Spring cafe



417日、朋香のもとには桜乃と杏からメールが届いた。

「うれしい」

 桜乃には学校でもお祝いの言葉をもらったが、形に残るメールも嬉しくて、家族が開いてくれた誕生日パーティーが終わって、ベッドの上で二人からのメールを何度も読む。嬉しい、の一言に尽きる。
 それから、先日から桜乃に言われていた件が杏の方のメールに書いてあった。

『朋香ちゃんの誕生日の17日は平日だし、家族とお祝いパーティーするでしょう?だから土曜日に朋香ちゃんの誕生日会、私たちでも開いてもいい?誕生日プレゼント遅れちゃって申し訳ないんだけどさ』

 誕生祝いのメールの最後の方に書かれたそれに、朋香は、桜乃から聞いていたとはいえ、嬉しくなってしまって、すぐに返信する。もちろん、お祝いの言葉にはお礼を書いてからだ。
 指定された喫茶店は、杏の通う高校の最寄り駅にあるらしく、初めて聞く名前だ。「穴場なの」と、杏からのメールにはいたずらっぽく書かれていた。断る理由なんて、ない。多分、そこで誕生日を祝ってもらって、いつも通りのおしゃべりをして、買い物に行く、そんな誕生日の次の休みになりそうだった。
 そうして、朋香の誕生日の週の土曜日に朋香と桜乃と杏で誕生日会が開かれることと相成った。




 カランと古風な音がして、本日の主役が照明の落とされた店内へと入ってくる。

「わあ…」

 そんな朋香は素直に感嘆の声を上げて、ウェイトレスに断って奥の方の席に向かった。

「杏さん、よくこんなところ知ってましたね」

 席に着いて、先に着いていた二人が何か言うよりも早く興奮気味の朋香が言ったら、杏はちょっと笑った。

「いいでしょ、たまには」
「えー!杏さん大人ぶってる!」
「朋ちゃん!」

 桜乃がたしなめたが、この落ち着きのある店内では、彼女がそう思うのも無理はない。高校に上がっても、チェーンのコーヒーショップくらいにしか縁のなかった二人、ないし杏を含めた三人にしてみれば、この店はちょっと敷居が高かった。

「だって、誕生日じゃない」

 いいでしょ、ともう一回言って、それから杏と桜乃は示し合わせたように視線を交わす。

「朋ちゃん」
「誕生日」
「おめでとう!」

 桜乃の一言と共に、杏がカウンターの方へちらっと目配せする。「え?」と朋香が言うのとほとんど同時に、薄桃色のケーキが運ばれてきた。クリームがたっぷりついて、苺ののったそれが、特別に作られたものなのは一目瞭然だ。

「え、ちょっと!」

 ケーキは同じものが三つ。だが、朋香のケーキのフォーク近くにだけはチョコレートのプレートがあって『Happy birthday』の文字が躍っている。よく見れば、二人のとは違って、いくつか装飾のあるそれは、誕生日専用のケーキらしかった。

「いいんですか?」
「もちろん!」
「杏さんといろいろ調べたの。ここだと誕生日の特別ケーキがあってね」

 桜乃が照れたように笑って事の真相を話したら、朋香はぱあっと顔を輝かせる。

「ありがとう!びっくりしちゃった」

 思いもよらないサプライズに破顔した朋香に、桜乃と杏はやっぱりちらりと視線を交わして、彼女に負けず劣らずにっこり笑った。




 甘い誕生日ケーキは苺をテーマにしたものらしかった。生地やクリームに加えてのせられた新鮮な苺が、春らしさを演出している。
 朋香と桜乃は二年目の、杏は三年目の、先頃始まった高校の新年度について話しながら、三人はそのケーキを食べた。

「新年度始まってからすぐテストテストテスト!受験生って思い知らされたわ」
「うちも!課題テスト鬼ですよ!」
「でも、テストが終わったら部活見学にけっこう人が来てくれたんです」
「桜乃も先輩かあ」
「朋香ちゃんもでしょ」

