誘惑
「風間さん、電気消して」
「却下だ」
「即答!?」
もうパジャマに着替えてベッドに座っているというのに、上半身裸でだらしなくジーンズをはいた風間がシャワーを浴び終えて髪をガシガシと拭きながらその宇佐美が座るベッドに近づいてくる。
まだ明るい部屋で、彼の黒髪から水滴が首許に滴り落ちて、宇佐美は息を呑んだ。はっきりと見えるその男の顔をした風間の姿は、何度見ても、何度体を重ねても彼女には慣れるということがない。
「お願い、今日は消してください」
「なんだ、ずいぶん我儘だな。俺がつけたままするのが好きなのを十分思い知らせてきたと思うが?」
「ストップストップ!ドエス発言ストッププリーズ!」
崩壊しかけている英文にも満たない発言をして、その狭いベッドに近づいてくる風間から距離を取るように宇佐美はじりじりと下がった。
「どうした」
「うっ」
彼女が座ったまま下がるよりもずっと機敏な動きでそのベッドに乗り上げて、彼は宇佐美の頬に手を添えると耳元で呟くように囁いた。彼の声がそこで響くのが弱いのは承知の上だ。やっぱり風間さんSだ、と宇佐美はその声だけでゆで上がるようにくらくらする思考の片隅で思った。
「俺とやるのは嫌になったか」
そんなこと、彼女が微塵も思っていないのを知りながら彼は意地悪く囁く。それにびくりと宇佐美の肩が跳ねた。
「だって、その」
「『その』、なんだ?」
重ねて訊く彼に、観念したように宇佐美は彼の口許から耳を逃がすように、ポスッと風間の胸元に額を付けた。
「今日、風間さんの部屋に来るの、急だったから」
「?」
「下着、気にして、なくて…!」
今日、宇佐美が風間の部屋に誘われたのは本当に偶然だった。たまたま本部に来ていた宇佐美を呼び止めて食事やらデートやらに誘うことはよくあることだが、たまたま明日が土曜日なうえ、二人とも明日が非番だというのが分かったのは、彼が彼女を呼び止めたあとのことだった。
恋人としての付き合いはいつの間にかもうずいぶん長い。体の関係ももちろんもうある。明日が休みで、となれば風間だって若人で男だ。部屋に誘って一夜を過ごしたいと思うのは自然なことだった。
宇佐美だってそれに応えないなんてことはしたくなかったし、そもそも満更でもないのが本当のところだ。情事には風間と違って未だ恥ずかしさがあるし、彼は何だかんだと容赦のない男だから次の日が休みでもない限りそういったことが出来ないのは彼女とて承知済みのことだった。
『あの、じゃあ……』
『ああ。お前の着替えも部屋にあるしな。どうせ無駄になるが』
さらりと言って妖艶に笑った風間に、宇佐美は顔を真っ赤にした。会話の聞こえていない通りすがりの誰かがふと振り返るほどには真っ赤な顔の宇佐美だったが、風間と宇佐美の関係は今やボーダーの正規隊員で知らぬ者はないくらいだ。牽制とか何とか言って風間が思い切り言いふらしたらしかった。抜かりのない男だ。
というような経緯があって、風間の部屋に来ていた宇佐美は、先に入れと言われた風呂から上がったところで自らの短慮にやっと思い至ったのである。
「下着?」
着替えは回を重ねるうちにいつの間にか風間の部屋に常備されるようになった。だけれど下着までは置けるわけない!という宇佐美の嘆願が叶って置かれている衣類は着替えに留まっている。とはいえ、学校に持って行っている大きめのサブバッグには替えの下着が入っていたからまだいい。だが、そのチョイスが恋人の部屋に来るチョイスでは全くなかった。今日は、体育の授業があるはずだったのだ。体育教員の急な出張で自習になった今日はしかしそれを使う機会がなかった。そういう訳で、着替えることは出来るがしかし、ショーツはいいとして、(いや、彼女にしてみれば上下が揃っていない時点でよくないのかもしれないが)問題はブラジャーだった。
「あ、やめ、てくださいっ」
下着、と言われて風間はまだ明るい部屋でふにと白い厚手のパジャマの上から彼女の存外大きな胸に触れる。
「お前、付けてないのか」
「ちがっう、の」
ふにふにとやわらかなそれを布地の上から揉めば、涙目の宇佐美がいやいやと首を振る。
「風間さん、ほんとやめ、て」
「感じるからか?」
「やだあ」
「下着も付けないで待っていたくせに」
辱めて欲情を煽るようなことを言われて、宇佐美は耳元までカアッと真っ赤に染め上げた。
「違うの、今日、ほんと、スポブラとかしか、替えなくて…可愛くなさすぎるんだもん」
まださわさわと布越しに胸に触れられているからか、切れ切れに言った宇佐美に、風間はその胸の感触と彼女のあまりの発言が相まって思わず胸に触れるのと逆の手で壁を殴っていた。
「ひゃっ」
「すまん、煽るな宇佐美」
