the right side


 パーティー会場は、予想以上ににぎやかだった。イギリスはキャリス家のお嬢様と仲のいい杏は、先ほどから桔平と神尾そっちのけで談笑に忙しい。

「楽しそうですね、杏ちゃん」
「ヨーロッパ方面に来るのは、あいつは久しぶりだからな」

 対照的に、男性陣の面持ちは少しばかり憂鬱だ。確かに、ヨーロッパでの人脈を築くには、今日のパーティーに香港から赴くのも重要だろう。だが、蓋を開けてみれば、それは何と言うか、女子会(日本で流行っているらしい、と先ほど神尾が言っていた)の体で、おしゃべりが好きな女性たちのために開かれたパーティー、と言っても過言ではなさそうだ。

「ねえ、兄さん、どう思う?イリアがね、またボーイフレンドと別れたんですって」

 軽く酒も入って上機嫌の杏が、旧友と話し終えたテンションのままで桔平の下に戻ってくる。

「イリア嬢はお元気か?」

 彼女の質問には答えずに、一応聞いておくと、杏はパッと笑顔になった。

「元気よ。でもやっぱり手紙じゃ話せないこと多いわ。今度、イリアを香港に呼んでもいい?もっとゆっくり話がしたいの」
「別に構わんぞ。ただし、イリア嬢にご迷惑のかからないように、な」

 笑って言った橘に、神尾は苦笑する。やはり、どう頑張っても、橘は杏に甘い。

「ありがとう。ちょっとイリアを誘って…」

 またひらりと話の輪に戻ろうとして、杏は少し離れたところの長身に目を留めた。

「あれ……」

 途端に、酔いが醒めたように杏の目が鋭くなる。黒のスーツを着込んだ長身は、その視線に気がついたのか、こちらに近づいてくる。手には、配られた小さなグラス。妙に様になっているその姿を、杏はやはりぎろりと睨み続ける。

「久しいな、タチバナ」

 だが、その視線には答えずに、彼は軽く片手を上げて、日本語で橘に声をかけた。

「ああ、柳か。お前も、付き合いで?」

 柳、と橘に言われた男は、その言葉にわずかに苦笑して見せた。

「まあな。こういう会は、あまり好まん。お前もそうだろう」

 そう、和やかに二人が会話を続ける間も、杏は酷く怒ったような顔で柳を睨みつける。

「杏ちゃん!」

 小声で神尾が言ったが、効果はない。いい加減、柳も気づいているだろうが、彼は、彼女の視線を、さらりさらりとかわす。
 どうでもいいようなことを、二人は二言三言交わしていたが、杏の視線は柳から外れない。さすがに堪りかねたのか(そういう性格には思えないが)、柳は橘から視線を外して、睨み上げるそれに視線を合わせた。

「これはこれは、どこのご令嬢を連れているのかと思ったら、妹君ではないか」

 芝居がかった声で、彼は言った。その台詞が、杏の感情を沸点に到達させる。だが、ボスである兄の手前、もっと言えば、このパーティーの手前、怒鳴りつける、という選択肢を彼女は持ち合わせることができなかった。

「あまりからかわないでやってくれ、柳」
「いや、ヨーロッパで彼女を見かけるのは珍しいことだから、つい、な。イリア・キャリス嬢と仲がよろしいのかな?」

 その問い掛けには答えずに、杏は相変わらず柳を睨みつける。

「ずいぶんと嫌われてしまっているようだ。困ったな」

 全く困っていない声音と態度でそう言った彼に、杏の苛立ちはさらに募る。

「気にするな。お転婆なだけだ…と、そろそろ行かないと飛行機に乗り遅れるな」
「引き留めてすまない。また、いずれ」
「ああ。ではな」

 そう言って、橘は踵を返す。それに従って神尾が後に続くが、杏は数歩ついて行ってから、さっと振り返った。

「…!!」

 その動作に、柳は思わず口元に手を当てた。


 彼女は、彼に向って、堂々と、舌を出して見せたのだから―




「何よ、あいつ!」

 杏は、そう叫ぶように言って、乱暴に髪飾りを外して床にそれを叩きつけた。

「杏ちゃん、行儀が悪い」

 すかさずそう言って、伊武は無残にも叩きつけられた花の髪飾りを拾い上げる。

「何かあったんですか?」

 石田は、あえて杏ではなく橘に問い掛けた。

「パーティーの最後にな、ドイツの柳に会ったんだ。それで、ちょっと機嫌が悪い」

 苦笑して言うと、杏はキッと橘を睨みつけた。

「兄さんも兄さんだわ!何よ、あんな風ににこやかに話なんかして!あいつらがいなけりゃね、チェコでの取引に失敗したりしなかったのよ!その上、何よ、あれ!『これはこれは妹君ではないか』ですって!?馬鹿にするのも大概にしたらいいわ!」

 杏の言う通り、確かに先日のチェコでの取引を、彼らに妨害されたことは事実だ。だが、ヨーロッパは彼らの根城だ。邪魔なのは自分たちの方だと分かっているからこそ、橘はあえてそれ以上の追及にも、闘争にも及ばなかった。
 だが、杏にしてみれば、相手は取引の邪魔をしたファミリーの参謀。どうせ、無駄に威嚇でもして、からかわれたのだろうと思い至って、神尾以外のメンバーは、視線を交わして笑い合う。当事者だった神尾も、「そうだろう?」という視線を投げかけられて、苦笑した。

「笑わないで!本当に頭にきたんだから!報告書に書いてやるわ、ドイツの参謀に馬鹿にされました、ってね!」
「ついでに、頭にきたから舌を出してやりました、と書いておけ」

 終には橘までも笑いだしてそんなことを言った。

「兄さんまで笑うの?せっかくイリアと会ったのに、台無しなのよ」

 興奮気味だったが、周りの全員が笑っている、という状況に、杏は別の意味で顔を赤らめた。

「何よ、もう……」

 気勢を削がれたように、杏はしゅんとしてしまう。見かねて、橘は頭を撫でた。だが、笑みが絶えることはない。

「そうさなあ。ご機嫌斜めのお姫様を連れて、今晩はドイツ料理でも食べに行くか」

 提案に、全員がうなずいた。もちろん、彼女も。