未成年二人が目の前で自分の奢りになることが確定ルートのオレンジジュースとウーロン茶を啜りながら枝豆と焼き鳥をもしゃもしゃ食べている光景に、風間は謂れなき罪悪感と苛立ちという相反する感情に駆られていた。


すききらい


 迅から「本部の一階ホール」とメールが来たのは夕方の5時。「風間隊の本日の任務は終業しました」という八百屋なのかボーダー部隊なのか不明なボードを入口に掛けて、彼は一人になっていた隊室を出た。ちなみにこのふざけたボードを作成したのは前オペレーターの宇佐美と隊員の歌川だ。年季が入ってきて所々読みづらくなってきたのをきちんと作り直してくれたのが現オペレーターの三上と隊員の菊地原だが、正直なところ何がしたいのか風間には疑問である。三上曰く、「わりと効果ありますよ」だそうだが、さて何の効果なのか、と自分の部隊の部屋の前でたっぷり十秒ほど考えてから、彼はちょっと曲がっていたボードをきっちり戻して一階ホールに向かう。
 廊下奥の曲がり角でそれを見ていた事務職員が「ああ、風間隊今日はもう終わりなのか」と呟いて書類を持って引き返したことを彼は知らない。こういうのは実際行ったら誰もいないとかそうやって空振るより、明示してあった方が印象がいいのだ。風間隊の本部職員に対する心理的な地位向上は隊長の知らないところで今日も進行している。

「待ったか。……?」

 ホールにたどり着いて、すぐに見えた迅に声を掛けてから、風間は不思議そうに彼の隣を見た。

「烏丸?」
「はい、どうも烏丸です」
「風間さん時間取らせてごめん。京介が用事あるって言うからさ」

 今日はおれじゃないの、と言った迅に、風間はふむと彼の隣の烏丸に目を留める。

「訓練か?」
「その脳内どうにかならないの」
「違うのか?三雲のことか?」
「違います。修は元気です。飯もちゃんと食べてます」

 いや最後の情報はいらなかった、と思いなが風間はとりあえずどこか座って話そうと思ったが、烏丸はいつものポーカーフェイスで言った。

「あまり人に聞かれて良い話ではないのですが」
「……機密か?」
「これが機密だったらボーダーの書類は誰も閲覧できなくなるね」

 訳が分からない、と言いかけた風間だったが、その後に続く烏丸の言葉に彼は思いっきり彼の口許に掌底を叩き込んで、個室のある居酒屋でノンアルコールが豊富な店を脳内検索した。

「宇佐美先輩を誑し込んだ風間さんにしか訊けないことというか」

 ガッと派手に烏丸が床と友達になったところで、風間は同時並行の脳内検索を終了させていた。





 そして話は冒頭に戻る。カラオケは案外うるさいし、飲食だけをするにはぼったくりもいいところの価格設定が多い。だがその一方で居酒屋に未成年二人を連れてきたのはどうだったかと思いつつも、今は居酒屋もファミリーでOKだと迅に言われた。ついでに生ビールを頼んで年齢確認をされたのは風間だった。また、未成年の前で酒は、とも思ったが、何となく、これから始まるであろう面倒事に酒を飲まずにはいられなかったというのが正直なところだ。
 それで罪悪感と苛立ちという妙なセットの感情でもって二人を眺めているわけである。

「で」
「あ、はい。美味しいです」
「もう一発殴ってやろうか」

 枝豆を食べるのをやめない烏丸をにらめば、彼は視線をテーブルに落として真剣な顔をした。もしゃもしゃ口許が動いていなければモテるだろうなと風間はぼんやり思った。

「風間さん、宇佐美先輩とキスしたいですか」

 カハッと彼はビールにむせた。

「なんなんだ、唐突に」
「正確に言うと、キスしたい相手と好きな相手は一致していますか」
「……迅、俺は烏丸にカウンセラーを紹介したい」

 一拍間をおいてから真剣な顔で言えば、迅は困ったように笑って小首を傾げた。

「うーん、まあねえ」
「精神に傷でも負ったんじゃないのか。それともそういう性癖なのか」

 学校で何かあったか、と続けた風間に、烏丸は相変わらず真意の読みにくい視線でテーブルをにらんだ。

「基地で」
「玉狛か?」
「はい。小南先輩に好きですって言ったんすよ」

 想像以上にヘヴィな発言に、これは間違いなく面倒事の気配だ、と風間は本気で思った。
 風間も、迅に聞かされて烏丸が小南に懸想していることは知っていた。知ってはいたが、彼の短絡的とも取れる告白という行動については何を言っていいのか分からなかった。