 笑いながらそんなことを話しているうちに、ケーキは皿から消える。なんだかもったいないな、なんて思っていたのだけれど、美味しいし、話は弾むし、そんなこんなでケーキは綺麗になくなっていた。そろそろ出なきゃならないかな、なんて朋香が視線をバッグに向けたところで、タイミング良く先程のウェイトレスがやってくる。

「お待たせいたしました」
「……え?」

 朋香の驚きもどこ吹く風という体の杏と、いたずらが見つかって困ってしまったような桜乃を交互に見回したら、空になったケーキの皿は片付けられ、代わりにカップに注がれた温かそうなオレンジ色の飲み物がテーブルに置かれた。

「サプライズはまだあるのよ」

 サプライズってほどじゃないけど、と杏は付け足して、三人の前に置かれたカップに目を落とす。

「ホットオレンジジュース。ちょっとお洒落でしょ」

 杏がこの店をマークしていた理由は、高校の最寄り駅から近い、というだけではなく、先程のケーキや、こういった小洒落たメニューがあるからだった。

「飲んでみて。美味しいの」

 促されて朋香も桜乃も一口飲んだそれは、甘い物のあとに飲むのにも邪魔にならない、すっきりした酸味の、温かいオレンジジュースだった。

「杏さん、こういうお店見つけるの得意ですよね」

 朋香が素直に感心したら、杏はにやりと笑う。

「こういう、お洒落なもの飲みながら話す事って決まってない?」

 ちょっとだけ噛み合っていないそれに、桜乃は困ったように肩を縮めてしまったが、朋香は楽しげに笑った。

「恋の話、とか?」
「そ。17歳になりたての恋の話なんて聞いてみたいじゃない」

 もちろん、桜乃ちゃんのもね、と笑った杏に、朋香は笑い返す。

「もちろん、杏さんも、ですよね?」


「桜乃ちゃんは相変わらずかー」
「いいなあ、いつ聞いても愛されてる、って感じ」

 中学生の頃から変わらない相手一筋の桜乃に、二人は、感心に似た声を上げる。
 ―――最初に彼女の恋が話に上ったのはそんなふうに安定していることが分かっていたからかもしれなかった。

「杏さんは、どうなんですか?」

 真っ赤になって、これ以上はしゃべらない!と決めたらしい桜乃が言ったら、杏はちょっと困ったように首を傾げた。

「ほら、今年の春から大学生じゃない?」

 忙しいみたいでさー、なんて言って、彼女はカップの中身を一口飲む。

「大学生かあ」
「やっぱり違うのよね。中学と高校で一年違いの時も思ったけど、今回はそれ以上。なんか、遠い?って言うか。歳の差ー」

 ちょっとの不満と、たくさんの期待を込めた声音で杏は言う。よくよく考えれば、こういった喫茶店も、或いは年上の、大人びた彼の影響なのかもしれなかった。
 そう考えて、朋香はちょっと頬を染める。人様の恋愛事情にこんな気持ちになるのも変な話だが、年上の彼と、静かな喫茶店に入る、なんて、ちょっとした夢かもしれなくて、朋香の思考はちょっとだけわくわくしたものになる。

「で、ですよ」
「え?」
「今日の主役のコイバナが聞きたいなー、なんてお姉さんは思うワケです」

 そんなことを考えていた朋香に杏が振ったら、突然のことと内容に、朋香の顔はカーッと赤くなった。

「杏さん!」
「だって桜乃ちゃん!私たち三人の中でさり気なく一番ピュアっぽい恋愛してるの朋香ちゃんなのよ!?」
「だって…!」

 だが、そんな桜乃の制止も、朋香の反駁も、意味を成さないくらい、彼女がピュアな恋愛をしていることは疑いようもなかった。
 逢瀬の場所はテニスコート、見つめるのはフェンス越し、渡すのはタオル―――

