Wake up, my girl
「杏ちゃんのそれってさあ」

 パンパンと軽い音がする。桜井が自ら改造したこの自動小銃は、小さいながら、その気になれば20発は連続で撃てた。

「やっぱりジャム気にしてんの?」

 撃ち尽くして、横で見ていた杏に目を向けると、それから桜井は彼女の手元のリボルバーに目を落とした。

「うーん、そこまで悩んだことはないかな。オートも使えるけど、手入れ面倒でしょ?」

 杏は苦笑して言うと、一発だけ弾を込めて、大して照準も合わせずに引き金を引く。弾丸は、吸い込まれるように的の中央を抉った。

「相変わらずだね」
「まあ、ね」

 桜井は、彼女が射撃で外すところを見たことがなかった。杏自身は、「照準合わせて、引き金引いて、それで死ぬなんて、嘘みたい」だから、と言って、銃を使うのを嫌う。だが、その実力はかなりのものだった。逆を言えば、照準を合わせて、引き金を引けば全てが終わることを実感しているから言えることなのかもしれなかった。
 実際に彼女は、週に一度は射撃場に来る。使いもしないのに、いちいち撃つのは薬莢も弾丸ももったいないと言って、彼女はいつも、リボルバーに一発だけ弾丸を込めて、的の中心を抉る。それで、彼女の射撃練習は終りだった。

「私に銃を教えた人がね、とってもずぼらで、オートの手入れなんかしそうもない人だったの。そのくせ、S&Wでも使えばいいのに、マテバよ。狙いを上手く定められるようになるまでかなりかかった」

 そう言って彼女はひらひらとそのリボルバーを振る。

「ふーん…」

 初めて聞いた、と桜井は考える。彼女が、過去のことを話すのは珍しいことだった。だが、実際に杏は、橘と並んで、かなりの実力を備えていた。実力―権力と置き換えることもできる。彼らが所属していたファミリーのことを知らない訳ではない。かと言って、根掘り葉掘り聞くことが得策でないのも、どこかで分かっていた。

(勘と言うべきか…)

 探りを入れるのが好きな男も、いない訳ではない。だが、桜井はそれをしなかった。どれが事実か、判りようもないというのが実際のところで、どれが事実か知ってしまったら、多分引き返せない。

「弾詰まりはないからいいけど、やっぱり、弾数が少ないから」

 杏は、そう言って、桜井の手元の自動小銃に目をやる。

「そう?なんなら教えようか?」
「考えとく。軽いのにしてね」
「了解」

 くすっと笑って、杏は射撃場を出て行った。


「銃を教えた人、か」

 桜井は、彼女の後姿から目を離し、もう一度的を見る。撃ち抜かれた的は、何も言わない。




 朝目が覚めて、最初にするのは、枕元にあるリボルバーの感触を確かめることだ。弾は、一発だけ入っている。
 それから、そのリボルバーを両手でしっかりと構えて、私は姿見の中に映る女の眉間に照準を合わせる。
 いつもそうだ。引き金を引けば、その鏡の中の女を殺すことができる気がする。


『Wake up. Wake up.』


 一度だけ、彼が早朝に電話を掛けてきたことがあった。イギリスのホテル。前夜にイリアとお酒をバカみたいに飲んだから、私はモーニングコールを頼まなくて、だからその固定電話が鳴ったのにはかなり驚いた。私の部屋番号を知っているのは、ボスと兄だけで、もしフロントからの電話でなければ、かなり厄介なことになる―そう覚悟して、私は痛む頭と、寝起きのぼんやりした感覚を追いやって、受話器を取る。

『Wake up. Wake up.』

 最初、何が起こったのか分からなかった。声の主は、ボスでも、兄でもなくて、だけれど、間延びしたその声に、緊急とか、そういう類の緊張感はまるでない。何よりその声は―

『千里さん?』
『Wake up, my sister.』
『おい、千歳!何やってるんだ!』

 彼の、笑い含みの『sister』に折り重なるように兄の声がする。

『何、て、モーニングコール』
『馬鹿言うな!どこに掛けてるんだ!?』
『杏とこー。桔平いかんね、机の上にホテルの番号置きっぱ』

 二人の声が聞こえて、私は途端に眠くなる。なんだ、何も起こっていない。何かが損なわれるようなことは何も起こっていない。

『千里さん、眠い』
『悪い悪い。飛行機、今日の昼か?』
『うん』
『ほいじゃあ、気をつけて帰ってこいよ』

 後ろで兄はまだ文句を言っていたが、通話はそこで切れた。上海に戻れば、彼らが待っている。そう思ったら、交渉に参加するのにも、取引を監督するのにも、パーティーに出席するのにも、何もかもに、自分が疲れているのだと、私は唐突に気がついた。


 上海に戻れば、彼らがいた。そう、あの日だって。突然彼がモーニングコールなんて奇抜なことをしたその次の日だって、彼らはそこにいた。それが、永遠だと、私はどこかで思っていたのだと思う。

「永遠なんて、存在しないわ」

 鏡に映る己にすら、変わらないものを見出すことはできなかった。永遠に変わらないものなど、望むだけ無駄だと知りながら、私はまだ永遠を求めているのかもしれない。


 鏡の中の眉間に合わせられた照準。
 ―この引き金を引くのは、誰だろうか。




Good morning, and Good bye my past days




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書きたいとこだけ!過去のこともぽつぽつ書きますが、ちゃんと分かるのは2部の本編始まってからかと思います。というところで、設定のところに桜井も突っ込んでおきます。

2012/4/18