今日のちょっと贅沢な和食に合う日本酒をお猪口に少しだけ注いだ。それから、かちりと私と彼のそれがぶつかる幸せな音が鳴る。
「杏の料理は本当に上達したな」
お酒は互いに舐める程度にしか飲まなかったから、酔いは回らない。だから、いつも通りのテンポで会話が進んだ。
「そう?」
「すごく美味しい。嬉しいよ」
「ありがとう。喜んでもらえて私もうれしい」
そんなことを言い合いながら料理を食べているうちに、彼の誕生日の特別な料理は皿から消えていった。
その頃合いを見計らって、私は椅子の後ろあたりに隠していた包みを差し出す。
「はい」
「ん?」
「誕生日プレゼント」
細長い包みは、多分記憶力のいい蓮二さんにとってはいつか見たことのあるようなものだっただろうと思う。
「別にいいと言っただろう?」
困ってたしなめるとか、不機嫌になる、という訳ではなくて、申し訳なさが先に立った言葉に、それが分かるから私はちょっと笑って言った。
「いいでしょ。バイトで貯めたの。蓮二さんに似合うやつ」
「そうか…ありがとう。いろいろ準備してくれて、なんだか申し訳ないな」
「そんなことないよ。開けてみて」
そう言ったら、蓮二さんは丁寧な手つきでそれを開けてくれた。
「万年筆……」
感嘆に近い声音で、彼は言った。その感嘆の意味は、私にも分る気がした。私が、蓮二さんと出会って、いろいろなことを共有して、そうして、付き合って、様々な障害(とは言わない、と兄には言われたが)を乗り越えて、今度こそちゃんとしたお付き合いが始まったその次の年、彼が高校一年生、私が中学三年生の時に、彼に初めて渡した誕生日プレゼントが、万年筆だったから。
「始めてもらったのも万年筆だった。懐かしいな……」
言葉通り、懐かしむように蓮二さんは静かに言った。それが、ひどくうれしい。
「あの時はね、お小遣いがすごくあった訳じゃないし、中学生だったし買えるものも限られててたし、なんか、若向きだったから、改めて、これ」
あの時に買ったのは、若者が持ってもいいようなスタイリッシュな物だったから、今回はそれよりも少し重厚で、使い勝手もいい物を買った。蓮二さんは、論文を書くときに万年筆を使うから、丁度いいと思ったから。
「ありがとう。大事に使う。……ちょっと待っていてくれないか。洗い物とかはしなくていいからな。すぐ戻る」
私が何か言う前に、蓮二さんはそそくさと席を立って、私たちの寝室の方に向かった。
どうしたのかな?と思っているうちに、彼はすぐに戻ってきた。
そうして、わたしに細長い箱を差し出す。
「こ…れ…!」
それは、私たちが付き合って、初めて渡した万年筆だった。
「どうして?だって、安物だったし、すぐ壊れちゃうんじゃないかって思ってたのよ?」
私が言ったら、蓮二さんは優しく、幸せそうに笑った。
「使ったよ。だけれど、壊してしまうのはもったいなさすぎるから、大学に入学したら、両親から祝いにもらったし、これ幸い、と思って、それ以来大事に取っておいた」
それに、私は嬉しくなってしまって、蓮二さんに抱きついた。―――それだけではないけれど。
「大事にしてくれてありがとう」
「それは分かるが、どうした、急に抱きついたりして」
少し困った口調だが、まんざらでもない顔をしている蓮二さんの顔を見上げて、私は彼のワイシャツの襟元を少しだけ引いて、彼を少しかがませると、唇にキスをした。
「……んっ、杏!?」
驚いたように言った彼に、私は笑う。
「蓮二さんね、この間、酔っ払って帰って来たでしょう?その時に、杏がキスしてくれないー抱きしめてくれないーって言ってたの。だから、その…万年筆と一緒に、誕生日プレゼント」
笑いながらもちょっと恥ずかしくて、赤くなった顔を見られたくなくて、私は彼の胸板に額を押しつける。
「そんなこと、言ったか?」
「言った。酔っ払うと蓮二さん、次の朝には全然覚えてないけど、酔ってる時に言うのはいつも本音なの、知ってるの」
だって、長い付き合いじゃない、と言ったら、彼は私の髪にさらさらと指を通した。
「そうか」
そうして、一拍の空白の後、今度は蓮二さんは私の唇に口付けた。
「俺もずっとしたかった。だが大学は時間が時間が合わなくて、なかなか上手くいかなかっただろう?だから―――」
「恥ずかしい!」
本当に恥ずかしくて、遮るために叫ぶように言ったら、彼は笑った。
「今日は俺の誕生日なんだから、少しくらい我侭に付き合ってくれ」
そう言ってから、彼は私の身体をふっと抱き上げた。
「ちょっ!」
「今日は一緒に寝よう。洗い物は明日すればいいから」
何か言い返そうかと思ったけれど、逆らう術なんて思いつかなくて、今日はいいかなと思って抱きかかえられるまま、彼の胸板に顔を預けた。
「特別よ。だって今日は、蓮二さんの誕生日だから」
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参謀誕生日おめでとう!
2013/6/4