「最ッ低ー!」

 何がよ?と俺は独りごちる。最低って何がよ?俺なんかした?仕事やって言うたやん?

「私は柔造くんが、東京行く前からずっと好きだったんよ?」

 それ聞いた。何遍も。

「こんな人やと思わんかった」

 どんな人やと思っとったの?

 俺の思考回路は、目の前の彼女を引き留めるという行為を完全に放棄していた。
 ダメだ、無駄だ。と言うよりどうでもよくなってきた。
 ええから早く、別れようって言え。
 そんなふうにぐだくだ考えていたが、そこで、目の前の彼女は、俺を地にたたき付ける決定打を放った。

「柔造くんは、私の初恋だったのに!」


といふもの



「あれ?柔兄お帰り。彼女とデートやって言うとったやん」

 部屋に戻ると、相部屋の金造が煎餅をかじりながら雑誌を読んでいた。
 日曜。珍しく休日が非番。なぜか弟とも被った休日だった。

「フラれた」
「そら残念やったねー」

 かけらも残念と思わぬ態度で寝そべって雑誌を読む彼を、俺は思わず蹴飛ばした。

「ったあ!何すんのや!」
「うっさいわ!」

 自分でやっておきながら理不尽極まりない。だがそれくらいにはイライラしていて、俺は金造を踏み越えてベッドに上がる。

「なんやの?いつものことやん、どうせ『仕事とわたしどっちが大切なのよ!?』やろ?」
「…」

 彼の声には返答せずに、ごろんと横になった。

「しゃーないて。柔兄は女の子からも悪魔からもモッテモテなんやから」

 面倒そうに、えらく適当に、金造は慰めの言葉を口にする。

「よっ、色男!惚れるね!惚れてる女は数知れず!まあ柔兄が惚れた女なん見たことないけど!」

 彼は相変わらず雑誌から視線を上げずに適当なことを言っていた。

「はつこい…なあ」

 ぼんやりと呟くと、金造は今度こそ不審そうに雑誌から目を上げる。

「初恋ィ?25にもなる結婚適齢期の男が初恋なんちゃら言うもんやないで。気持ち悪いわ」

 けっと、おまけのように付け足して、金造は寝そべったままこちらを見上げてくる。

「初恋やって言われてん」
「はあ?今のコ?知り合いやったの?」
「いや。せやけど、小中は一緒やったらしい。そんなこと前に言われた気ィする」
「あかんねえ。25、6にもなって初恋ハツコイ言うとったら、結婚できませんえ?若いんやさかい今恋に生きろや」

 それこそ、欠片も若さを感じられないような口ぶりで、彼は言った。

「お前…彼女いてはるの?」
「おらんですけど!?なんか文句ありますか!?どうせ俺はモテません!非モテです。俺ら兄弟の中で、フリーじゃないんは大抵柔兄だけです。知ってます!」

 全力で言われて、若干引いた。若干引くくらい目が本気だった。

「なんでやろねえ?ほんま思うねんけど、顔おんなじやねんで?腹立つわぁ。あ、そう言うても、この顔がモテるんやったら、お父、浮気し放題やもんなあ。よう考えたらお父もおんなじ顔やもんなあ。うんうん、別に顔でモテてるワケやないってことに一応の納得はできるなあ………って、そんなワケあるかい!!!」
「うおっ!」

 凄まじいノリツッコミだった。自分の弟は、ここまでモテるモテないにこだわる人間だっただろうかと思う。

「そんなワケあるかい。顔でモテるんと違うかったら、こないにとっかえひっかえできるワケないわ!あんたさん、夏から何人目です。ちなみに今冬です。正確に答えましょう」
「2人…くらいやない?」

