「From:迅悠一
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風間さん今日車出して玉狛まで来て」
日曜の昼前、ボーダー本部の風間隊ミーティングルームでそのメールを見た風間が最初に言ったのは「俺は飲むぞ」という典型的な駄目な大人の発言だった。
よいこの心得
『飲み会じゃないよー。マジで風間さんは顔に似合わずすぐそっちに持ってくよね』
「飲みじゃないのに玉狛まで車を出す謂れはない。木崎とお前を回収に来いという話じゃないのか。運転係はごめんだ。車は諏訪か太刀川に出させろ」
『違う違う!ぜんっぜん違う!』
文面に対して「俺は飲むぞ」と一言返信したら、風間のスマートフォンが着信を告げて、特段の仕事もないのでそれに出れば、相手は先ほどメールを送った迅だった。
ちなみに隊長の発言内容が酷すぎるために風間隊の未成年3人が顔をしかめたのは言うまでもない。
「それ以前の問題として今日は無理だ」
そう言ってから風間はちらりとその盛大に顔をしかめている自隊の3人を見遣る。それから若干声を低めて言った。
「迅、掛け直す。3分待て」
『待つまでもないっておれのサイドエフェクトがそう言ってるんだけど、宇佐美今日の午後風間さんとこ行くの無理だよ?』
「……は?」
『じゃ、そういうことで愛しの彼女のために暇になったら車出して玉狛まで来てね。午後から非番でしょ。そろそろ午後だね。急いでね』
いつものヘラヘラした調子で迅が言ったところで、通話は一方的に切られて、ツーツーと音を鳴らす機械を風間は呆然と見下ろした。
「風間さん、昼から飲み会ですか」
「……違う」
「風間さん、飲み過ぎないでくださいね」
「……だから違う」
「風間さん、迅さんは成人したばかりなんですしあまり連れ回さない方が…」
「……違うと言っている!」
菊地原、歌川、三上と三連撃を喰らって、風間は思い切り頭を抱えた。ただでさえ迅の言っていることで頭がいっぱいなのに、自隊の隊員、しかも未成年に駄目な大人認定されている事実が余計に辛かった。今、「帰る」と言えば即ち飲みに行くと勘違いされるのが見え見えだ。
「俺は昼間から飲み会をしないし、普段から酒量には気を遣っているし、迅に無理やり飲ませたこともないし、そもそも飲み会ではない」
「じゃあなんですか」
菊地原に問われて、こういう時に子供の純粋さが憎いと風間は本気で思った。子供と言ったって高校生なのだから若干の悪意は否めないけれど。
「玉狛に会議資料でも届けるならぼくが行きますよ」
若干の悪意ではない。悪意100%だ、と気が付いて、風間は大きく息をついた。
「宇佐美に何かあったらしい」
3人が声にならない悲鳴を上げたので、ああ、言葉の選択を間違えたな、と言ってしまってから風間はぼんやりと思った。
*
先ほどまでの怪訝な態度から一転、すぐ行って、早くして、一緒に行くという大合唱になった3人をなだめすかして一足先に基地を出た風間は、迅に言われたとおりに一旦アパートに戻り車を出した。
「叫びたいのは俺も一緒だ」
信号待ちで思わずため息をつく。迅からの少なすぎる情報では何があったか分からない。だが、今日は確かに彼女が風間の部屋に遊びに来ると約束していた日だ。だが宇佐美からの断りなどの連絡はない。迅が言うのだから玉狛にいるのだろうし、深刻なことならばさすがの迅ももっと相応の態度を取るだろう。
しかし一方で、その連絡をしてきたのが迅だという以上、宇佐美はその連絡を出来る状態にないと言うこともできて焦りは募る一方だ。逸る気持ちを抑えて何とか運転しているというのが本当のところだった。
「遅い!遅すぎるのよ!!」
