遠くに行ってしまった君へ


「は、オレじゃねえよ」

 ぶつぶつと文句を言いながら、パックジュース片手に米屋は携帯をいじってた。昼休み、弁当を食べ終わってからメールを確認すれば、なかなかに頓珍漢な返信が来ていた。

『煮物作りすぎたからいるなら帰り寄れ。ていうか今学校?玉狛泊まり?』
『すごい!陽介が作ったの!?』
『オレじゃねえよ!!!オレも学校だよ!!』

「オレはお前の発想が豊かで今日もつれえよ……」

 オレより頭いいだろうが、と呟いて返信を打てば、前の席の出水がひょいっと顔をのぞかせる。

「何、メールすんの辛いとか破局寸前の彼女か?それとも上司か?」
「親戚」
「お前の上司三輪だし、隣のクラスにいるな。じゃあやっぱ破局寸前の彼女か」
「話聞けよ!親戚だよ!」

 ていうか破局寸前っていう前提何とかしろよ、と思いながら米屋は送信ボタンを押す。

「栞。玉狛の宇佐美栞」
「ああ、従姉か」
「お袋から煮物作りすぎたから取りに来てってメールしろってきてたの。最近あいつうちに顔出してないから、多分煮物は口実だけど。会いたい会いたいって最近うるせえんだよ」
「…………センサーパねえ」
「…………やっぱそう思う?」

 それに出水はこくこくと頷いて購買で買った弁当追加のパンをかじった。それに米屋は「やっぱりかー」と叫ぶように言って頭を抱えた。

「こないだの危惧は現実となったのだ」

 淡々と言って出水は彼を憐れむように目を伏せた。演技だと分かるがちょっと腹が立つ。ついでに憐れまれるのは俺じゃないとも思った。

「こないだ言ったけどうち女の子いないからさあ」
「まあ娘みたいなもんなんだろ。そういうもんよ、母親は」
「伯母さん気にしてないんだけど」
「伯母さんが気にしてないからこその行動にこのカレーパンを賭けよう」
「『最近栞ちゃんに会ってないわね』って朝のあれがフラグの最終かあ」
「フラグ管理超大事ってうちのオペレーターが言ってた」
「国近サンのあれは違うだろ」

 そこまで言ったところで米屋は出水を見て言った。

「今日基地寄ったほうがいいかな?」
「風間さん?」
「おう」
「この場合ってフラグ管理的には風間さんにはメール程度でいいんじゃね?」

 あとはプレイヤーのコマンド次第的な、と続けた彼に流石の米屋も拳を落とした。





 高校三年の春、というのは米屋にとってもニアリーイコールで大規模侵攻の後の現実世界、ということで、無事進級できたことに感謝しつつ、大学に行くのかとか、就職するのかとか、ボーダーをいつまで続けるのかとか、はっきり言って現実的すぎる内容を突き付けられた春だった。

「まずもって、オレらA級じゃん」
『そうだよね。木崎隊もそうなんだよね』

 そんな本日の電話人生相談の相手はなぜか従姉殿で、米屋は大きく息をついた。なぜ、わざわざ今電話なのか、と思いながら。

「辞めるっていう選択がほとんどないと思うじゃん?」
『うむ』
「とりあえず親を説得するところから、じゃね?」
『そうなんだよね、こないだの件があるから』

 いくら親や親戚にボーダーに対する理解がある、と言ったって、相手というか二人は高校生なのだ。先日の侵攻を前にして、「頑張りなさい」なんて言う親は滅多にいないだろうと思う。米屋にもそれは分かっていて、それから自分の従姉は女の子で、だからこそ自分以上に圧力が強く掛かっていることを彼はよく知っていた。ついでに彼女には自分の家からも圧力がかかっている。それは別に姪の人生設計がどうこうということではなくて、普通に考えたらそうなるだろうな、という範囲の言葉ばかりだから、却って辛い。

「うち来て説明するか?二人で言えば少しは圧力弱まるかも?」
『……!!ついでに彼氏紹介したらどうだろうか!?』
「え、なにさも妙案みたいな声で言ってんの?意味分かんないですけど?栞ちょっと疲れてるんだな。だよなあ、いろいろあったしなあ。玉狛も大変だなあ、林藤さんによろしく。さっきのうち来る話無しな!!!」

