二煎目を淹れようと茶壷に湯を注ぎながら、伊武は思い出した様に言った。
「杏ちゃん、橘さんからお小言。」
その一言に杏はあからさまに顔を歪める。
「また?最近顔も見てないのに深司くんたち使うんだから…」
「ちゃんと聞いて。」
低く言われて杏は思わず姿勢を正した。
「あまり勝手をするなら幹部から外すって。最近の杏ちゃんの単独行動に橘さんはお怒り。今日のパーティーも予定に無かったでしょ。」
「お言葉ですけどね、今日の兄さんの仕事も予定に無かったわ。幹部は各々の判断で行動すること。事後報告のみ厳守。うちのファミリーの基本方針でしょ。私はちゃんと報告してます。」
ぷいっとそっぽを向いた杏に,伊武と神尾は顔を見合わせて溜め息をついた。
「杏ちゃん、橘さんは杏ちゃんのこと心配してるんだよ?」
「あら、顔も見せずに何が心配よ。そんなに私の行動が目に余るなら直接言えば良いんだわ。」
「橘さんも忙しいんだから、ワガママはよくないと思うな。」
神尾と伊武の波状攻撃に杏は俯く。
「アキラくん。」
「何?」
「今日みたいに突然護衛頼まれるのはやっぱり迷惑?」
「そんなことないよ!」
「むしろ神尾もっと働けって感じ。俺たちも少しも迷惑だなんて思ってないよ。杏ちゃんがパーティーに行ったり、商談に出向いたりして得られるうちのメリットは大きい。でもそれ以上に橘さんと俺たちは杏ちゃんが心配なの。」
わかる?と付け足して、二煎目を注ぎながら淡々と伊武が言った。それを口に含んで、杏はぽつりと呟いた。
「別に心配してくれなくてもいい。」
「杏ちゃん!」
悲鳴とも怒号ともつかない叫びを上げた神尾を、杏はぐっと睨み付ける。
「護衛だって、いらない!自分の身くらい自分で守れる!」
「いい加減にしろよ、杏。」
部屋の入り口から掛けられた静かな声に三人はぴたりと動きを止めた。
「お帰りなさい。」
初めに反応したのは伊武だった。椅子から立ち上がりきっちりと頭を下げる。神尾も慌ててそれに倣う。
「神尾、今日は悪かったな。深司も留守番ご苦労。」
入り口にいたのは石田を伴った桔平だった。杏はきっと彼を睨むが、そんなことは意に介さず桔平は部屋に入ってくる。
「さて、杏。直接言われないのが不満だと言うのなら、俺と話をする覚悟くらいは出来ているだろうな。」
深司が指し示した杏の向かいの椅子に腰掛け、真っ直ぐに目を見つめて桔平は言った。ビリビリと音がしそうな雰囲気に、神尾などは音を上げかけていたが、杏もまた、そんなことは一向に気にしない風で桔平を睨み返した。
「久しぶりに顔を合わせた妹に言うこと、もっと他に無いわけ?それと、兄さんと話すのに一々覚悟がいるなんて知らなかったわ。」
「ほう、随分大口を叩くな。分からせてやろうか?」
始まった兄妹喧嘩に石田は小さく苦笑した。しかし今回の件は事が事だけに皆緊張している。
「最近のお前の行動は、はっきり言って目に余る。今日もそうだ。何の相談も無しに朝からよそのファミリーのパーティーに行くなど…」
「ちょっと待って。うちの基本は各自判断のはずよ。私の判断で行動して何が悪いの?」
熱り立って言うと、桔平は一つ息をついた。
「あまりこういう事は言いたくないんだがな…神尾はうちの幹部だ。それを俺に何の相談も無く振り回すのが許されると思うのか?それに神尾にも深司にも仕事がある。」
そのセリフに杏はぐっと言葉に詰まる。杏の護衛は基本的に幹部か桔平がやるのがファミリーの中での暗黙の了解だった。その特別待遇については幹部の面々も異存はない。だから今橘が言った事は、少し意地の悪い言い方だ。しかし常々その事を気に掛けている杏にしてみれば、そう言われてしまうと返す言葉がない。
「何か言ったらどうだ。返す言葉もない、か?なら最近の勝手な行動からお前を幹部から外す。いいな。」 きっぱりと言い切ると杏はガンッと音を立てて茶碗を卓に叩きつけた。