今日も俺の将来の嫁が可愛いです、という叫びを込めた拳がドンと壁を殴った音と、それからその反動で強く握られた胸との両方に反応して宇佐美が艶めいた声を上げれば、風間は自身を落ち着けるようにハアッと大きく息をついた。
つまりは、可愛げのないブラジャーを付けて雰囲気を壊すくらいなら付けないで、ええいままよ!とブラジャーを付けずにパジャマを着た訳だが、実際ベッドに近づいてくる風間を見たら、下着を付けていない自分を見られるのが急激に恥ずかしくなった、ということだろう。普段から加虐趣味が過ぎて電気を点けっぱなしで事に及ぶ風間の性格を知っているからこその懇願だった。
「そういうのが余計煽るとどうしてお前は分からない」
「ひうっ!?」
ぷちりぷちりと素肌に着けたパジャマのボタンを外して、今度こそ風間は直接その豊満な胸に触れる。やわらかなそれに彼の武骨な指が食い込んだ。
「やあっ」
ただでさえ羞恥心が煽られた状態でいたというのに、電気はいつも通り点けっぱなし。その状態でさらけ出された自身の胸を彼の指が這って、宇佐美はぎゅっと目を閉じた。その反動で眦にたまっていた滴が頬に落ちる。それすら彼の加虐心を煽る一方なのだけれど。
「どうせ下着なんていらなくなる」
「そういう問題じゃ、んっ」
「こら、声を我慢するな」
唇を噛んだ彼女のそこを、風間の指がなぞる。もう片方の手は容赦なく胸に触れていて、一瞬開いた口許に彼は指を差し入れた。
「ふっあ…!」
「可愛いぞ、宇佐美」
可愛いなんて、と真っ赤になる宇佐美だが、風間は最中によく彼女にそういうことを言う。普段だって言わない訳ではないが、意味合いが全く違うことくらい彼女も知っていた。
「ふあ…や、ゆ、び」
「噛むなよ」
切れ切れに言った彼女に、命令口調で言えば、風間のそういったことに弱い宇佐美はこくこくとうなずいた。その従順さすら、風間の支配欲を満たすのだ。
指を押し返したければ噛んでしまえばいいのに、一言釘を刺されればそれすらできない彼女に満足したように、彼のその指は舌や歯列をなぶって、残った手は相変わらずやわらかな胸をこね回して、ぐずぐずと宇佐美の理性を溶かしていく。
「十分だな」
「んうっ…あ…」
余裕の表情の風間が指を引き抜けば、つうと唾液が光る。それすら点けっぱなしの電気のせいではっきりと見えて、息が上がっているのとは別に宇佐美の顔には朱が上る。
「下も、どうせ下着なんていらないんだろう」
「やっ、やめ!」
「濡れてる」
その唾液に濡れた指がすんなりとショーツを取り払って、敏感な部分に触れる。水音がして、そうして直截にそれを指摘されて、宇佐美の目許にはまた水の膜が張られた。
「あうっ」
「一回達しておけ」
「あ…ん…」
「唇は噛むなよ。血が出ると悪い」
命令と言うよりは忠告、だけれど忠告と言うよりもずっと甘い声音で言われれば、宇佐美の思考は溶けていく。すんなりと指を受け容れた敏感なそこに、短く喘ぐ彼女に、風間のそれも張りつめていく。
「本当に、お前は」
「あっ、な、に?」
「お前は俺を煽るのが上手い」
「ひゃんっ」
余裕のない表情と声で言って、くいと指を曲げればそれは彼女の中の敏感な部分に触れる。もともと欲が高まっていたことと突然予期せぬ形で指を動かされたその衝撃で、宇佐美の視界は白く染まった。
「んん…はっ、あ」
達した反動か、荒い息でぼんやりと風間を見上げる彼女の表情は今にもとろけてしまいそうだ。
「煽ったのはお前だからな、宇佐美」
最中にいつも通りに呼ばれるのが彼女の背徳感を煽るのを知っていて彼は言う。
ぼんやりとした思考の中でも彼女は羞恥を拾い上げる。だけれどもうそんな余裕もなかった。達したばかりで少しだけ気怠いのか、緩慢な動作で宇佐美は腕を伸ばして彼の背に回す。
「好きにして、かざまさん」
「ああ」
互いに満足したように、言った次の瞬間に、指とは全く違う質量が押し入って、それから―――
*
「風間さんの馬鹿、エッチ、加虐趣味」
ベッドの上でシーツをかぶって抗議する宇佐美を後ろから抱き抱えて風間は満足げに笑った。
「下着一つでここまでエロくなれるお前が悪い」
「そういうのが加虐趣味って言うんです!」
「揃ってるのも揃ってないのも、付けてるのも付けてないのも俺は好きだから気にするな」
「気にするよ!」
電気を点けないのはいつものことなのだけれど、そのうえその気になって仕方がなかった下着のことでぐずぐずにされた自分にも、そういうことを逃さずにこちらの羞恥を煽る風間にも、恥ずかしさが戻ってきて、彼女は顔を隠すようにもっと深くシーツをかぶった。
「今度一緒に下着でも買いに行くか」
「うー」
うなった宇佐美の頭を撫でて、顔を覆うシーツをはがして振り返らせると、彼は額に口付けた。
「約束ですよ」
「ああ」
結局誘惑されるのは、いつもどちらか分からないのだけれど。
2015/03/10