 「無し、完全デリートォ!!!」と携帯に向かって本部ラウンジで叫ぶA級隊員に横のブースで名前も知らない訓練生がビクッと肩を揺らした。だがしかし、今の米屋にそちらを気遣う余裕は皆無だ。

『何叫んでるの?』
「いやマジそういうのやめてくれる、お願い栞!」
『だって同じ職場に彼氏がいる場合、親も職を続けることを認めやすい的なことが何かに書いてあったから』
「え、ちょっと待て。同じ職場なの?ボーダーなの?オレ聞いてないよ?」

 あとそれ社会人の話ね、いま議論してるのは高校生が命懸けるのは云々というのをどう親に分からせるかで、一般的な寿退社するしないの話じゃねえから!という言わなくても分かってほしいことを言うか言わないか本気で迷っていたところに、彼の従姉殿は衝撃でもってその彼の思考を止めることに成功した。

『あれ?言ってなかったっけ?三月から、うん、風間さんと』

 まんま上司やんけ、と慣れない関西弁で言って、彼は力なく携帯の電源ボタンを連打した。それから10秒経つ前に『ごめーん、なんか切れちゃった!』と折り返し電話が掛かってきて、女子高生のスマホスキル憎いと米屋は割と本気で思った。

「なんかっていうかオレが切ったからだな」
『え、アタシ悪くないの?ひどくない?』
「お前が悪いんだよ、普通に」
『え、ごめん』
「うん、訳分からず謝らなくていいから。え、風間さんなの?」
『三月にね、あれ、なんだっけなんか、近くでイベントあってさ、風間さんのとこに行ってね、』





「三月に俺の部屋まで来た宇佐美を見て、どこかしらで区切りをつけた方が俺と宇佐美の精神衛生上いいなと確信して付き合うことにした。後悔はしていないが、それまでぐだぐだと恋人未満の関係を続けていたことについては反省している」
「え、つまり?」
「微妙な関係になったのは宇佐美が玉狛に転属してからだから、別に部下に手を出してはいない」

 いやいやいや、なに開き直ってんのこの人、と米屋が思ったのは間違いない。

「栞、高校生なんですけど」
「……その‘栞’というのやめてくれないか。よく分からんが腹が立つ」
「めんどくさい人だなこの人!従姉だからしゃーないっしょ!あと条例って知ってますか!?」

 畳み掛けた彼に、風間は正気か?とでも言いたげな胡乱な眼差しを向けた。正気を疑いたいのはこっちだ!とその視線に叫びたかったが叫び出さなかった自分をほめたいと、現実逃避気味に米屋は思う。

「別に援助交際の類ではないが」

 胡乱な視線のまま言われたそれに、この人の倫理観ってどうなってるんだろうという、激しくどうでもいいことを彼は思った。そして、これは多分これ以上話してもどうしようもないと勘付いた。戦闘民族の勘は侮れないものである。

「栞に言われても絶対うちに来ないでくださいね」
「……お前は馬鹿か?支離滅裂で意味が分からない。きちんと必要事項を叙述して話せ」
「いや、もう意味分かんなくてもオレが馬鹿でも何でもいいっす」

 マジなんでもいい…と言いながら退席して、彼はほぼ半泣きで今あった出来事をありのままに出水に話したのだった。





 その後、米屋の危惧は半分現実となった。結局あの後従姉が家に来ることはなかったが、代わりに彼女は両親に風間を紹介してしまったのだ。彼が、彼女について本当に頭がいいのかただの阿呆なのか、ちょっとというかかなり悩んだのは言うまでもない。
 すごく喜ばれた!とそのことを宇佐美に嬉々として話されたあとで、家に帰ってから自分の母親に「栞ちゃん、もう彼氏とかいるのかしら?気にならないの陽介」と言われた時、彼はほぼ自分というか自分の従姉の運命を覚らざるを得なかった。『多分伯母さんが「うちの子もね、ほら、もう高校生だし!」とか思わせぶりなこと言っちゃったんだねちくしょー!』と学校でやはり出水に叫んだのは記憶に新しい。三輪に叫ばなかったのはまだ米屋にも理性が残っていたと思われる。彼の敵視する玉狛のオペレーターで、とかそういう以前に、その相手が風間で、とか、成人男性と未成年女子高生の恋愛どうこうとか、刺激が彼には強すぎるという判断だった。
 その時出水に言われたのが「母親のセンサーに引っかかるのは父親の『娘はやらん』よりも面倒くさい」だった。その通りの現実が今朝から進行していて、学校帰りの放課後、彼はかなり惨めな感じで本部基地に来ていた。多分今頃従姉は自分の家に召喚されているのだと思うと、余計に惨めだった。

