愛している、という言葉を反芻するように俺はリノリウムの床を見つめていた。
その言葉は、あの夏の日からずっと俺たちの中に横たわっていた。
*
「好き」
蝮は泣いていた。不浄王の討伐が終わり、全てが決し、彼女を抱いた。そうせずにはいられなくて、彼女もそれを拒まなくて、ああきっと俺たちの思いは成就するのだと思った。俺だけが、浅はかにもそう思い込んでいた。
「好き、柔造、好き」
「ああ」
あの日の自分を殴り飛ばしたい。あの時俺は蝮が嬉しくて、あるいは安堵して泣いているのだとばかり思っていた。
「愛している」
「俺も」
肯定して彼女のその涙が伝う頬を撫でたら、彼女は笑った。
壊れそうなほど美しく笑い、狂いそうなほど熱い目で、蝮は俺を見た。
「ごめんな」
なぜ謝ったのか。
なぜ、なぜ、なぜ?
あの時俺は、そのことを考えることすらしなかった。
*
そうして次の日に俺は彼女を嫁にすると宣言し、それから数日後、蝮はぱたりと倒れた。
*
「あてはアンタと結婚することはない」
病院で目覚めた彼女に最初に言われたのがこの言葉だった。それは今もずっと変わらない。
「どういうことや」
戯れではないと分かってしまった。反発でも、戯れでも、照れているわけでもない。彼女は真っ直ぐ俺を見据えてそう言ったのだから。
「あてには無理や」
「は?」
ぽかんとした俺に、蝮はゆっくり手を伸ばした。俺の頬を、彼女の白く細い指が撫でた。
「あんたと生きとうない」
告げられ言葉と共に、彼女の頬を一つだけになってしまった目から零れた涙が伝った。
「愛している、柔造」
それならばと反駁しようとしたのに、俺は蝮に何も言えなかった。
「あんたと結婚したら、あてはこの世界に生き続けなならん」
言葉が、俺を撃った。
「あてはもうここにいとうない」
諦めたように、そうでありながら激昂するように、彼女は言葉を紡いだ。
「一番愛した、誰より愛した男を、恨みとうない」
彼女の指の爪が、小さく俺の頬を掻いた。
「ごめんな」
縋るようなその小さな痛みに、俺は何を応えればいいのだろう。
その答えは、まだ出ない。
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