ご飯は残さず食べること。
 そんな口癖が妹にはある。
 ついでにレイジさんにもある。
 口癖、というか、世間一般の共通観念だと思う。ご飯は残さず食べること。
 そういうことが、ぐるぐる思考をめぐる。
 そうだ。世間一般の共通観念だ、と自分を納得させようとしては納得しきれやしない事実に直面しながら、のしかかっている恋人をなんとか引っ剥がそうとしながら、だけれどアタシの自分自身よく分からない思考は、「ご飯は残さず食べること」っていうのは普通に考えて普通の思考だ、という今の状況に全くそぐわない結論にもう十回以上達している。

「出されたものは残さず食うのが礼儀だろう」

 ただ、それをここまで曲解できる人は他に見たことがないってだけで。


喰む



 遡ること一時間前。今日は久々に風間さんの部屋に来ていた。
 付き合っているから普通、かもしれないけれど、務める基地も部署も違うとなると、会える時間は激減するから、デートはしても部屋に上がるのは久々だった。
 とはいえ、今日は特に約束していたわけではなく、学校帰りにメールを確認したらショートメールが入っていたのだった。
 ショートメールの割引オプションに空きがあったから、という理由で風間さんのアドレスを入れたのは、ちょっと前に流行った恋人割みたいですごく恥ずかしいことだと今になって思う。登録申請したその時は風間さんが「通話料金プランは上手く使え」と、本当の本当にやりくり上手な大人みたいなことを言ったから、変なふうに納得して登録しただけで、もちろん付き合い始めた恋人に違いはないし、メールの頻度も格段に上がったけれど、よくよく考えたら風間さんは相変わらず退路を断つの上手すぎて驚くほど恥ずかしい。逃げる気なんかないんだけど。
 メールには、ショートメッセージらしく「部屋に上がってろ」の一文だけ。何かあるのかな、とか、今日暇なのかな、と、思いながらも、アタシ自身も今日はオフで、学校から直接風間さんの部屋に来た。久しぶりに部屋でまったり夕食でも食べるんだろうか、とか、8時前には玉狛に帰らないといけないのがちょっと悔しいな、とか、嬉しさとかほんのりした帰る時のこと考えた寂しさとか、そういう、恋人同士らしい感情に駆られて、ほわほわしながら合鍵で部屋に入った。
 風間さんが「部屋に上がってろ」というメールを寄越すとき、というのは、大学の講義か基地での仕事が終わってから行くから、先に寛いでろ、という意味で、だから部屋の主がいなくても合鍵で入ってまったりしているのは別にいつものことだった。

「風間さん来ないなー」

 何か長引いてるのかな、と、アタシは部屋に上がってから1時間くらいぼけっとしていたところでぽつんとつぶやいた。時刻は夕方の6時。それならそれで、ご飯でも作って待とうか、と思って勝手知ったる人の家、という風情でキッチンに向かおうと立ち上がった時だった。
 ピンポーンと部屋の玄関のチャイムが鳴る。

「あれ?鍵忘れたのかな?」

 アタシが合鍵で入る時はチェーンを掛けない。風間さんが帰って来た時勝手に入れるようにだ。それとも、宅配か何かだろうか、と思ったところで、学生アパートらしい付属品である玄関を映すチープなモニターに映ったのは、風間さんではなかったが、宅配の人でもなかった。

「諏訪さんだ…」

 これは面倒事の気配だ、と解像度の悪いモニター画面越しでも分かる相手を認識して、アタシはモニターの電源を落とそうとした。その瞬間、そのモニターの前面に猫でもつまむみたいに首元を引き上げられて、多分寝ているか気絶している風間さんがかざされた。

「ちょっ!?え!?」

 その光景にアタシは焦りに焦って玄関までダッシュして鍵を開ける。

「宇佐美おひさー」
「え、ちょ、諏訪さん!?これ、風間さんになにしたの!?」

 いつも通り咥え煙草の諏訪さんに首元をつままれたままの風間さんは、アタシが大きめの声を出しても反応しない。寝息が聞こえて、あ、良かった生きてる、と思ったアタシは多分悪くない。