玉狛の狭い駐車スペースに車を止めて降りたところで不意打ちのタックルを食らわされて、風間は避けきれずによろけた。
「あちゃー、遅かったか。風間さん、大丈夫すか?小南先輩、どうどう」
暴れまわって駐車場で風間をぽかすか叩いている小南を引っぺがして烏丸が問えば、風間はやっと体勢を立て直す。
「小南が換装していなくてよかった」
「うるさい!情けをかけてやったのよ!しおりがあんなに苦しんでるのに!仕事魔!!」
「宇佐美は」
涙目の小南に声を低くした風間に、烏丸はカラッと言った。
「ああ、ハイ。ただの風邪だと思います。季節的にもインフルエンザとかではないです」
「ただの風邪でも寝込んでるのよ!?」
「寝込んでいるのか?」
「そうよ!だっていうのに風間さんいつまでたっても来ないんだもん!しおりの彼氏になったんだからもっと可愛がってよ」
わんわん言っている小南に、ただの風邪と烏丸は言ったが相当酷いのだろうと彼は察する。そうでなければ彼女がこんなに取り乱して、あまつさえ自分を彼氏だと言ったうえでこんなことを言うとは思えなかった(小南の中で風間は未だ宇佐美の交際相手ではなく宇佐美を略奪したか何かと思われている節がある)。
「親御さんには連絡したのか」
「あー、なんかボスが連絡入れたんですけど、宇佐美先輩が帰りたがらなくて。妹さんのテスト近いらしくて、うつすと困るからって」
「あの馬鹿が」
軽く舌打ちして支部の建物に向かえばピッと烏丸が入口の端末を操作した。
*
「おー、彼氏様の登場か」
「林藤さん、あまりからかわないでください」
支部長のデスクではなくリビングでコーヒーを飲んでいた林藤の口許にいつものタバコはない。もともと研究施設だが、そこまで気密性が高い訳ではない建物だ。病人がいるのに吸っていたらさすがに叩き落としてやろうと思っていた風間である。
「お前今すげえ不細工だぞ。大丈夫か彼氏様?」
爆笑しだした林藤に、風間は何か言っても無駄だと思いため息をつくにとどめた。
「宇佐美の家には連絡したそうですね」
「したよ。米屋んとこにも連絡しようと思ったんだが、今日出払っててな。つーかよく考えなくても米屋じゃ車出せねえから親御さん巻き込めば宇佐美何言うか分からんし。宇佐美、実家の方にも大丈夫だから絶対迎えくんなみたいな連絡しちまったみたいで。昨日はここに泊まりだったんだが、今朝出てきたら熱がヤバくてな。さすがに有給取らせようと思ったんだが」
宇佐美はあの性格だからなあ、と続けられて風間はまた一つため息をついた。
「うちの連中にもうつせないとか何とか言って昼前から部屋に鍵かけて籠ってる。蒼也にだけ連絡しといてくれって内線で掛けてきたんでな」
「飯は?」
「さっぱり。部屋まで運んでも食欲ないからいらないとか抜かしやがる」
「あれは体調を崩しても食欲をなくすタイプではありません。要は誰かにうつすのが嫌だから部屋に誰も入れたくないだけでしょう」
「多分ビンゴだな。という訳で蒼也くん、あとは任せた」
そう言って林藤はひょいっと何か投げた。それを掴めば「管理用」というシールが貼られた鍵だった。
「マスターキーですか」
「そういうこと」
*
「宇佐美先輩、薬だけ、薬だけでもいいですから」
「いらなあい」
お盆を持って部屋の前で途方に暮れている小さな人影に、風間はここに来て何度目か分からぬため息をついた。
「雨取」
「はいっ!」
びくっと振り返ったのは玉狛第二の雨取千佳だった。
「あ、あの、修くんたちは任務で」
「いい。そこの馬鹿に用事で来た」
そう言えば千佳は困ったように風間を見上げた。
「朝会ったときすごい熱だったんです。だから今日はちょっと…」
「分かっている。医者に行ってから連れて帰る」