(や、まあ惨めなのは違うけど)

 そう思ってから、彼は自分の思考の裡だけで、その惨めさを摩り替えている自分を嘲笑ったのだけれど。





「宇佐美ならまだ玉狛だぞ。お前の家には妹に行かせたらしい」

 探すまでもなく、珍しく彼一人しかいないラウンジでばっさばっさと新聞を広げて目を通しながら、大きめの声で言ってきた風間に、米屋は虚を衝かれたように立ち尽くした。

「宇佐美はそこまで馬鹿じゃない」

 ガサッと音を立てて新聞を畳み、彼はそう言って立ち尽くす米屋を見た。

「座ったらどうだ」
「……風間さんってけっこう卑怯ですね」
「今更過ぎて腹も立たんな」

 向かいに座った米屋にそう言って、彼は僅か笑んだ。

「風間さんフラグ管理してたんだー。ヘルプいるかなと思って来たのに米屋くんけっこうショックですわ」
「別に応援派でもないくせに何を言うか」

 今日の件も、その他諸々も知っているらしい風間に悪態をつけば、返ってきたのは至極真っ当な言い分で、米屋はぼんやりとその年上の男を見た。

「そっすねえ」
「互いに言いたいことは言っておいた方がよさそうだな」

 そう言われて、米屋はソファにドンッと軽くはない音を立てて背中を預けた。言いたいけれど言いたくないことが渦巻いていて、自分でもどうしたらいいのか分からない、というのが正直なところだ。こういう時に、大人の余裕を見せる風間が憎らしかった。

「なんだ、俺からか」
「じゃあ、ま、風間さんからで」

 そうだな、と呟くように言って、彼もまたソファに背を預ける。妙な威圧感があるな、と米屋は思った。

「宇佐美は、俺にとって大事な女であると同時に大切な戦友だ」

 彼にとって、宇佐美栞という女性は、初めての部下だった存在だ。そのことは米屋も知っていたからぼんやりとだがその言葉を認識できた。

「同時に、ではないな。以前に、だ。付き合う付き合わない以前の問題として、俺にとって宇佐美は背中を預け合った存在だった」

 彼の中の宇佐美のカテゴリは、決して初めから異性ではなかった。
 それよりもずっと、「一緒に戦った」という方が大きい存在だった。

「それは今でも変わらない。二つのカテゴリに属する存在、と言うのか。だが、共に戦った仲間であることと、好きな女であることは両立しない事柄で、両方の感情を同時に抱いた自分は異常だと思った」

 米屋は、言葉をはさまなかった。異常な感情、というその一点が、彼に言葉をはさませる余地を奪った。

「多分、宇佐美も一緒だったと思う。俺たちは二人とも異常な感情を抑えつけることにいっぱいいっぱいで、抑えつけた結果、『妙に仲のいい元上司部下』という関係性でいた」

 その方がずっと異常なんだがな、と彼は可笑しげに続けて天井を見上げた。

「三月に、宇佐美が俺の部屋まで押しかけてきてな。イベント云々は口実で、限界だったのだと思う。大規模侵攻があって、あいつは多分、限界だった」
「……そう、ですね」

 先の侵攻で、一歩間違えれば、風間も、宇佐美も死んでいた。
 誰もかれも、一歩の差、或いは半歩の差で生き残ったとしか言えない出来事だった。

「部屋で大泣きされた。それでやっと、『仲間として』死を覚悟するとことと、『恋人として』死を覚悟することの両方のあいつの苦しみを背負おうと思えた」

 その両方を背負うことを、躊躇っていたのは多分自分のエゴだったと彼は思っている。良い上司、良い隊長、良い大人でありたかった自分のエゴイスティックな感情が、結局彼女の一番苦しんでいる部分を掬いだせなかったとしたら、それはあまりにも無様な話だ、と。

