愛している、という言葉を反芻するように俺はリノリウムの床を見つめていた。
 その言葉は、あの夏の日からずっと俺たちの中に横たわっていた。





「好き」

 蝮は泣いていた。不浄王の討伐が終わり、全てが決し、彼女を抱いた。そうせずにはいられなくて、彼女もそれを拒まなくて、ああきっと俺たちの思いは成就するのだと思った。俺だけが、浅はかにもそう思い込んでいた。

「好き、柔造、好き」
「ああ」

 あの日の自分を殴り飛ばしたい。あの時俺は蝮が嬉しくて、あるいは安堵して泣いているのだとばかり思っていた。

「愛している」
「俺も」

 肯定して彼女のその涙が伝う頬を撫でたら、彼女は笑った。
 壊れそうなほど美しく笑い、狂いそうなほど熱い目で、蝮は俺を見た。

「ごめんな」

 なぜ謝ったのか。
 なぜ、なぜ、なぜ?

 あの時俺は、そのことを考えることすらしなかった。





 そうして次の日に俺は彼女を嫁にすると宣言し、それから数日後、蝮はぱたりと倒れた。





「あてはアンタと結婚することはない」

 病院で目覚めた彼女に最初に言われたのがこの言葉だった。それは今もずっと変わらない。

「どういうことや」

 戯れではないと分かってしまった。反発でも、戯れでも、照れているわけでもない。彼女は真っ直ぐ俺を見据えてそう言ったのだから。

「あてには無理や」
「は?」

 ぽかんとした俺に、蝮はゆっくり手を伸ばした。俺の頬を、彼女の白く細い指が撫でた。

「あんたと生きとうない」

 告げられ言葉と共に、彼女の頬を一つだけになってしまった目から零れた涙が伝った。

「愛している、柔造」

 それならばと反駁しようとしたのに、俺は蝮に何も言えなかった。

「あんたと結婚したら、あてはこの世界に生き続けなならん」

 言葉が、俺を撃った。

「あてはもうここにいとうない」

 諦めたように、そうでありながら激昂するように、彼女は言葉を紡いだ。

「一番愛した、誰より愛した男を、恨みとうない」

 彼女の指の爪が、小さく俺の頬を掻いた。

「ごめんな」

 縋るようなその小さな痛みに、俺は何を応えればいいのだろう。
 その答えは、まだ出ない。