影踏み鬼


「よーっと!歌歩ちゃん、今上がり?」
「あれ、栞!」


 本部の一角で宇佐美が見つけた三上は、バッグを持って帰り支度完了済みのたたずまいだった。
 実際、宇佐美が入ってきたのが本部の入口なのだから、そちらに向かっていて鉢合わせたのなら十中八九帰りだろう。

「まずったなあ」
「何か本部に用事?」
「うーんと、風間隊に用事?」
「あ、じゃあ一旦戻るよ」
「いいよ!時間外手当出ない系の用事だし」

 本当に戻ろうとした三上を押し止めたが、トートバッグの中身は林藤に渡された風間隊宛のそれなりに重要度のある文書だ。
 今日中に渡さなければならない訳ではないが、渡せばそこで即内容を確認してもらわなくてはならない内容であるから、時間を取らせることは間違いない。

「明日出直すよ」
「あ、じゃあ喫茶店寄らない?こないだケーキ美味しいお店発見したの!」
「お!いいねいいね!女子トーク炸裂だね!」
「良かった。栞こっち来てもなかなか捕まらないから」

 後輩オペレーターでもある三上とじゃれるように盛り上がっていたら、「ハア」とあからさまかつ大きめのため息が二人の耳に届いた。

「三上」
「菊地原くん!」
「あれー、うってぃーも!今帰り?」

 ちょうど連れ立ってきた菊地原は面倒そうに、歌川は申し訳なさそうに二人の方に向かってきた。ちなみにため息をついたのは菊地原で、二人が来たのは本部の入口側からだった。

「宇佐美先輩、三上先輩ナンパしないで」
「どちらかと言うと私がナンパしてたんだよ」
「三上先輩」

 歌川が三上を一言制せば宇佐美はだいたいの事情を察する。

「ああ、警戒区域の外まで王子様がエスコートか!」
「先輩言い方」
「ゴメンゴメン!」
「資料片付けたらすぐ行くって言うから入口で待ってたのに、宇佐美先輩にナンパされちゃうとか。ちなみにケーキはなしだよ面倒くさい」

 菊地原に言われて、三上がちょっと頬を膨らませる。

「聞いてたの?」
「聞こえたの」
「姉弟喧嘩みたいだねー」

 二人のやり取りに笑っている宇佐美を歌川が振り返る。

「そういうことなんですが、宇佐美先輩も今帰りなら送りますよ。今日は玉狛?それとも直帰ですか?」
「んと、これ保管庫に戻さないとだから玉狛。陽介あたりに頼むからだいじょーぶ」
「何が大丈夫だ。保管庫に戻す物を堂々と持ってふらふらするな。危機管理能力に問題がありすぎる」

 割って入った冷静かつ真面目なツッコミに四人が振り返る。

「お前には隊員としての自覚が足りん」

 それは入口からこちらに向かってくる風間だった。会議の資料にしては大量の紙束と書籍、それからノートパソコンのケースを抱えてほとんど荷物に押しつぶされる形の彼は、エントランスホールの方から四人を睨んでいた。

「あれ、風間さん帰ったんじゃ?講義は?」
「太刀川と当直を交代した。部屋に帰ってもやることは一緒だからな。それより、今日は早く帰れと言ったはずだが」
「あ、じゃあ宇佐美先輩ちょうどいいね」

 それ風間隊宛てでしょ、とあからさまにお小言を無視して菊地原が言えば、彼の読み通りお小言の矛先は宇佐美に向いた。

「他所の部隊の機密を持ってふらふらするな!」
「機密じゃないですよ!ただ風間隊用の新しいトリガーの」
「それを世間では機密と言う」

 内容をうっかり言い差した彼女に彼が釘を刺せば、慣れたものという風情で後輩三人は苦笑した。

「風間さん、栞の書類を確認お願いします。それが渡せれば玉狛まで行かなくて大丈夫なようですから、当直でも」
「ああ、直帰なら距離的に中抜けでも問題ないな。宇佐美は俺が送るから、早く帰って寝ろ」

 三上の言葉を引き継いで風間が言えば、三人はそれぞれに挨拶をする。

「栞、今度ケーキ!ケーキだからね!」

 帰り際に主張した三上に、まるで一世一代の何かという風情で「ケーキ!」と返した宇佐美に、胡散臭げな視線を風間が投げた。

「なんですか」
「いや、お前と三上はケーキで釣れるのかと思ったら、な」
「きー!馬鹿だと思ってるでしょう!?ケーキに釣り針付けても釣れませんからね!」
「いや、そこまで馬鹿だとはさすがに…」
「ほんとに憐れなもの見る目しないで!」