「返事は?」

 眉間を押さえながら一番無難と思われる聞き返しをしたら、彼は視線を落としたままジュウっとオレンジジュースを啜った。

「『あたしも好きよ、とりまる!』」
「……良かったじゃないか」
「そして額にキスしてもらいました」

 言ってそれから、烏丸はついにポーカーフェイスを困惑と落胆に染め上げて、頭を抱えた。それで風間は、今までの枝豆も焼き鳥もオレンジジュースも、彼が全部演技で胃袋に突っ込んでいたのを覚った。

「やばい、吐きそう」
「なら食べるな、飲むな」
「俺って小南先輩にとって犬猫と同じ扱いなんですね」
「ちなみにおれは目撃者で小南魔性過ぎて爆笑」
「お前は頼むから黙っていてくれ」

 思い出しても可笑しいのか爆笑し出した迅に、アルコールは与えていないはずだが、と風間は痛む頭を押さえた。

「だってあれ、『しゃがみなさい!』っていうから殴られんのかなって思ったらキスされたってあれ、雷神丸に『ハウス!』って言って同じことしてるの見たことあるもん俺。すげえデジャヴで胃の中身出るかと思ったんすよ」
「……まあ、男の一世一代の告白を無碍にするのはよくないが」
「無碍どころの騒ぎじゃないですよ!!!雷神丸犬じゃねえし!!!」
「……真剣度が足りなかった、テンションが低かった、とかじゃないのか」

 微妙に言葉を選びつつ言ってみたが、確かに小南が相手ではもっと切迫感とかそういうものが欲しいかもしれない、と風間は思った。烏丸のいつものテンションでは多分、恋愛感情だなどと小南は気づきもしないだろう。

「だって俺、宇佐美先輩に対してテンション上げてる風間さん見たことない!!!」

 頭を抱えたまま叫んだ彼に手の中のビールジョッキを逆さまにしてやろうかと風間は思ったがあまりに憐れなのでやめた。

「宇佐美は関係ないだろう」
「ありまくりますよ!!玉狛二大鈍い女子の一角なんですから!」
「そのくらいのテンションで事に当たればよかったんじゃないのか」

 自分の彼女が引き合いに出されたら面倒さが余計優って、風間は結構適当に言ってしまう。だが、それも一理あるだろう。このくらいのテンション、このくらいの切迫感で迫れば多分小南でも、と思ったが、彼の返答は芳しくなかった。

「テンション高い俺なんて『熱でもあるの?寝なさい!どら焼きあげるから!』って言われて終わりですよ」
「なんで突然冷静になった」
「クールダウンしました」

 ジュウっと姿勢を戻してオレンジジュースを飲んだ彼に、八つ当たりか!!と風間は本気で思った。

「そこで、です」
「オイ、結構適当に話を進めるな」

 先ほど結構適当に言ったくせにそう言った風間に、烏丸は真剣なのかふざけているのか相変わらず不明な顔つきで言った。

「二大鈍い女子の一角と付き合うことに成功した風間さんのご意見を伺いたいなと」
「そーそー。玉狛男子じゃ手におえないって。風間さんは宇佐美どうやって落としたの?」

 彼の訊きたいことをより単純化した内容で続けた迅に、風間は口中で「めんどくさい」と呟いた。思った以上に面倒な案件だ。なぜ男二人、しかも後輩に向かって自分が自分の彼女と付き合いだした経緯を話さねばならんのか。理不尽だ。