「こんなところだな」
「思った以上に栞が思われてて、このレベルなら確かに伯父さんも伯母さんもボーダーが心配よりもむしろ喜ぶだろうなって思いましたまる」

 本心からそう思っているからこそ、自分の言葉が薄っぺらくなって、米屋は自嘲気味に笑う。

「オレの番でいいですか」
「ああ」

 応えた風間に、米屋は一瞬だけ目を閉じる。その一瞬で、もう遠くに行ってしまった大事な姉が脳裡を駆けた。

「オレの初恋って、栞なんですよ」

 ショーゲキ的でしょ、と茶化すように言ったけれど、風間は真剣な顔で彼を見ていて、諦めたように彼はため息をつく。

「ま、よくある話なんですけどね。同い年なのに超頭いいから何でも教えてくれるかと思ったら、同い年なのに超運動下手ですぐ転んで泣きついてくるしで、そういういろいろがあってマジオレの初恋なんすわ」
「それは今もか」
「いや、全然。従姉って超身近で、その割に初めて接する異性だったんすよ。だから、なんてーの、飯事的なあれですね。年齢上がれば普通にいとこ同士って感じで、それなりに話しするし、部屋にも入るけど、別に異性として見るってのはなくなったってか…まあ、マジで幼稚園とかそういうレベルの話なんで、異性として見てたかも怪しい初恋ですけど」

 言ってそれから、米屋はばつが悪そうに頭を掻いた。

「そういうレベルのくせに、風間さんと付き合ってるってあいつに言われた時、勝手なこと言うなよ!って思ったんすよ。ヒドイっすね、オレ」

 彼女が風間と付き合っていると知った時、初めに思ったのは「勝手だ」だった。次に感じたのは寂寞だった。

「勝手に遠くに行ったんだなって。ま、栞から見ればオレも大概遠くに行ってるんでしょうけど。だって別に今のオレは栞のことそういう意味で好きなわけじゃないし」
「……家族が、知らないところで遠くに行ったからだろう」
「あー、そっすねえ。そもそもあの黒歴史的初恋自体が家族の延長線上だったんで」
「俺はお前が羨ましい」
「なんでっすか」
「俺が持っている仲間とも恋人とも全然違う家族というカテゴリの宇佐美をお前は持っているだろう」

 そう言われて、米屋は頬を掻いた。

「大人って口が上手いですよね」
「そういうつもりはないんだがな」

 笑った風間に、米屋も笑った。

「今度うち来てくださいよ。オレの母親が栞の彼氏見たくてメチャクチャ騒いでるから」
「考慮しよう」
「あと―――」

 言い差して、米屋は言葉を紡ぐのをやめた。
 言い差した言葉は多すぎた。
 栞をちゃんと好きでいてとか、助けてとか、愛してとか、置いていかないでとか、子供じみた言葉ばかりが頭の中をぐるぐる回って、やっぱり多分、自分の初恋はそのくらいの、何でもない感情だったんだと思った。
 そう思ったら、妙に可笑しくて、妙に寂しかった。

「今から栞迎えに玉狛行きません?」
「そうだな」

 特段の理由も聞かずに、風間は立ち上がって畳んだ新聞を棚に戻す。

「あーあ!オレも彼女ほしいなあー!」

 叫んで彼も立ち上がる。
 大事な少女を遠くに連れていってしまった男は、小さく笑った。





「栞ってさ、初恋いつ?」
「うーん、覚えてないなあ。ってか、今まで恋とかマジで考えたことなかった!」
「じゃあ風間さんが初恋でファイナルアンサー?」
「そーいうことになっちゃうね!」
「あ、そういう惚気今いらないから」

 ヒドイ!と叫ぶ従姉から視線を外して、彼は携帯ゲーム機をいじる。
 彼の自宅のリビングで、彼女の初恋の男が自分の母親と談笑しているのを見やりながら、彼は小さく笑った。


遠くに行ってしまった君へ




2014/11/04 ブログ掲載

2014/11