Lunch time


「久しぶり…だなあ」

 瀟洒な門を見上げて独りごちる。ここに戻ってくるのは実に一月ぶりだ。本部でみんなに会うこともあるが、ここに戻ってくると妙に落ち着く。
 道すがら吸ってきた煙草を、携帯灰皿にねじ込んで門をくぐった。

「ただいま戻りました」

 本部のビルから来たのに、この挨拶は少しマヌケな気がするが、毎度のことなのでもう気にしない。奥からぱたぱたと軽い音がした。

「森くん!お帰りなさい」
「久しぶり、杏ちゃん」

 お出迎えが杏ちゃんでかなり嬉しい。杏ちゃんはそのまま俺の首元に手を回す。これって傍から見ると抱き付いているように見えるらしい。アキラにギャーギャー言われたことがある。

「ネクタイ、しなきゃいいのに。」

 君に外してもらう為だよ、なんて言ったら杏ちゃんはどんな顔をするだろう?新婚みたいなこのやり取りが楽しくて、俺はいつも適当にネクタイを結ぶ。
 スルスルとネクタイを外して離れてしまった熱に少し残念な気持ちになっていると、杏ちゃんは手を出した。

「白衣、洗濯するよ。薬品とかついてる?」

 ほんとに新婚みたいで思わず頬が緩んだ。まあこれだっていつものことなんだけど。

「今回はついてないよ」

 血の付いた白衣を一着、研究室に置き去りにしてきたことは黙っておこう。

「じゃあすぐ洗濯機で大丈夫だね」

 笑顔で俺の手から白衣を受け取った彼女。あれ?おかしいな。

「…もしかして、杏ちゃん一人?」

 橘さんとアキラがこっちにいるはずだから、こうやって杏ちゃんといちゃいちゃしていたら、アキラが飛び出してくると思ったのに、その気配は一向に無い。

「一人だよ。兄さんとアキラくんはさっき…10分くらい前かな?出掛けちゃった」

 その言葉に俺は思わず彼女の肩を掴んだ。

「駄目だよ!約束したでしょ、そういう時は一緒に出掛ける、一人でいないって!」

 必死にそう言うが、杏ちゃんはきょとんとして俺を見返した。

「だって、森くんが帰ってくるって聞いたから」

 一人にしたくないもの、と付け足されて俺は脱力した。その心遣いは嬉しいが、こういうことはきちんとしておかないと駄目だ。

「俺は一人になったっていいから、そういう時はちゃんと橘さんたちについて行って。ね?」

 子供に言い聞かせる様にそう言うと、杏ちゃんは眉間にシワを寄せて、あからさまに不機嫌そうな顔をした。

「森くんは、私なんかいない方が良かった?」
「そんなことないよ!ていうかそういう問題じゃないよ!」
「じゃあいいじゃない。私、別に一人でも寂しくないもの」
「よくない!心配なんだよ。橘さんにも言われたでしょう?」

 言い縋ると杏ちゃんは観念した様に下を向いた。

「ごめんなさい、森くんがお昼には帰ってくるって聞いたから…最近全然会ってないし…兄さんにわがまま言って置いてってもらったの」

 白状したのに、ハアっと息をついて肩を掴んでいた手を離す。

「とにかく、何もなくて良かったよ」

 説教終了を感じ取ったのか、杏ちゃんは元気に顔を上げた。

「お昼。今できるから。食べてないでしょ?部屋で待ってて」

 そう言って彼女はまたぱたぱたと奥へ消えた。それを見送りながらワイシャツの第二ボタンを緩める。

「アキラのバカ。無理矢理でも連れてけっての」

 悪態をついてもその相手がいないから意味がない。二階に上がろうと階段を昇ると、厨房からカレーの匂いがした。

「杏ちゃんのカレーうどんかぁ…久しぶりだな」

 俺は日本のそば屋のカレーうどんが大好きだ。あの和風な感じがたまらない(そもそもカレーうどん自体和風なのだが)。いろいろなカレーうどんを食べてきたが、あのそばつゆを使った味わいは何物にも代え難くて、ルーからこだわったとか食材にこだわったとかいうのよりずっと好きだった。
 杏ちゃんの作るカレーうどんはまさしく日本のそば屋のそれと同じだから大好きだ。
 上機嫌で自室に入ると、少しほこりっぽかった。とりあえず机の上にうっすら積もった塵を払う。
 彼女がお昼を持ってきてくれる間、もう余裕のない本棚を眺めてため息をついた。本を読むより早く本棚を買うことの方が圧倒的に多い自分の生活がちょっぴり恨めしい。