「外すなりなんなり好きにすればいいわ。兄さんのバカ!」
大声で言ってそのまま席を立ち階段を駆け上がる。その後ろ姿に桔平は溜め息をついた。
「すまんな、相変わらずじゃじゃ馬で。」
苦笑して言うと三人とも首を振った。
「良いんですか、追いかけなくて?」
石田に問われたが桔平は動かない。
「今は何を言っても聞く耳を持たないだろう。」
「そうじゃなくて、心配してるからだって言ってあげないと,杏ちゃんがかわいそうですよ。」
図星をつかれて桔平は言葉に詰まった。
「それは…」
「別に俺たち迷惑だと思ってないッスから。それは橘さんだって分かってるでしょう?」
神尾にも言われて桔平はもう一つ息をつく。
「…悪いな。」
無言で茶器をいじっていた伊武も桔平に茶碗を差し出して笑う。
「幹部から外すっていうのも冗談でしょう?」
そこまで言われてしまうともう反論のしようがない。
「茶は後で貰おう。」
そう言いおいて階段を上る姿に三人は顔を見合わせて苦笑した。
ノックの音に杏はびくりと肩を震わせる。
「誰?」
「俺だ。」
聞こえた低い声に錠前から手を離した。
「来ないで。」
「開けろ、杏。」
「来ないで!」
思わず大きな声を出す。扉の向こうで桔平が息をつく気配を感じた。
「杏。」
呼ばれた名前に、杏は意味もなく首を振る。そうやって呼ばれることに逆らえないのを自分自身よく判っているから。
「…心配なんだ、お前がどこかに行ってしまいそうで。」
そう言うとやや間をおいて、やがてカチリと錠が外れる音がした。間髪入れず扉を開くと、杏の泣き顔が飛び込んできた。
「ウソ、兄さんのウソつき!どこかに行っちゃうのはいつだって兄さんの方じゃない!」
悲鳴の様に言った杏を桔平はスッと抱き上げる。
「放して!」
ばたばたと暴れる彼女を抱えたまま寝台に向かう。大切な妹を寝台に横たえながら、杏の言葉を反芻した。
「俺は、もうお前を置いて行ったりしない。」
そう言って頬を拭ってやるが、涙は止まらない。
「バカ、兄さんのバカ。」
消え入るように呟いて杏は目を閉じた。
沈黙が流れる。先にそれを破ったのは杏の方だった。
「うちのファミリーはまだまだ脆い。本部のビルをやっと保ててるくらいなものよ」
杏の言う通り、結成されてまだ日の浅いこのファミリーは勢力こそ香港でもかなりの大きさになったが、まだまだ『脆い』。それは桔平自身痛感していることだったし、だからこそ自ら商談に出向きもする。
「脆い部分を補うには、私が出向かなければならないこともある。違う?」
言われた言葉に唇を噛む。出来ることなら、この目に入れても痛くない大切な妹を巻き込むことはしたくなかった。しかし、結局いつも巻き込んでしまうのは最早運命なのかも知れないとさえ思う。突き放すことも、常に側に置いておくことも叶わない。
種々のパーティーや会合には、伊武を初めとする幹部が行くより、顔の知れている杏が行く方がメリットがあったし、効率も良かった。だがそれは桔平に耐え難い痛みをもたらす。
「それでも最近のお前は無理をし過ぎる。」
サラリと指通りのいい髪を梳いて言うが、杏は悲しげに目を伏せた。
「最近は兄さんだって無理をしているでしょう?兄さんの顔を見たの、もう一週間ぶりだわ。」
髪を梳く手を握って引き寄せる。桔平はそれに逆らわず杏を抱きしめた。
「いつもどこかに行ってしまいそうなのは兄さんの方よ。」
小さく言った杏の背を、あやす様に優しく撫でる。
「大丈夫だ。俺はどこにも行きやしない。」
scar―キズアト
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相変わらず私得ですみません。橘兄妹好き過ぎる。需要あるのか…?多分ないと思いますが続きます。
2010/12/2