 廊下で言い争いつつ隊のデスクに着く。書類を渡すのは風間が落ち着いてからだろうと立っていたら、座ったらどうだと椅子をすすめられた。

「じゃあ、ちょっとだけ」

 応じた宇佐美のそういうところが相変わらずだな、と思いながら風間は自分のデスクに一晩中掛かると思われる資料とノートパソコンとレポート用紙を広げた。風間の方がそこまで整ってから初めて書類を差し出すところが、相変わらず副官然とした宇佐美らしかった。

「悪いな」
「いえ」
「これ預かってもいいか」
「大丈夫です」
「隊員全員に確認を取った後で、迅に返答書類を渡しておく」
「ボスに直接でも大丈夫ですよ」
「分かった」

 急用だというのにしっかり目を通して内容を把握し、確認して鍵付きの自分のデスクの保管庫兼用引き出しに封筒を仕舞うあたりが風間の有能さを示しているなと思いながら宇佐美は立ち上がった。

「お邪魔しました」
「ちょっと待て」
「いや、風間さん忙しいんでしょう?」

 そう言われてから風間は、自分が送ると三上たちに宣言しておきながら完全に今から作業しますの体でデスクを作成していた自分に気が付いた。

「!すまん、お前相手だと癖で!」
「変わってませんね。陽介に頼みますから」
「いや、仕事ではないから問題ない。送る。お前は危なっかしい。どうせ米屋にも頼まないつもりだろう」
「なぜばれた」
「昔何度か米屋に確認を取ったが、お前と帰った例はなかったぞ」
「む、昔の話持ち出さないで!」
 ていうか確認したの!?と喚く宇佐美に構わず風間は腕時計に目をやる。時刻はまだ4時半。

「5時半まで時間をもらえるか」
「私は大丈夫ですが」
「よし」

 観念した宇佐美に「コーヒーは前と同じ場所にあるから」と言い残して、彼はノートパソコンと持ち込んだ資料に目を走らせた。





「ひーとーりーでかーえーれーるー!」
「ら抜き言葉を使うな」
「自分に向かって‘帰られる’は日本語がおーかーしーいー!体育会系ー!」

 体育会系って悪口か、と自分自身疑問に思いながらも宇佐美はブーブー風間に文句をつけた。

「かぁーほぉーごぉー!」
「あったな、そんな歌」
「……何年前に生きてるんすか」
「お前も知ってるじゃないか」

 風間隊には、他隊にはない不文律がある。不文律も何も、今のところ風間と宇佐美の二人きりだから明文化する必要もないのだが。
 その一つが、夕方と夜の帰りは一人で帰らない、だった。大学生の風間と中学生の宇佐美では生活時間は合わないが、これは風間が譲らなかった。近界民は、向上した技術によって基地周辺にしか現れない。それはとどのつまり基地周辺を通って家に帰る非戦闘員の宇佐美には危険が付き物、というのが風間の主張だった。日中なら常駐の戦闘員が駆けつけられるが、夕刻はまた違ってくる。手薄という訳ではないが、中高生、年齢が上でも大学生が主な戦闘員である以上、警戒区域では夕刻の方が危ないのは事実だ。
 何だかんだと言いつつも、宇佐美は風間の優しさに感謝している。ただ、今日はちょっと女子に人気のカフェの季節限定イチゴタルトが最終日、というだけで。風間に寄り道しようと提案しても、大学生然とした彼はコーヒーショップがせいぜいだ。

「だいたい、いつもケーキケーキと喚くが太っても知らんぞ」
「風間さんが飲むカフェラテだってカロリー高いもん」
「鍛え方が違うからな」

 さらりと流されて、今日の寄り道もコーヒーショップになりそうだと宇佐美は確信した。頬を膨らませてみたけれど、風間はちょっと笑うだけだった。
 ちょっと笑う。彼がそんな表情を見せてくれるから、だけどやっぱり甘いクリームの乗ったカフェラテで十分ね、なんて、彼女は思った。





「うーん、風間隊規定王子様のエスコートが今もちゃんと遂行されていて、宇佐美さんは嬉しいですよ」

 さすがに暇になって、いつの間にかノートパソコンをしまってレポート用紙に何か書き込んでいる風間に言えば、彼はちらっと目を上げて、そのまま上体を起こすと大きく伸びをした。ひと段落ついたのだろう。宇佐美がそのタイミングで声を掛けたのは、偶然かもしれないし、もう慣れ切っているからかもしれない。

「誤解を招く言い方はやめてもらおうか」
「えー。でもきくっちーもうってぃーも歌歩ちゃんをちゃんとエスコートしてましたよ」

 エスコートってな、と呟いたところで、風間は慣れていないと思われる動作でくいっとメガネを押し上げた。

「風間さん、さっきから思ってたんですが」
「なんだ」
「私は風間さんをメガネ人口にカウントしませんからね!それ度が入ってないもの!」
「この平和的差別主義者め」

 メガネだ。風間が普段掛けることのないメガネ。だがそれに騙される宇佐美ではなかった。

「ブルーライトカットだ。度は入っていないに決まっているだろう」
「弄ばれた!メガネが弄ばれた!」
「弄んでない。さっきから言っているがお前は少し言葉を選べ」
「ブルーライトカットなんて私のメガネにもついてないのに…」
「それはお前が買い換えていないからだ。今は普通だろう」