「え?」
ガチャガチャと籠城中の部屋の鍵を開けながら言えば、千佳は不思議そうに首を傾げた。その千佳の不思議そうな視線に風間が気が付く前に、部屋の扉はあっさり開いた。
「宇佐美、医者に行って帰るぞ」
「かじゃましゃん?」
熱を含んでぽってりとはれてしまっている目が風間を振り返った。
*
「あれ、ここ風間さんの部屋っぽいなあ」
「ぽいじゃなくて俺の部屋そのものだ、馬鹿者」
ぼんやりと首を巡らせたために布団が落ちかけた宇佐美の肩口まで布団を引き上げて、ベッド脇にスチールの椅子を寄せていた風間は彼女の額に触れる。
「まだ熱があるな」
「あの?」
「何か食えそうか」
「あれ?アタシ、基地の部屋にいたよね?」
メガネがないから、だけが理由ではないだろう。熱のせいで上手く焦点の定まらない視線が緩く風間を捉えたが、状況は一向に理解できそうにない。
「2時間前まで玉狛支部いたが、1時間前には休日診療で診察を受けて、空腹時に飲める薬を飲ませてある。そのあとここに運んだがお前はその間ほとんど意識を失っていたな」
報告書類か何かを読み上げるように淡々と告げられて、宇佐美はぼんやりとしている頭で必死に考えてみたが、上手く記憶が手繰れなかった。
「えっと、怒ってますか」
「当たり前のことを訊くな」
「すみません、今日、約束、してたから」
「そんなことじゃない」
そう言って風間はぺちんと彼女の額を叩いた。叩いたと言ったって、手を添えた程度にしか感じないくらいだった。それからその手は労わるように彼女の額と髪を撫でた。
「お前は馬鹿か。あまり心配させるな」
「あの……」
「家族や周りにうつしたくない気持ちも分かるが、それで悪くなった時に周りがどれだけ心配するかも考えろ。逆に自己中心的になっているぞ」
「ごめんなさい……」
宇佐美も、全くの考えなしという訳ではなかったのだ。ただ今回は突然のこと過ぎて、周りに気を遣おうとすればするほど墓穴を掘っている状況に気が付くことが出来なかった。家に帰れば家族にうつす、部屋から出れば基地の誰かにうつす、そう思って部屋にこもっていたが、薬も飲まず、食事もとらないそれでは悪くなる一方だったのだから。
「それにな、体が辛いときくらい、周りに頼るのが普通だろう」
「でも」
「少なくとも、俺にくらいは頼ってもいいんじゃないのか」
今までの真面目一辺倒の風間隊長の声から、やっとプライベートのやわらかな声が落ちて、安心したように宇佐美は笑った。
「はあい」
「何か食べらるか」
「んと、甘いもの?」
「ゼリーでいいか?」
「はい」
そう応えれば、風間はベッドサイドの小型冷蔵庫に手を伸ばす。開ければ所狭しとゼリーやらスポーツドリンクやらが入っていて、いつもは寝起きのためにミネラルウォーターが2,3本入っているだけなのに、と思ったら、それがどうにも可笑しくて、宇佐美はふふふと笑った。
「どうした」
「いっぱい入ってるなあ、って思って」
「ここに置いておかないと、お前を看ていられないだろう」
「キッチンに行ってる間くらい大人しくしてるよ?」
「俺が嫌なんだ」
きっぱり言って、体を起こすのを手伝った風間に、宇佐美は幸せそうに笑った。
「愛されてるなあ」
「自覚が遅い」
*
「あ、お帰りなさい迅さん」
「おー、お疲れー。風間さん来た?」
「あ、はい。あの、迅さんわたしびっくりしたんですけど…」
「ん?どしたの千佳ちゃん?」
「風間さんって宇佐美先輩の親戚の方だったんですね!」
「ブハッ!なんで千佳ちゃんこんな面白いこと言ってんの!?おれのいない間に何があったの!?今のもう一回言って!録音して本部で流してくるから!」
2015/01/28