「黙秘する」
「ひどい」
「ひどくない」

 もう帰って寝ようと風間は本気で思いだした。ああ、課題のレポートがあるな、それを終わらせてから寝ようとそのくらいまで関係ない思考が回転していた。

「『これ風間さんが買ってくれたの!超かわいいでしょ!こんなふわふわのブランケットどんな顔して買ったんだろうね!レジのお姉さんどう思ったかな、だってこれあそこ、こないだ一緒に行った雑貨屋さんで私手持ち足りなくて、』」
「……明らかな脅迫だな。それ持って交番に行くぞ」

 どこから取り出したのか、迅がカチッとボイスレコーダーの電源を入れれば流れ始めた宇佐美の惚気話に、風間はわりと本気で言った。

「というか宇佐美隊員の意思に因らない音声録音は隊務規定違反だ。迅、貴様のこの件を倫理委員会に上申する」
「貴様とか久しぶりに言われた!あと宇佐美隊員とか言うと宇佐美多分泣いちゃうよ。『私やっぱり部下としてしか見られてないのね!!!』」
「裏声やめろ気持ち悪い全然似てない」

 一息で迅を切り捨ててから、玉狛の行動力は称賛に値するな、と風間はぼんやり思った。それから支部の基地で好き放題惚気ているらしい宇佐美可愛いなと思ってから軽く首を振った。

「普通に飯に誘って、普通に仲を深めて、普通に付き合った」
「風間さんが繰り返す‘普通’の理解が現代っ子には辛いっす」

 観念して、苦肉の策で答えたそれに烏丸はすかさず応じる。普通って何だとはまた哲学的である。

「俺は宇佐美とはもともと同じ部隊だったから」
「俺も小南先輩と同じ部隊です」
「俺はもともと犬猫扱いされてなかったから」
「振出キタコレ!!!」

 ダンっと烏丸はテーブルを叩いた。

「振出じゃないすか!犬猫から脱却したい!振出ですよ!」
「そうだな。振出だな。無駄だったな。力になれなくて済まない。帰っていいか」
「駄目です」

 めんどくさい、と風間は今度こそ口に出して言った。そう言いながらも、確かに彼は可哀想かもしれない、とも思う。なまじ仲間意識が強いとこじれるものもあるからだ。

「脱却したいなら繰り返すしかないだろう。少なくとも俺はそうだった」
「繰り返し告白するんすか」
「まあ、少なくとも相手が「‘好き’の要素が仲間に換算できない」と判断するまでは」
「遠い……」
「努力しろ青少年」
「努力の結果が宇佐美取りかあ」

 お前はいいから黙れと風間は言ってビールを呷った。

「あとこれは余計なお世話かもしれんが」
「はい」
「男と女ではキスの意味がだいぶ違うのを小南は知らないんじゃないのか」
「……そっすね」
「宇佐美もそういうところがある。結構手軽にしてくる。付き合っていてもわりと辛い」
「我慢する風間さんは偉いね」

 小南と烏丸、宇佐美と風間では状況がだいぶ違うが、いずれにせよ同じなのは、そういう単純な接触が欲望に直結する、という点だろう。宇佐美は案外手軽に風間にキスしたり、抱き付いたりするが、こちらの身にもなってほしいというのが風間の主な主張だった。

「でも京介も風間さんも耐えた方がいいね。京介は付き合ってないから言わずもがなだけど風間さんは宇佐美の年齢的に捕まるから…ナンデモアリマセン」

 迅の主張は正論だったのだけれど、それを視線で黙らせてから、風間はジョッキに残っていたぬるいビールを飲み干した。





「しゃがみなさいよ!」
「我慢する俺ってエライですね」

 告白を繰り返すように言われたので、今日も今日とて烏丸は小南に愛をささやき、今日も今日とて彼女がキスをしやすいようにしゃがまされている。

「そうね。とりまるエライわ」
「偉いと思ってないでしょう」
「思ってるわよ」

 しゃがんだらよしよしと犬猫のように撫でられたから、烏丸は一言言った。

「小南先輩、俺のことほんとに好きですか?」

 それに小南はケロッとした顔でいつも通りに彼の額に口付けて、言った。


「そりゃ好きでもない相手にキスなんてしないわよ」


 その答えの意味は―――




2014/10/25 ブログ掲載

2014/11