 不毛な会話に終止符を打つべく、風間はそのメガネを外す。よくよく考えたら度が入っていないのだ。ノートパソコンを片付けた今、それは必要ないものだった。

「ていうか、仕事じゃないって言ってましたよね?だいじょーぶですか、かなり切羽詰ってるみたいですけど」

 宇佐美もその不毛な会話を切り上げて気になったことを聞いてみた。そうしたら、何故か彼は目を泳がせる。

「あれ?どうしました?」
「……単位が」
「へ?」
「単位がもらえないかもしれない」
「うっそぉ!?」

 爆弾発言に、風間さんが!?風間さんなのに!?と混乱を通り越して錯乱気味の宇佐美が応じた。そもそも、彼女相手でなければそれも言わなかっただろうことだが。

「なにやらかしたんですか…」

 呆然と呟いた彼女に、風間は苦虫を噛み潰したような顔をして言った。

「講義に出れば単位がもらえると聞いて取った授業の講義に半分も出られなかった」
「……うわあ、この人アホだ。アホの子だ」
「今は後悔している」
「太刀川さんでも気づくようなそんな初歩的な……」
「言うな!」

 大学生活も始まってずいぶん経つが、風間は今年、気が付かなくてもいいことに気が付いてしまった。ボーダー隊員の仕事と大学を両立するうえで最も難しいのが単位の取得だ。試験への勉強や、レポートを書く時間がなかなか取れないからだ。そんな中、年度の初めにとある教授の講義が出席率で単位を出すというものだと知ったのだった。
 ……彼は気が付かなくてもいいことに気が付いてしまった。これなら試験勉強にもレポートにも資料集めにも時間を取られず単位が取れる。今頃で気づいた俺は遅かったが周りはやっていないし多分俺は天才だ、と。
 ……彼が大学の前期開始一週間で、遠征艇に詰め込まれたのはまた別の話だが。

「少し考えればわかるでしょう」
「遠征艇に乗った瞬間自分の運命を悟った」

 中学生だろうと高校生だろうと欠席率が高いのがボーダー隊員の常だ。大学生だからといってそれが変わるものではない。出席日数だの出席率だので測るのは地雷中の地雷だった。

「幸い教授に理解があって、この通りレポートを提出すれば何とかしてくれると…」
「本末転倒ですね」
「言うな」

 そう言って風間は、その本当は必要なかったレポートの束をとんとんと揃えて立ち上がった。どうやら、手書き厳守も言い渡されているらしいそれをちらりと見遣れば、几帳面な性格を反映したような相変わらず四角四面というに相応しい文字が並んでいた。

「けっこうヤバくない?やっぱ陽介に頼みますよ」
「俺に嘘をつくな」
「えーっとー」

 今度は宇佐美が目を泳がせる番だ。一人で帰るのを、やっぱり過保護な風間は許してくれそうになかった。もう風間隊の人間じゃないのに、と思ったら、どこかこそばゆくて、どこか寂しくて、だけれどどこか嬉しい。

「それから」
「はい?」


 立ち上がった風間に倣うように立ち上がった宇佐美に彼は声を掛けた。不思議そうに首をかしげた彼女との間合いは数歩に満たない。その距離を風間はサッと詰めた。詰めてそれから―――


「米屋には頼むなよ」
「なっ!なっ、何するんですか!!」
「男は皆こんなものだ。行くぞ、時間がないからケーキは無しだ」

 さらりと言って風間は彼女について来いと背中を示して隊室を出る。

「ああ、お前コーヒーの味がしたから自販機で何か買ってやる。それで我慢しろ」

 真っ赤になっている宇佐美をちょっと振り返って風間はニヤリと笑った。
 宇佐美は、その顔を直視できずに、無駄だと知りながら少しかさついた彼の唇の感覚がしっかりと残っている自分の唇をぐいぐい拭いて、それから彼を真っ赤な顔でにらんだ。
 こんなこと、彼女相手以外にしないと風間は思いながらそんな彼女の視線など知らぬ存ぜぬという体で彼はすたすたと歩を進める。

「お前、相当鈍いな」
「乙女を弄んだ罪は重いですよ!!!」

 必死の彼女にも彼は応じない。
 あんな不敵な笑みなんて初めて見たと思ったら、宇佐美は腰が抜けそうだった。
 いや、それよりも、彼の唇がすれ違いざま突然自分のそれに重ねられたことの方が衝撃だったのだけれど。
 フリーズしていた宇佐美が怒ったように追ってくる足音に、風間はもう一度思った。

(本当にお前は鈍い)

 こんなこと、絶対ほかの誰かにはしないのに。




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2014/10/22 ブログ掲載

2014/11