「お前いい嫁だな。旦那の一言メールでよく1時間以上待ってたな」
「え?は?あれもしかして諏訪さん打ったの?」
「風間携帯ロックしてないのな。あ、内容は一つ前のメールのコピペだから気にすんな」
「気にするよ!!!」

 叫んだところで寝ている風間さんを引き渡された。

「いやな、風間五徹目だったのよ」
「え、すいません意味わかんないです」
「本部の訓練室で寝落ちやがってピクリとも動かないわ、最終的に反応が一個しかないわで始末に負えねー的な状態だったんだわ」

 それで諏訪さんに部屋まで強制連行されたということだろうか。それがどうしてアタシが呼ばれること(しかも諏訪さんの偽装メールで、だ)に繋がるのか皆目見当もつかないわけだけれど。

「それで菩薩のごとく心の広い諏訪様が部屋まで連れてきてやったっていう」
「はあ?ありがとうございます、諏訪様?」
「素直でよろしい。そして菩薩のごとく心の広い諏訪様は、一人の部屋で五日ぶりの夜が独り寝の夜の風間蒼也とか可哀想すぎるなと思ったから嫁呼んどいたっていう心の広さよ。すごくね?」

 そう言ってから、にやあああ、と表現するのが正しすぎる顔で笑った諏訪さんに、この人優しさとかそういうんじゃなくてただ単純にこの状況楽しんでるだけだな、と覚って、アタシは思わず体格が同じくらいの風間さんを庇うみたいに引っ張った。

「お、宇佐美積極的に癒すのか?」
「その変態的思考回路どうにかならないんですか。風間さんはそんなんじゃないもん!」
「へえ、宇佐美も一応そういう発想に至るんだな。女子高生のくせにマセてんな。あれか、風間ともうヤったの?」
「諏訪さん通報するよ!!!」

 素面でこれって何なんだろうと思いながら、アタシはとにかく当事者というか寝落ちてる風間さんに何一つ聞こえていないことを祈りつつ思いっきり玄関のドアを閉めて諏訪さんを締め出そうとしたところで、彼はガッと扉を掴んだ。

「まあもうちょい話聞けよ。あの風間が訓練室で寝落ちだぜ?しかもつつこうが殴ろうが動かないどころかうんともすんとも言わない状態だったんぜ?」
「だから、それがなんで変態的思考に繋がるの!」
「そういうのをすぐ変態とか言っちゃうところが宇佐美やっぱお子様だな」
「諏訪さんめんどくさい!」
「まあ最後まで聞きたまえよ。その風間隊長殿が最終的に菊地原にトリオン体スコーピオンでつつかれて言ったのが『宇佐美ほしい』だぞ」
「な!?」
「極限状態の欲求で宇佐美求めるとかもう風間何するか分かんないから、超楽しみなんで今晩の結果おせーろよ」

 恐ろしい爆弾発言を残して、その嵐のような諏訪さんは楽しげに手を振りながらガチャンとドアを閉めて帰っていった。





「出されたものは残さず食うのが世間一般における常識だし礼儀だしマナーだ」
「マナーと礼儀はほぼ同義!」

 そして状況は冒頭に戻る。
 諏訪さんから風間さんを受け取ったまではよかった。普通に寝息を立てて寝ていて、諏訪さんが考えるような行動を起こせるような状況じゃないと思ったし、とりあえず体格は一緒だけれど筋肉量の関係か重たい風間さんを四苦八苦しながらベッドまで運んだところで、しかし彼は半分だけ覚醒した。
 そう、半分だけ。





「うさみがいる」

 半分だけ覚醒した風間さんが言った。いつもの鋭い目つきからは考えられないほどとろんとした目がベッドからこちらを見ていて、仔犬か何かみたい、と思った数十秒前の自分を殴るというタイムパラドクス的行為が出来ない自分を数十秒後に呪うことになったんだけど。

