Last Dance with you
「杏の身に心配は全くと言っていいほどない」
空港から歩くと言った桔平たちは、全員スーツを着込んでいる。会社員には、見えないだろう。
「虎龍の残党は、千歳のマテバとリングを杏に渡したのはボスだと知っている。だから、杏が虎龍を裏切る要素はないと思っている。それだけボスに信頼されていた、とな。だからこそ香港の杏に昔通り声を掛けた。今頃歓待されているだろうよ。虎龍の残党を統べる新たなボスとして」
苦笑して桔平は言った。素晴らしくふざけた筋書きだが、それも計算のうちらしい。
全員が付けている片耳のインカムにザザッとノイズが混じった。
「傍受…!?」
『違うよ』
咄嗟に反応した桜井の耳に届いたのは杏の声だった。
「杏ちゃん!?」
『本館00より通達。虎龍Bの全電子回路制圧に成功。いつでもビル全ての扉の開閉が可能。スプリンクラー等の作動も可能。本館01、応答を願う』
杏は、本館00を名乗った。そして、桔平を本館01と呼んだ。そのことに、今まで僅かな疑念と不安を抱いていた面々が息を呑む。本館00と本館01は、不動峰内だけで通じる、彼女と彼の呼称だった。幹部は本館の後に二桁の割り振られたナンバーを名乗る。それが決まりだった。これを名乗ったと言うことは、虎龍の残党がいるビルで、彼女は不動峰の幹部として、インカムに声を乗せるということだったから。
「お前、そんなこと言って大丈夫なのか」
『本館01、それは望んだ応答ではない。と言いたいところだけれど大丈夫よ。電子回路は制圧済み。森くんのプログラムを持ちだして正解だった。というよりも、電子回路らしい電子回路はないわ。さすがに幹部クラスでもない残党だけじゃ高度なのは無理だったみたい』
「で、お前はちゃんと一人なんだろうな」
『本館01は疑り深い。本館00は現在祭上げられ中。天蓋付きのベッドがある大きすぎる寝室に一人よ。ちなみに私の執務室もあるから徹底的な破壊を望みます』
「……了解」
桔平はその一言に苦笑を深めて応答した。天蓋付きのベッドがある大きすぎる寝室。
「本館00を含め本館全員に通達。作戦内容を言う……杏、狙撃可能なビルは」
『00-a。憶えてる?今は廃ビルよ』
「……憶えている。では桜井はポイント00-a、15階で待機。先発内村・石田。ハンドグレネード及びスタングレネードの使用を許可。陽動を行え。マシンガンも煙幕代わりだ。後発はいつも通り石田と桜井。石田は煙幕で突っ込む。桜井は石田が捌ききれないところを狙撃」
「Si」
00-aの位置を示されたので、桜井が移動を始める。目的のビルから50メートル。
「距離が短すぎるよ、杏ちゃん」
インカムに向かって桜井が笑い混じりにもらしたら、杏も笑った。
『腕を見くびってるわけじゃないわ。そこしか空いてないの』
「OK」
桜井が雑踏に紛れたところで、桔平はビルに向かいながら次の指示を出す。
「内村・石田・桜井のトリプルで突破口を作る。そこに、変則だが神尾・伊武・森のトリプルで一部屋ずつ掛かれ。入口に五人、中に十四、五人。生き残ってる虎龍は精々そんなもんだ。作戦内容は徹底捕縛。当局に虎龍の残党を突き出して無事でいる程度のカードは何十枚でもある。いつも通り殺さずだ。脚を狙え」
「Si」
「橘さんはどうします」
後半のトリプルにも入っていないから、神尾が振り返ったら、インカムの向こうからくすりと笑い声がした。それに桔平はやはり苦笑する。
「俺は、虎龍残党の‘ボス’の寝室に招かれているんでな」
長く彼と彼女が留守にしたビルは、目前だった。
***
桔平の言う通り、合計人数は二十人強で、一人も殺さず制圧までに1時間と掛からなかった。桔平は最後の方の爆炎の音を後ろで聴きながら、その懐かしいビルの階段を昇る。彼に追いすがれる者は、虎龍の残党には一人もなかった。
「鬼姫。根回ししておいた当局に連絡する。その時点で本館は00と01を除き撤退だ。00と01も当局到着前に撤退する……連絡信号送信済み。本館撤退」
『寝室よ。いつものね』
言われずとも、彼はもうその寝室の目の前まで来ていた。精緻な作りの鍵は、奇麗に壊されている。がちゃりと扉が開いた。
「……鬼姫の執務室はグレネードで破壊した」
「『……ありがとう。やっぱりこのベッド大きすぎるわ。まだあったのね』」
その姿を確認しながらも、杏はふざけたようにインカムに向かって声を入れた。その通話は、もう他のメンバーの分を遮断されている。桔平にだけ、二重のその声が届いた。
「ああ。まさかまだあると思わなかった」
「当局到着まで何分?」
「30分」
「……ベッドの下に隠し通路があるわ。相変わらずね。だから5分前までは大丈夫よ」
天蓋付きの大きなベッドに座る杏は、真っ黒なドレスを着ていた。まるで、虎龍の幹部会議に出席する時のように。
対する桔平も、真っ黒なスーツを着ていた。まるで、まだ平和だった頃の虎龍の幹部が二人揃ってしまったようだ。足りないのは、一人だけ。
杏は、ベッドに近づいた兄に、握っていたマテバを向ける。互いに、予想の範疇のことだった。
「応えて、兄さん」
「ああ」
「千里さんはどこ」
マテバは、彼女のものではなかった。いつも使っているそれではなかった。赤黒い血が付いているようにも見えた。天蓋が影を落としているからかもしれない。だが、それは間違いなく、あの日彼が受け取った、千歳千里のマテバだった。
「イタリア、四天宝寺」
そう一言言ったら、杏も、ありがとう、と一言だけ返しベッドから立ち上がった。軽くその脚を蹴ると、ザザッと重いはずのベッドが動く。ぽっかりとベッドの下に空いた穴は、本館の面々が移動した裏道に続いている。
「生きているのね」
「ああ。……白石は秘密主義だから」
秘密主義だから、杏の耳には入らなかったし、秘密主義だから千歳は生き残った。
生きている、その一つだけでもう十分だった。Ce-0の隠しファイルには、ほとんど全てのことが書かれていた。杏を招くようなその隠しファイルの中で、ただ一つだけ、分からなかったのは、千歳千里の生死だけだった。
もし、ここで兄が千歳千里は死んでいる、と言えば、彼のマテバに二発だけ装填された弾丸で、彼の心臓を撃ち抜き、自らの米神を撃ち抜くつもりだった。それで、全部終わる。虎龍の秘密を知った生き残りはすべて消える。桔平も、何も言わずに受け入れただろう。
だけれど、生きていると言うのなら。
生きていると言うのなら。
かつてその兄は『死ぬな』と言った。
それを、今実行する以外に、もう一人の兄に見せるべき姿がない気がした。だから、杏は小さく息を吐く。
「生きているなら、それでいいわ」
杏が小さく言ったら、桔平はその真っ暗な穴の階段を一段降り、杏に手を伸ばす。
「帰るぞ」
杏は手を伸ばした。桔平の武骨な手がそれを取る。
―――その手に握られていた彼の人の拳銃は、豪奢なベッドの、紅い枕の上に落ちた。
Please dance with me !!!
fin
2013/08/24