「そのくらいでちょうどいいの」

 朋香はちょっとだけ頬を膨らませて言った。そうは言っても、コートの中で躍るようにテニスをしている彼を見ると、自分自身も楽しくなってしまって、だからいつも、童心に返ったような逢瀬になってしまうのは、確かに嘘ではなかった。

「幸村さんもさ、もうちょっと押してほしいよね」
「いいの!このくらいがちょうどいいの!」

 思案するような声音で言われた杏の言葉に、朋香はパタパタと手を振って、自分を落ち着けるように温かいオレンジジュースを一口飲んだ。だけれどそれから、こういう飲み物を二人で飲めたら、なんて思いが首をもたげて、彼女は首まで真っ赤になる。

「そういうんじゃないんです!」

 だから、自分に弁解するように言ったら、案の定、杏は「えーっ」と声を上げた。

「そういうのだよ。普通のデートもいいじゃない。新鮮かもよ」
「そんなこと言ったら、年に何回会えるかっていう桜乃だって!」
「私!?」

 思い余って親友を生贄にしようとしたが、二人のそれはまた違った話だ。
 杏の言う通り、なのかもしれない、と思うことは、言われなくなって多々ある。だって、杏と一緒でこの関係は今年から大学生と高校生だ。会える時間が少なくなった代わりに、もう少し進んだ関係になったっていいのかもしれない、とは自分でも思うから、朋香としてもなかなか思うように言葉が出てこない。

「テニスの応援もいいけどさ、他のとこでもちょっと会ってみたら?まあ、応援のあとデートしちゃってるの知ってるけど。あ、でも青春続けちゃう朋香ちゃんと桜乃ちゃんもお姉さんは大好きよ?」
「「杏さん!」」

 重なった二つの声にも、杏は楽しげに笑うだけだ。

「どうなの?誕生日を契機にちょっと進んでみたら」
「それは…私も…賛成、かな」

 先程まで、朋香と一緒に真っ赤になっていた桜乃も、控えめに杏に賛同したから、朋香の顔はもっと赤くなる。「桜乃だって!」という一言さえ出てこなかった。
 だから彼女は温かくて甘酸っぱいオレンジジュースを一気に飲み干す。

「二人とも、けっこう意地悪よね」

 ちょっと恨めしげに二人に視線を投げたら、桜乃は困ったように視線を彷徨わす。杏はそれに構わず伝票をつまんだ。桜乃と杏のカップももう空だった。

「じゃ、恋の進展を約束してもらったところで買い物に行きますか」

 誕生日祝いだった、なんて、忘れてしまいそうな、いつもの雰囲気だったが、先程食べた特別なケーキも、初めての味のオレンジジュースも、静かで柔らかな店内も、忘れられない誕生日のお祝いになったことは間違いなかった。


 ―――それから、そのくすぐったい17歳の歩きだしも。




「今年の誕生日、朋香ちゃんには素敵な17歳の恋をプレゼントします!」

 桜乃に、杏がバーンと携帯画面を見せたのは二週間ほど前の話だ。二週間前、といえば、そこに表示されたメールの送り主の大学進学でのばたばたに、そろそろ目途がついた頃だった。

「それって、朋ちゃんへのプレゼントっていうか…」

 困ったように桜乃が言ったが、そのメールはなかなかに微笑ましい。微笑ましい、というか、何というか。分かってはいたが、こうして言われると、相手もちょっと必死なのが分かって、桜乃は朋香が思うよりずっと愛されている彼女に頬を緩ませた。
 彼女ではない送った相手とそのメールの本文は、大概、二人が付き合っている、なんて思えないほど子供っぽくて、そうしてそれから、あの彼からは想像もつかない内容だったけれど。


『お願い!朋ちゃんと普通のデートさせて!応援とか以外で!』


 誕生日プレゼントは、恋の魔法




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朋ちゃんハピバ!

2013/04/17