「森くーん、ごめん、開けて」

 扉の向こうから聞こえた声にそんな恨めしさも忘れて駆け寄る。

「ありがと、杏ちゃん」
「私も一緒に食べていい?」
「もちろん!一緒に食べよう。使ってないからちょっとほこりっぽいけど…」

 お盆に載ったカレーうどんはやっぱり美味しそうで、それを杏ちゃんと一緒に食べられるのはとても嬉しい。

「相変わらず部屋綺麗だね。兄さんなんか書類も床に放っておくのよ」
「まあビルの部屋は汚いけどね」

 苦笑して杏ちゃんの手からお盆を受け取り机に置いた。

「そっち座って…よし、食べよう。いただきます!」

 箸を取って一気に麺をすする。やっぱりカレーうどんはこれに限る!

「…あれ?杏ちゃん食べないの?のびちゃうよ」
「え…ああ食べるよ…ふふ、森くんがあんまり美味しそうに食べてくれるから」

 嬉しそうに笑った杏ちゃんに思わず釘付けになった。

「…ほんとに美味しいんだよ」
「ありがとう」

 笑顔のまま杏ちゃんもカレーうどんを食べる。俺は杏ちゃんがカレーうどんを食べる姿が好きだ。つゆが跳ねないようにちょっとずつ食べるのが可愛いから。正面に座る彼女を盗み見ながらカレーうどんを完食する。彼女が食べ終わるにはもうちょっとかかるだろうと思いながら、今度は堂々と杏ちゃんがカレーうどんを食べるのを観察した。

「美味しい?」
「やだ、あんまり見ないで」

 顔を赤くしたのも可愛い。やっぱり俺は杏ちゃんが大好きだ。

「あ、そういえば、こないだ借りた本読み終わったよ。『失われた地平線』、面白かった」

 後で持ってくるねと笑った杏ちゃん。そういえば一月前に貸した覚えがある。彼女がこの部屋の本棚から選んでいったそれは、大学時代に買ったずいぶん古い本だった。

「読み終わったら勝手に入っていいよ?俺たまにしかこられないから」

 一月も経ったのだ。もうとうに読み終わっていただろうと思うとなんとなく申し訳なかった。

「駄目だよ!私、森くんにいろいろ聞きながら借りるのが好きなんだもん」

 きっぱり言い切られて、思わず赤面する。意味は違うだろうが、そうそう簡単に『好き』だなんて言わないでほしい。

「な…ならいいけど」

 ちょっと噛みながら言うと杏ちゃんはまた優しく笑った。

「読んでて思ったんだけどね、シャングリ・ラみたいなところがほんとにあったら、そこでみんなと一緒に楽しく暮らせるのになって…ちょっと私にしてはロマンチックかな?」

 その言葉にふと思い出して机の引き出しを探る。

「…?どうしたの森くん?」

 探し当てた地図を広げて見つけた一点を指差した。

「杏ちゃん知らなかったんだね。シャングリ・ラにはモデルがあるんだよ」

 俺が指差した先には『香格里拉』の文字。

「不老不死はないけれど、綺麗な景観が多いんだ。時間はかかるけど、今度行こうか」

 提案に杏ちゃんは目を輝かせた。

「今度兄さんにみんな一度に休めるように頼んでみるね!」

 とびきりの笑顔に射抜かれて、言葉を失う。


 別に二人で行けなくったっていいやい!




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血の付いた白衣は多分手術です。なんかした訳じゃないと私は信じている。このパロの森は案外黒いです。というところで設定上げておきます。カレーうどんのそばつゆどうたらのくだりは完全に私の妄想です。悪しからず。
とりあえず、誕生日なので杏ちゃんと(みんなと)の旅行をプレゼントしてみましたが、行けるといいね!

2012/4/18