 ちょっとこの弟が怖くなって、俺は微笑んでみた。人好きがするとよく言われる微笑みなのだが、金造はクワっと目を見開いた。

「正解は4人です!」
「……すんません」

 とりあえず謝っておいたが、金造はまた「けっ」と吐き捨てて、手元の雑誌に目を落とす。だが俺は俺で「4人」という数字に、驚きに似たものを覚えて閉口した。4人か。
 4人も付き合ったところで、どうにもならないことを知っているのに、バカみたいな話だ。しかも4人目に爆弾を投下されてしまったから目も当てられない。「初恋」なんて、そんな禁句を言われるなんて思わなかった。そんな「禁句」を言われないように、俺がちょこちょこしてきた小細工は、自身の記憶力のなさによって失敗した。まさか、小中が一緒のコと付き合うてたなんて、思いもよらなかった訳だ。
 初恋、なんて、そんなもの。
 初恋というのは、ある意味俺の恋の中で最も嫌うべきものだった。初恋なんて、『特別』な呼び方の恋など、なければいいのに。
 そう思って、ごろんと寝返りを打つ。何の変哲もない白の壁が見えただけだった。




「俺、出かけるよって。留守番よろしゅう」

 ごろごろしていたら、金造が声を上げた。その声は、どこか楽しさを含んでいて、不審に思った俺は一応聞いておく。

「あ?どこ?」
「病院」

 思うよりあっさり吐いた。だが、問題はこの後だった。どうでも良さそうな内容のはずだったのに、勝ち誇ったような顔で金造はこちらを見上げている。

「……なんでや?」
「蝮の見舞いっちゅーか、用事っちゅーか、デートっちゅーかね!」

 ニタアと笑った金造に、一瞬殺意が湧いた。印を結ぼうか結ぶまいか考えたところで、金造はさらににやけて話しだす。

「蝮、やっと外出許可下りてん。出かけたいって前から言うてたんやけど、蟒さん忙しいやろ?青と錦じゃ、すっ転びでもしたとき道連れやからな。ほんで、『外出許可下りて、俺が非番やったら付き合うたる』言うといたら、携帯にメール来とったん。せやから今日は蝮と外出デート」

 そう言うと、彼のにやけはますます止まらなくなる。

「柔兄言われとったやろ?次の日曜は1日検査やて。来ても会えへんて。阿呆やねえ。医者かて日曜はお休みでっせ?ついでに言うと、蝮は魔障で起き上がれんから入院しとったんよ?ちょっと考えれば分かるやろう、体力回復のために入院した普通の病院で検査なんかするかい、ド阿呆!」
「ド阿呆はお前や!ちゅうか、あれ嘘なんか!?ウソやん…」

 俺、蝮に嘘つかれたん…?という呟きは、余計彼を煽る気がしたので、心の中に留めておいた。

「どこ行きよる馬鹿どもが」
「バカってなんね。墓参りや」
「……誰の?」
「うえ、柔兄最低男や。人んデートの行き先根掘り葉掘り聞きよる」

 そう言って、調子に乗った金造はケタケタと笑いだす。

「デートちゃうやろうが!」
「キレんでくれる?真面目にうるさいえ。なん、そんなに一緒に行きたいん?あかんよ。俺、蝮に言うてもうたもん。柔兄今日デートやって」
「ええ度胸やないか、金造!」
「ええ!なんでこのタイミングでマジギレされなあかんの?何?自分デートしとったのに、俺が蝮とデートすんのは許せんてこと?どんだけ心狭いんあんた」
「うっさいわ!デートやないやろ!どうでもええけど、どこ行くか教えんとぶっ飛ばす!」

「どうでもいいなんウソやん!」と金造は叫んだ。自分でやっておきながら理不尽だ。理不尽極まりない。彼はまだぶつぶつ言っていたが、壁に掛けられた時計を見て、あたふたと起き上がった。

「おい!待て!どこ、」


「矛兄んとこ」

 俺の言葉を遮るように金造は言って、扉の前でこちらをちょっと振り返る。

「行く?」

 答えなんて多分、彼は知っていて訊いたのだと思う。

「……行かへん」

 一拍だけ息を吸って、俺は当たり前のことみたいにそう応えた。