「宇佐美ちゃんですよー」

 仔犬みたいと思いながら何気なく応えたら、風間さんが笑った。へらっと、これまたいつもじゃ考えられないみたいに笑ったから、やっぱり諏訪さんがエロオヤジなだけじゃないか、と思った次の瞬間、アタシの視界は反転して、その視界いっぱいにとろんとした目つきの風間さんを見ることになっていた。

「え、ちょ!」
「そういうことか」
「どういうこと!?」

 風間さんの言っている意味が分かんないっていうか、そもそもなんでアタシこの一瞬でベッドに押し倒されてんのA級3位の身体能力生身でもパねえ、と、訳が分からないなりに回転する思考をよそに、のしっと風間さんが体重をかけてくる。

「そういうことだな」
「どういうことですか!?」
「宇佐美、据え膳なんだろう?」
「違います!!!」

 全力投球の否定にも、風間さんは応じてくれなかった。





 ということで、先ほどから「出されたものは残さず食べるべきだ」という風間さんの謎理論でこの狭いベッドは埋め尽くされている。
 アタシが抵抗し切れているのは、多分風間さんが半分以上眠っているのと同じ状態だからで、それでものしかかるっていうか抑えつける力が弱まらないのはさすがと言うべきか。ただ、眠っているのと同じ状態だ、ということは、思考が低迷していなければこんなことをする人じゃない、というのが分かるから、そこだけは救いだった。

「宇佐美ほしい」
「どこぞの映画か!」

 ツッコミつつも、意識的じゃないのが救いだと思いつつも、ほんとは風間さんもそういうことがしたいんだろうか、と、アタシはぼんやりとその謎理論を言い続ける風間さんを見つめていた。

(アタシが子供だから?)

 そう思った瞬間に、ドサッと自分に掛かる重みが倍増する。

「風間さん!?」

 掛かった重みは、間違いなく風間さんで、彼はもう謎理論を言うこともなく、うんともすんとも言わずに、アタシの喉許あたりで寝息を立てていた。

「ごめん、ね」

 思わず出てきた謝罪に、彼が応えることはなくて、アタシはその首元にある頭を掻き抱いた。少し硬い髪が手と首に当たってくすぐったい。

「我慢させてたの?アタシやっぱり子供?」

 ごめんね、ともう一度言ったけれど、彼はやっぱり寝たままだった。





 目が覚めたら何故か部屋のベッドで宇佐美に抱きしめられていた。
 ……意味が分からない。
 そういえば訓練室で倒れたようなシーンで諸々の記憶が止まっている。
 その後、太刀川につつかれたような気もするし、諏訪に殴られたような気もするし、菊地原にトリオン体をスコーピオンでさっくりやられた気もするが、どれも曖昧すぎてほとんど覚えていないと言って過言ではないだろう。
 そうして、視界いっぱいに宇佐美の喉許あたりの白い肌があって、本当に意味が分からない。

「……意味が分からない」
「ちょ、風間さんそこでしゃべんないで!くすぐったいです!」

 非難の声を上げた宇佐美が本物らしくて、これが現実だと思うと余計に意味が分からない。

「ていうか起きたね。よく眠れた?」
「……あれか、徹夜続きで落ちたのか」
「そう。諏訪さんが運んでくれたんですよ」

 ついっと俺の頭を掻き抱いていた宇佐美の腕が離れて、俺はとりあえずいくら恋人同士とはいえ、女子高生相手にあまりにもあられもない姿でベッドにいた現実をどう謝罪すべきか、ついでにそうい状況で恋人とはいえ大人の男を抱きしめて寝るという宇佐美の短慮をどう指導すべきか、と思案しようとした。
 しかし、その思考は次に聞こえた宇佐美の言葉で雲散霧消することになる。

「風間さんってどういう下着好きなの?」

 初めてだけどアタシ頑張るから、と言ってきた宇佐美が涙目だったため、俺はとりあえず百回くらい土下座しなければならない内容のことが記憶から抜け落ちているのだな、と静かに覚った。




=========
安定の深夜テンション

2014/11/23