玉狛の基地のリビングでうずくまる小南に、おれはまたか、と思った。それは面倒だとかそういう感情じゃない。ごめん、とか、そういう、罪悪感に似た感情だった。


臆病者


「迅」

 おれの気配を察して、うずくまっているからかくぐもった声が俺を呼ぶ。

「また病気か、小南」
「そうみたい」

 おれはその返答をほとんど予測していて、予測と言ったってサイドエフェクトなんて使わなくたって、今までの経験則がそう言っていて、彼女がうずくまるソファの隣に腰かけて、頭を小南の頭を撫でた。

「あたし、弱いやつ嫌いなの」
「うん、知ってる」

 おれの返答に、彼女は膝にうずめていた顔を上げる。涙のあとが頬に見えた。

「だって、弱いやつはすぐ死んじゃうもの。あたし、仲間が死ぬの大嫌いだから」

 小南は、おれよりも早くボーダーに所属していて、だから今のようにトリオン兵と戦っても隊員が死なないほぼ完成された仕組みがある、という以前からその前線で戦ってきた。
 彼女が「弱いやつは嫌い」と言うのは、強さゆえの矜持や傲慢ではない。本当に、仲間が死んでしまうことを忌避していることから来ることだった。
 その、彼女の思考をおれは知っている。知っているから、これから彼女が言うだろうことも分かっていた。これだって、未来なんて見なくても分かる。

「ねえ、迅。近々大規模侵攻があるって通達があったでしょ?」
「そうだな」
「千佳とか、修とか、死んじゃうんじゃないかな」

 必死な、それでいて憂いを帯びた顔でこちらを見てくるこれが、小南の病気だった。
 おれと小南だけの秘密の病気の病名は「某が何々になっちゃうんじゃないかな病」という、なかなかお間抜けな病名だ。

 『栞が、迅が、とりまるが、レイジさんが――――』

 そのあとに続くのは、『怪我しちゃうんじゃないかな』だったり『風邪引いちゃうんじゃないかな』だったり『怒られちゃうんじゃないかな』だったり『道に迷っちゃうんじゃないかな』だったりと、小南のその病気の症状は千差万別だ。だが、今日の『死んじゃうんじゃないかな』は、本当に久しぶりに重篤な症状だった。

「遊真は強いし、いろいろあるから大丈夫だろうけど、千佳と修、死んじゃわない?」
「知りたい?」

 おれの問い掛けに、小南は緩く首を横に振る。おれが答えても、自分じゃどうしようもないのを彼女はずっと知ってきた。そのうちに、小南は知りたいと言わなくなった。
 ただ、聞いてほしいのだ、とおれも知っている。この可笑しな病気の特効薬は、ただ彼女の言葉を聞くことだった。

「あたし、誰かが死ぬのイヤ」
「うん、おれもだよ」
「迅は、見えてるから違うかもしれないけど」

 それにおれは慎重に言葉を選びつつも、いつも通りのことを言った。

「いつも言ってるけどさ、未来は千差万別なんだ。一瞬の行動が分岐を生んで、どんどん変わっていく。新しい要素が未来を変えていく。確かにおれは一定の未来が見える。だけどそれはいくつもいくつも折り重なった未来で、たった一つの未来に確定するまでにはけっこういろんな要素が揃わないといけない」
「うん、迅に何回も聞いたから知ってる」
「だからおれも、誰かが死ぬのは嫌だよ」
「そうだね」

 そう言って、小南はまたうずくまるように膝に顔を埋めた。

「あたし、スーパーヒーローになりたい」
「うん」
「栞のことも、とりまるのことも、迅のことも、レイジさんのことも、修も、千佳も、遊真も、ボスも、みんなみんなひょいって一瞬で助けられるスーパーなヒーローになりたい」

 くぐもった声が、彼女自身分かっている無理難題を紡ぐ。

「でも、あたし、ただのボーダー隊員なの」

 それにおれは、そうだな、とも、そんなことない、とも言わなかった。言えなかった。

「だけど、あたし、明日も普通に笑ってる女子高生でいたい」

 相反する言葉たちが、彼女の苦悩をくっきりとさせる。

「小南」
「なあに」
「おれのサイドエフェクトがもう寝た方がいいって言ってるけど、どうする」

 ちょっとだけふざけて言ったら、彼女はふふふとくぐもった笑いをこぼした。

「そうね。もう寝るわ」

 言葉が少しずつゆっくりになる。多分、膝を抱えたままこのソファで寝入るのだろうと思ったけれど、それもこれを発症した時はいつものことだった。

「明日には、きっと、治ってる」
「そうだな。小南は強いから」
「この、病気のこと、とりまるには、ぜったい言っちゃ、ダメよ」
「うん。言わない」

 いつもの通りにおれに釘を刺した彼女に、おれもいつもの通りに返す。そうしたら、彼女の意識は途切れた。





「あれ、小南先輩と…迅さん。小南先輩またそんなとこで寝てるんすか」

 冬なのに、とか、相変わらず、とかいろいろ言いながら、京介はキッチンの冷蔵庫から持ってきたミネラルウォーターをごくごく飲みながらリビングに近づいてきた。

「この時期って暖房入れて寝ると喉乾いて、目、覚めません?」
「あー、分かるわ」

 それで深夜に起きてきたらしい京介は、ソファのおれと反対側の小南の隣にすとんと腰を下ろした。うずくまったまま眠っている小南を、おれと京介がはさんでいる状態だった。
 京介はぶにぶにと小南の頬っぺたを引っ張ったり戻したりしている。

「小南先輩、風邪引きますよ。部屋で寝ましょうね」

 だが、小南の反応は全くない。これもいつものことだった。
 小南の頬っぺたで遊ぶかたわら、ペットボトルの水を飲み乾した京介は、それをポスッとゴミ箱に投げ入れて「シュート」といつものローテーションな具合で言った。言ってそれから小南の両脇に腕を差し入れる。

「よいせ」
「回収よろしく」
「OKです。小南先輩、部屋に帰って寝ましょうね」

 完全に寝入っている彼女にそれは聞こえていないけれど、京介は小南を抱き抱えて立ち上がった。

「いつも通り聞かない方がいいっていうか、聞いても教えてくんないすよね」
「まあ、小南と約束してるし」
「まあ、いいですけどね」

 嫉妬まではいかないだろうけれど、楽しくはなさそうな京介の声音におれはいつも通り苦笑する。

「じゃ、小南部屋に入れといてね」
「了解です。迅さんも早めに寝てくださいね」
「おう」

 ひらひら手を振ったら、京介は小南を抱き抱えて彼女の部屋に向かっていった。





「とりまる、千佳と修を守って」

 寝言が聞こえて、俺はベットに放り投げた小南先輩をまじまじと見つめる。

「俺じゃダメかもしんないっす」

 迅さんに言われていたことを思い出して、聞こえていないだろうと知りながら俺は小さく彼女に返答する。

「とりまる、死んじゃダメよ」

 次に聞こえた言葉に、俺は彼女の額を撫でる。

「大丈夫ですよ」

 貴女を置いて死ねるほど、俺は安い男じゃないから。

 そう思いながら俺は彼女に毛布を掛けて、エアコン暖房のタイマーを確認して、もう一度だけ彼女の額を撫でて、その部屋を出た。


 臆病者は、一体全体誰だろう。


訳のない不安を病気と呼ぶ少女Aの話